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帰路②

 森の中で一夜を明かしたヒルデたちは夜明けと同時に移動を開始した。が、数時間後馬を走らせながら、クララが真剣な顔で声を上げた。

「エミール。嫌な予感がする。敵が来たのかも」

「ああ、俺もだ。どうも今朝からそんな気がしてならねえ」

 まだ敵の姿は見えない。だが、第六感が警戒を呼び掛けていた。何となく居心地の悪い、奇妙な悪寒。荒事が近づいてきているのかもしれない。

 エミールはちらりとヒルデの様子を窺った。だが、ヒルデは落ち着いたものだった。

「昨夜話した手はず通りだ。いつでも戦う準備をしておけ。恐らく敵は前から来る」

 兵士たちは無言で頷き、指示に従った。相手が万全の体勢であれば、総勢九人という小部隊はあっという間に全滅するだろう。だが、こちらは不意を突かれたわけでもないし、気付かれているわけでもない。今はヒルデを信じて、行くだけのことである。

 ほどなくして、ヒルデたちの前に柄の悪い武装した集団が現れた。相手は目に入るだけで十人。所在なさそうにばらばらに周囲をぶらついていた彼らは、ヒルデたちの馬蹄の響きに顔を上げ、続いてヒルデたちに気が付くと喜色を露わにしてそれぞれの武器を取った。

 その中で頭目と思わしき髭の濃い男が大声を上げた。

「なりのいい剣を持った貴族の小娘!間違いねえ!ヒルデ・シューマッハだ!殺せ!首を取れば、俺たちは一生遊び放題だ!」

 色めきだった男たちは欲望に目を輝かせて、興奮の叫びをあげた。その口上と敵意を見れば、男たちがたまたま通りすがりの旅人たちであるはずもない。見間違いようもなくヒルデの命を刈りに来た敵であった。

 ほとんど同時にヒルデが叫んだ。

「クララ!」

「はいはい、姫様!世界一の弓使いの腕をお見せしますよっ、と!」

 クララは素早く弓を引き絞るとさして狙いをつけることもなく矢を二、三放った。一見雑に見えたその矢は恐ろしい正確さで対象を射抜いた。一つは弓使いの男の喉元を、もう一つはヒルデたちに最も近いところにいた男の右太腿を、そして最後の一つは頭目の眉間を正確に貫いた。

 絶鳴と悲鳴が森中に響いた。頭目は大金に溺れる夢を見たまま死ねただけ幸せだったのかもしれない。頭目を失い混乱する男たちを容赦なく矢が襲い掛かり、ヒルデたちが勢いを落とすことなく突っ込んでくる。それは待ち構えていた男たちからすれば、狩る立場と狩られる立場が一瞬にして逆転した悲劇だった。

 こうなってしまえば、賞金どころではない。ほうほうのていで草むらに紛れて逃げ出す男たち。ただ、たまたまヒルデたちの前に立つ形となってしまった哀れな男はエミールの剣によって、片腕が半ば切断された。

 ヒルデたちはそれを最後に一人も怪我を負うことなく通り過ぎた。

「あたしは六人!エミールは一人!これどう思います、姫様!」

「これ見よがしに煽るな!つうかこれで終わった訳じゃねえぞ!気を緩めるな!」

 ヒルデが上機嫌に応じた。

「そうだとも!だが、クララ、よくやった。これからも頼むぞ!」

 クララがニカっと嬉しそうに弓を掲げた。

「任せといてよ!あたしがいれば全然大丈夫だからさ!」

 後続の兵士たちが喝采を上げ、クララの弓の技量を褒めた。思わぬところから褒められクララは一瞬驚いた後、やや照れて「見たか!もっと褒めてもいいよ!」と言って兵士たちの笑いを誘った。

 しかし、まだ危機を完全に脱したわけではなかった。男たちの雄叫びと悲鳴を聞きつけたのだろう。ヒルデたちの走る先の方から、続々と敵の仲間が現れた。厄介なことに騎兵が多い。一方的に振り切るのは難しいだろう。回り道をしようにも、右隣は急斜面で左隣は低木が生い茂り、その中で馬を走らせることはできない。細い道は左右の展開が難しく、馬三頭を並べるだけで道が塞がってしまう。

「前を塞がれましたね」

「だがまだ薄い。突破は可能だろう」

 急いで来たためか、とりあえず前を塞いだというくらいで、それ以上の準備はされていないようだった。男たちには統率もなく、ヒルデたちを認めるや否や目の色を変えて突っ込んできた。

「こういうのは苦手か?」

 エミールはやや緊張した顔で苦笑した。

「正直に言うと。まあ、人並程度です。任せろ、なんては言えませんが、俺もやりますよ」

 エミールは静かに剣を抜いた。自分よりも年下の少女がこうも落ち着いているのに、おたおたしていられない。エミールにもそれなりの矜持があった。

 すると背後からも馬を駆る音が聞こえてきた。振り返れば、遠く離れたところから五、六騎ほどの集団が舌なめずりをして迫る。挟まれた。エミールが舌打ちと同時にぼやいた。

「やれやれ。厄介なことだ」

「奴らの目には私の首がこの世に二つとない宝石に見えるようだ。それだけ高く見積もられていると思えば悪くはないかもしれないが、こうも品のない奴らに囲まれては少々嫌気がさすな」

 危機的状況を前に微笑とともにヒルデが軽口を叩く。その後すぐに顔を引き締めて、指示を出した。

「私とエミールは先頭を行く!クララ!お前は後ろの騎馬の足を止めろ!」

 すぐに頷いたクララ。一方、兵士たちは慌てた。

「ヒルデ様!それでは御身が危険です!」

「この程度の危険を一々尻込みしていては、この先が思いやられるというものだ!迷っている暇はない!行くぞ!」

 ヒルデが剣を抜いて先頭を走る。

「「「おおおおおおおおおおっ‼」」」

 敵味方が同時に雄叫びを上げた。大胆か無謀か、ヒルデは突撃する敵を前に果敢にも先陣を切った。

 ヒルデの首を求めて、相手方の先頭で馬を駆る男がにやりと口元を歪ませた。逃げるわけでもなく、相手の方からやってくるではないか。なんと都合がいい。

 ヒルデより二回り大きな男の目に映るヒルデは脅威ではない。そんな華奢な体で剣を振るうなど、小娘がごっこ遊びに興じているようにしか見えないのだ。軽く捻り潰し、賞金を手に入れてやる。そんな感情が顔にそのまま表れていた。

 大男とヒルデとの間の距離があっという間に詰められる。大男が無造作に剣を振りかぶった。例えヒルデが迎え撃ってきたとしても剣ごと叩き切ってやる。恐ろしい勢いでヒルデを殺そうとする剣が振り下ろされる。

 すれ違いざまに一閃。それで決着が付いた。目に見えぬ速さで振るわれたヒルデの一撃で男の首から血しぶきが飛び、苦悶の呻き声とともに、馬上から崩れ落ちる。振り下ろそうとした大男の剣が手から離れ、地面に転がった。

 主の剣技を始めて目にしたエミールを始め兵士たちは目を見張らせる。

 だが、相手は一人ではない。その間にも新たな敵が近づいてはヒルデの前に立ちはだかる。先に一撃はただのまぐれだ。それかさっきの大男が油断しただけに過ぎない。男の目もまた先ほどの大男と同じく余裕の色が透けて見えた。

 ただその思いこそがまさに油断だった。続いてヒルデに剣を向けた男はヒルデの実力を証明するように、あっけなく切り伏せられ、絶叫とともに地面に落ちた。

 どうやら容易ならぬ相手らしい。とようやく気を引き締めた敵方はばらばらに攻めかかる愚を悟って、今度は二人同時にヒルデに襲い掛かる。片方の敵の一撃を受け流し、ヒルデは反撃とばかりに返す剣で相手の左肩に深手を負わせた。しかし、その隙を逃すまいともう一人残っていた敵がヒルデ目掛けて剣を振り下ろす。

 だが、その剣がヒルデに届くことはなかった。見ればエミールの剣が相手の脇腹深く貫いている。脇腹を貫かれた男は青ざめた顔で負傷した箇所を押さえると、力なく斃れた。

 エミールが叫んだ。

「あなたに護られるばかりでは護衛隊長の立場がありません!少しは自重をしてもらいたいものですね!」

 ヒルデはぎこちなく片頬で笑って応じた。自分の血が沸騰したような熱さで、声を出すのも億劫だった。気が付けば肩で息をしている。初めて人を斬った感覚が手の中に残っている。戦いの中で感じた高揚感が途端に苦みを増したような気がした。

 ヒルデはふうっと息を吐いて、気を取り直した。感傷に浸っている暇もない。他護衛の兵士たちもうまく応戦し、敵を数人撃退している。そして今、ヒルデが二人を倒すと同時に前の突破口が開かれたのだ。ヒルデたちはその穴を目指して一直線に疾走する。

「おおー!うちの姫様は勇ましいなあ!」

 最後列からヒルデの様子を見ていたクララが素直に称賛の声をあげる。「さて、そろそろかな」と背後を窺った。

 前方の敵は突破し通り抜けたものの、先の戦いで落ちた勢いの分、後ろの距離は詰められている。相手は六人。いずれも騎兵だ。だが、クララに恐れは何もなかった。

 クララは馬を前に走らせながら器用に身を捻り、背後の敵に向かって弓を引き絞る。

 追いすがる先頭の男とクララの目が合った。クララは無邪気に首をかしげて矢を放った。放たれた矢が当たり前のように先頭の男の喉を射抜いた。男は僅かな絶鳴を最期にこの世を去った。クララはその結果を目に収めることもなく、続けざまに矢を放ち続ける。

 安定しない体勢にも係わらず、その狙いはどこまでも正確だった。まるで、狙った先に糸が繋がっているのではないか。そう疑うほど人や馬の区別もなく、クララの矢は無駄なく相手を射抜いた。

 クララが弦を鳴らすたびに追っ手が一人、また一人と脱落していく。

四度目にして男たちに動揺が走る。残っているのは僅かに二人。いかに大金が積まれようとも、己の命と天秤はかけられない。敵う相手でないならば、ここは諦めるべきか。

 そんな思いが追撃の速度を緩めさせた。だが、ふいに背後を振り返った男たちは、後続に味方が追いかけていると気付いて、再び闘志を漲らせた。まずは彼らと合流してから再び追撃すればいい。

 そう期待した男たちが再び前を向いたとき、すべてが終わっていた。一人は右肩を深く貫かれ、痛みのあまり馬上で蹲る。もう一人は馬の首を射抜かれて、騎手が勢いよく地面に投げ出される。

「よっし!仕事終わりっと!」

 次の追撃部隊はまだ遠くにいる。先に斃した六人とその馬が道を塞いでいることを思うと、引き離すことは容易だろう。

 全く危なげなく殿を務めたクララはヒルデたちの許に合流して、その場を脱した。

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