ガラック王国軍
遡ること五日前。ラーザイルからさしたる抵抗もなくザストール川を難なく渡河し、付近の砦を制圧したガラック王国の総司令官――ケヴィン・ディクソン中将はとある報告に耳を疑った。
「なに?ペーター・シューマッハが殺された、だと⁉」
それは確かな報告か、とディクソン中将は驚きのあまり荒々しく身を乗り出す。肩幅の広い威風堂々たる体躯の持ち主であるディクソン中将から発せられる眼力は身を縮こまらせるのに十分だった。
報告した兵士は緊張した声で、予防線を張った。
「いえ。ですが、民や兵士を始め、口を揃えて言うのです。私が直接確かめたわけではないので、断言はしかねますが――」
「御託はいい。それで誰に殺された?」
「ヒルデ・シューマッハ、という者のようです」
「ほう……」
誰だ、そやつは。血縁の一人に違いないだろうが、ディクソン中将の記憶に結び付くような名前ではなかった。その気配を察した幕僚の一人がそれとなく補足した。
「先代ローベルト・シューマッハの長女です。ペーター・シューマッハの姪にあたる人物かと」
「なるほど。要は身内に寝首を掻かれたという訳か。つまらん結末だ」
決めつけるように言って、納得したディクソン中将は他に報告すべきことはないかと兵士に尋ねた。兵士は何もございません、と首を横に振った。
ならばよい、と兵士を下がらせたディクソン中将は、難しい顔で黙り込んだ。
この侵攻は裏切り者のペーターありきで計画されたもの。その裏切り者が殺されたとあっては、退くべきか。計画が漏れたのであれば、待ち構えている可能性も高いかもしれない。いや、あるいは混乱している今は却って好機なのでは。
様々な可能性が浮上し、取るべき方針に思い悩む中、傍に控えていた幕僚が口を開いた。
「このようなタイミングで公爵が亡くなるなど思ってもみませんでしたね」
「ああ。だが、思えば、あ奴らしい結末だったのかもしれん。しかし、せめてこの侵攻が成功するまでの間は生きてもらいたかったものだ」
冷たい言いようには違いないが、裏切り者の価値などその程度のものである。彼らの価値は裏切るその瞬間こそが最高なのであって、終わってしまえば始末に困るただのお払い箱だ。
だが、その分今回の侵攻では期待するところ大だったのは間違いない。前提が半ば崩れてしまった今、大きな分岐路に立たされてしまった。
全く役に立たん男だ、心の中でディクソン中将は毒づいた。口に出さなかったのは、ペーター一人頼みにしているようで嫌だったからである。
「いかがされますか?」
そう問う幕僚にディクソン中将は僅かに非難がましい目で返した。気楽に聞いてくれる。それを考えるのがお前たち幕僚の務めではないのか。
天幕の内で小さくない動揺が生じている。ディクソン中将は僅かな苛立ちとともに「落ち着け」と命じた。
その一言で、天幕の内は秩序ある鎮まりを取り戻す。
「死んでしまったものは仕方ない。が、我が軍としては、方針の再検討をしなくてはならない。さしあたってはこのまま攻めるか、それとも退くか。それについて議論しよう」
ディクソン中将は智謀を巡らすような戦略家ではない。だが、予想外の事態にあたって右往左往し、軽挙妄動に走るような凡将でもなかった。多少応変の才には乏しいが、二万五千の兵士を預けられる将器はある。