残された者
英雄が殺された事件はあっという間にラーザイル中に広がった。
公表された主犯はゲルト・ヴェルナー男爵だった。ローベルトと共に戦場を駆けた武人の裏切りに国内外問わず多くの人々が憤った。ヴェルナー男爵家の居城を民衆が斧や鍬を手に何重にも囲み、昼夜問わず怒りに満ちた罵詈雑言を浴びせ続けた。それは王の特使によってヴェルナー男爵家の縁者が捕らえられるまで約十日間にわたって続いた。それだけローベルト・シューマッハの人気は絶大だったのである。
沸騰した激情によってヴェルナー男爵家の未来は速やかに定められた。
火炙り。それが大罪を犯した縁者に与えられた処刑だった。処刑の対象に女子供の区別はなかった。物言わぬ死体となったヴェルナー男爵も無残な姿で火にくべられることになった。ヴェルナー男爵が名誉と命を賭して守ろうとした家族諸共一族全員が灰となった。
そして、この世からヴェルナー家一族を完全に消え去ることでようやく人々の怒りは鎮静化した。その後思い出したように涙が流れ落ちたのである。
ほどなくして執り行われた英雄の葬儀は多くの参列者による哀しみの声で満たされた。しかし、その葬儀場にヒルデの姿はどこにもなかった。
公的には家族を喪った心的ショックがあまりに大きかったため、と説明された。参列者の多くは気の毒そうに彼女が座る予定だった空席に視線を送った。
しかしである。実際のところ、それは次期シューマッハ公爵の地位を狙うヒルデの叔父ペーター・シューマッハがついた嘘であった。もしヒルデが式に出れば、そこで己と敵対する関係者と接触し、当主の座を主張し始めるかもしれない。少しでも不安要素を消したいペーターはヒルデを隔離することにしたのである。
それは葬儀の前日のことだった。見知らぬ男にいきなり拘束されたヒルデは部屋の一室に閉じ込められた。
「何をする⁈」
猿ぐつわを外され乱暴に床に転がされたヒルデは鋭い声を放つ。
すると、その声に応えるように暗がりからペーターが姿を現した。
「叔父、上……!」
叔父による犯行であることに驚きはなかった。しかし、まさかこんなにもすぐ仕掛けると思っていなかっただけに、自分の不覚をヒルデは感じた。
睨むヒルデにペーターは粘着質な笑みを見せた。
「そう怖い顔をするな。葬儀が終わるまでの間、一日ここで大人しくしていれば悪いようにはせぬ」
そして、ペーターは地面に転がるヒルデを見下ろしながら続けて言う。
「悪く思うな、ヒルデ。私とて心苦しいが、お前が式に出れば、よからぬ者が近寄ってくるかもしれないだろう?もしかしたらその者の心ない言葉で、お前の心が傷つくかもしれない。これはお前を守るための、いわば親心のようなものなのだ」
親心はおろか肉親に抱く僅かな情すら持ち合わせていないペーターはどこまでも利己的に言った。
「だから、私に全て任せろ、ヒルデ。女子供の出る幕はない。これは王もお認めになったことだ」
「…………」
――『王もお認めになった』。確かにペーターはそう言った。
ああ、とヒルデは怒りを通り越して納得した。
やはりこの件には王が関わっていたのだと。
―――――――殺す。
言葉にならない底知れぬ殺意がペーターを襲い、思わずびくりと太った体を震わせた。
最初、自分が何に恐怖しているか戸惑い、次にその恐怖がたかが十歳の子供相手に対するものだと気付いて羞恥で顔が真っ赤になった。
「な、な、なんだ⁉その反抗的な目は⁉」
ペーターの声がみっともなく裏返る。しかし、ヒルデは答えない。ただ、見つめ返すだけである。しかし、その内に秘めた感情はどれほど深く、黒く煮え滾っているのか。
ペーターは震える指でヒルデを指して、
「や、やれ!しつけが必要だ!こいつを押さえつけろ!」
と命令した。その命令を受けてそれまで無言で見守っていた男たちがヒルデを容赦なく地面に叩きつける。
「ぐっ……!」とヒルデから僅かに声が漏れる。それでようやくペーターの気持ちが幾分か晴れた。ペーターは「ふん」と鼻を鳴らし、
「思えばお前も家族を喪ったばかりだ。まだ気が動転しているのだろう。私に反抗的な態度を見せたことは許してやる」
と言い残して去っていった。
部屋にはヒルデが一人取り残された。全てを失い、奪われて残ったのは時間と体だけだった。
そして、葬儀も終わって数日が経った頃、ペーターが連れてきたのは、郊外の山荘だった。
「今日からここがお前の家だ。傷ついたお前の心を癒すのにちょうどいいだろう」
拒否などできようもない。今度は静養という名目でヒルデは軟禁されることになった。
「……殺されぬだけましと思うべきか」
やさぐれた呟きに答える声は何もない。しばらくヒルデは暗い天上を仰いだ。
哀しみに浸る間もなく、事はすでに相続争いの段階に移っていた。ヒルデ不在の状況に一部不審な声は上がっても、咎めるまでは至っていない。王や貴族の間でペーターを領主とする根回しが進んでいるようだった。しかし――
「関係ない。いずれ取り返す。そう。いずれは……」
その独白は己に言い聞かせるような響きだった。
一連の事件はアルネスタ歴一二三八年の出来事だった。