ガラック王国軍の軍議
ディクソン中将は指揮下で右翼、左翼を任せている二名の軍団長を呼んで、軍議を開くことにした。すぐに主だった高等指揮官がディクソン中将の天幕に集まる。事前情報を簡単に共有した後、幕僚の一人が手を挙げた。
「私はこのまま侵攻を続けるべきかと思います。我が軍はラーザイル領内に入って未だ無傷。ザストール川に待ち構えられることもなく、敵は城に引きこもるばかりで動きが鈍い。敵方にも混乱が生じていると見るべきで、ここは当初の予定通りジンドルフ辺境伯領を落とすべきです」
「私も賛成です。ペーター・シューマッハ殺害にどのような経緯があったかはともかく、ヒルデ・シューマッハは自領の地固めに専念せねばならず、我らの対応どころではないはず。最大の増援となるはずのシューマッハ家が動けないとなると、さしたる脅威もないでしょう」
「少しばかり楽観し過ぎではないですか?攻め込む方針を取るにしても、一応は偵察の兵を派遣しておくべきでしょう」
「ほう。では、シューマッハ家に念のためその偵察を送ってみるべきだと?」
「はい。もう一つ言えば、王都の方面も探っておいていいかもしれません。ラーザイル西部の守りはシューマッハ家に任されていたとはいえ、この状況下です。東部からの援軍が来る可能性も低くはないでしょう」
「一理あるな。西部と東部の間にあるゾルタート大森林という地帯は軍が通り抜けるに不向きな地域と聞く。奴らの援軍はすぐには来ないだろうが、油断はできないということだな」
「はい。この二つさえ気にかけていれば後は有象無象。大きな障害にはならないかと」
大した意見は出ないな。口を挟まず議論の場を見ていたディクソン中将は心の中で呟いた。その程度のことであれば、ディクソン中将自身でも思い当たるところである。ディクソン中将が欲しかったのは、自身を超える知見であった。
とはいえ、幕僚の能力不足とはいえない。不足した情報で考えられることはたかが知れているのだ。よほど天才でもない限り、神がかり的な予見はできるようなものではない。少々欲張り過ぎというものか。
話しの流れを見るに、このまま攻めるという意見が多くを占めるようだった。ディクソン中将としても退くつもりはもとよりない。成果が付近の砦や村落を落としただけとあっては大軍を動員したディクソン中将の面子が丸つぶれとなるからだ。それでも敢えて選択肢に入れたのは彼らの戦意のほどを確認するためであった。
活発かつ積極的な意見が出る中、末席に座る一人の若手将校が躊躇いがちに意見を口にした。
「私は退くべきかと考えます。もともとこの計画はシューマッハ公爵の裏切りを期待してのもの。それがなくなった今、奥深く進行すれば、背後が脅かされかねません」
今までの議論の方向性を無視した真逆の意見に場が白ける。ガラック王国の左翼を指揮する軍団長がこれ見よがしなため息を付いた。
「貴官の言いたいことも分かるが、しかしだからといって成果なしに帰るわけにもいくまい。せめて何らかの形に残る成果を出さねばならんだろう」
「それはそうです。が、次の目標であるジンドルフ辺境伯はロットシュタットに兵を集め、籠城しております。兵力差があるとはいえ、攻城戦となると時間を要するでしょう。その時、敵が我が軍の後方を脅かし、補給路を断とうとすればどうでしょうか。二万五千の兵糧はそれほど長く持ちません。攻城戦に失敗すれば、我が軍は文字通り崩壊を免れないでしょう」
「崩壊とは穏やかじゃないな。補給の重要性は理解しているが、それをもってすぐ軍が壊滅する訳ではない。仮に補給路を断たれたとしてもロットシュタットを落とせば備蓄された食料が手に入る。今の兵力を見れば何も不可能ではないはずだ」
不機嫌そうに軍団長は眉を顰め、窘めるように言う。気弱そうに見えた若手将校はその反論に対して意外にも引き下がらなかった。
「おっしゃる通り城攻めに成功することだってありえます。ただ、我らはずっとこの場に留まるわけには参りません。一部の兵を残し、いずれは帰路につきます。そしてそのタイミングを見計らったように現れるのが――ラーザイル東部から現れるミランダ王の軍です」
整然と論理を展開する将校に何人かの幕僚たちは目を見張らせた。若手将校はその反応が嬉しかったのだろう。先ほどよりも説明する口調にやや自信が見て取れた。
「そうすれば今まで日和見を決め込んでいた諸侯が一斉に立ち上がります。我らはラーザイル軍を正面から打ち破った訳ではなく、まとまりに欠くとはいえ敵方の兵力は健在。その核が現れたとなると四方八方から敵に襲われ、落とした城に立て籠ろうにも補給から遠く離れた陸の孤島で耐えなければなりません。そうなっては――」
「そこまでいけば、貴官の想像の産物だろう!さっきからなんだ、その消極性は!実戦経験もろくにない若造が偉そうに口を開いたと思えば、相手を恐れるばかりか!そこまで逃げたいのであれば、貴官一人で逃げればいいだろう!」
若手将校の言葉を遮るように軍団長は荒々しく立ち上がり、怒声を放った。あまりの剣幕に若手将校は身を縮こまらせた。
再びしっ声を飛ばそうと口を開きかけた軍団長を抑えるように、「まあ、待て。彼の意見には一考の余地がある」とディクソン中将は落ち着きを払って言った。
総司令官直々の仲裁に軍団長はひとまず怒りの矛を収め、腰を下ろした。ディクソン中将は若手将校に向かって言った。
「が、退くわけにはいかん。ただ貴官の心配はもっともだ。そこで、ザストール川とロットシュタット城を結ぶ地点の丘に堅固な砦を築き補給拠点としよう。念のためザストール川付近の渡河ポイントも守りを強化すべきだな。それぞれ千も兵を置けば十分なはずだ」
おお、と幕僚たちはいっせいに納得して、賛成の声を上げた。若手将校に怒声を浴びせた軍団長も気難しい顔をしつつも、頷きを見せる。
異論はないな、とディクソン中将は若手将校に目で問うと、素直な目礼で返された。
その後、ディクソン中将はそれぞれの案で有効と思われる案を採用し、指示を出して軍議を解散とした。
軍団長や幕僚たちが各々の配置につく前にディクソン中将は若手将校を見つけると、気さくに声をかけた。
「貴官、先ほどの意見具申は実によかった。名を聞いても?」
褒められた若手将校は苦笑とともに敬礼を返した。
「サザーランドです。階級は少佐になります。こちらこそ失礼いたしました。総司令官の執り成しのお陰でどうにか事なきを得ました。確かに敵を前に何もせず撤退など、落ち着いて考えれば恥ずかしい限りです」
「いや、反省には及ばない。少佐の言にも正しいところがあった。その視野の広さには素直に驚かされたものだ」
「……恐縮です、閣下」
やや歯切れが悪そうにサザーランド少佐は答えた。
「それで?今でも撤退すべきだと思うかね?」
「いえ。正直申し上げますと、分かりません。閣下のとられた対策があれば問題ないと思いますが……実のところ、あれは私が考えたことではないのです」
ディクソン中将は眉を上げた
「というと?」
「侵攻前に私の友人から忠告をされまして……。私はあくまでその忠告通りに発言したまでに過ぎません」
「……その者の名は?」
「リッカーズ大佐です」
その名を聞いた途端ディクソン中将は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「……なるほどな」
ディクソン中将がライバルと目しているサムエル・ビンガート大将――その懐刀ともいえる軍師の名前に他ならなかった。まさか、ここでその名を聞くことになるとは思わなかったディクソン中将は考えを改める必要に迫られた。
エリック・リッカーズ。ビンガート大将の麾下にあって、様々な戦略、戦術を打ち立て勝利に導いてきた智者としてガラック王国では名を上げつつある男である。撤退の話が無名の一将校からではなく、リッカーズ大佐から出たのだとすれば意味合いが大分違ってくる。
サザーランド少佐と別れ、ディクソン中将は行軍しながらしばらく黙然と考え込んでいたが、迷いを振り払うように首を振った。
リッカーズ大佐の忠告は刻一刻と変わる現場を踏まえた話ではない。それに対策も十分に立てている。そう思えば不安に思う必要などないではないか。
それにディクソン中将にも思うところがあった。西方の騎馬民族との戦いで大きな功績を立てたサムエルの階級は大将。ディクソン中将よりも一つ上の階級だ。だが、ラーザイルの西部の侵攻が成功すれば大将の地位は固い。それどころか、何もない草原と違って価値ある要地を抑えたとしてビンガート大将よりも一歩先んじることになるだろう。リッカーズ大佐の言葉に一々気にしてはいられない。
「勝利だ。それ以外に何もいらない」
そうディクソン中将は決意を新たにしたのだった。