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王都到着

 それから数日が経ち、ヒルデたちは無事王都ゼーリゲンベルクにたどり着いた。王都のシューマッハ公爵の屋敷は久しぶりの主人の来訪で慌ただしい在り様だった。

 仕方のないことである。使用人たちの前の主人であるペーターが殺されて、ヒルデが新しい主人になったという。そんな噂が突如降って湧いたように現れた。天変地異のような大事件以外の何物でもない。しかも使用人たちは何も知らないし知らされてもいない。

 噂が起きてすぐに、王都付近の貴族たちがシューマッハ公爵の屋敷に詰め寄った。だが、使用人たちは遠方の地で起きた事件を何も知らない。分かりませんと冷や汗を大量に流して答えるほかなく、ゲールバラにいる縁者や友人に早く教えてくれと手紙で急かすことしかできなかった。

 それでも使用人たちは、ヒルデたちを迎え入れること自体に反対はなかったのである。というのも、噂から数日たってヒルデの状況と来訪を知らせる手紙が送られたからである。噂とほとんど変わらない内容の手紙を読んで納得した使用人たちは、反対どころか涙を流して喜ぶ者もいたくらいであった。

 どのような事情か把握しきれてはいないが、使用人たちの多くは幼い頃のヒルデの顔を知っていたし、『英雄』ローベルトの娘ということで好意的だった。一方のペーターは公爵位を継いで以来、王都を訪れたことは一度もなく、それどころか使用人に対して給金を出し渋り、ほとんど放置していた。これほど接触がなく、また冷たくされては忠誠心を捧げるのも難しいというものであった。

 ヒルデが到着するころには屋敷は一旦の落ち着きを取り戻していた。五年ぶりの新しい主人の来訪。さて幼かったあの子供はどう成長したのだろう、と新しい主人を待ち構えていた使用人たちはヒルデの凛とした美しさに目を奪われた。果たして本当にペーターをこの少女が殺したのか。その疑念が吹き飛ぶほどの衝撃を受けて、使用人たちはひとまずそれぞれの仕事に専念することにした。

 少し離れたところで様子を観察していたエミールは一人小さく息を吐いた。

「本当に人の心を掴むのが上手いものだ、ヒルデ様は」

 溜まっていた書類に目を通し、王宮への参内の準備を進めるなど自分の仕事は怠らず、その上で周囲への気配りは欠かさない。時折、すれ違う使用人たちには気さくに声をかけ、温かく労った。相談があれば嫌な顔一つせず、耳を傾け、真摯に向き合っている。ヒルデと会話する前と後では使用人たちの忠誠心の強さがまるで違うと目に見えて分かる。

 未だ警戒は怠るべきではないが、屋敷内の警戒は他兵士に任せて別件に労力を割いた方がいいかもしれない。短時間の内に屋敷全員から敬愛すべき主として認められたヒルデの力量にエミールは心から感心した。

「これで十五歳か。なんというか頭が下がる」

 十五歳でそこまでできる人間がどれほどいることか。少なくともエミールが十五歳だったころはもっと生意気で気楽に日々を送っていた。

 さて、とエミールが護衛の任務を離れて動き出そうとしたとき、廊下をけたたましく走る音が近づいてきた。誰か、と訊ねるまでもなくその正体をエミールは知っていた。足音の主はエミールの前で急停止して、白い歯をきらりと見せた。

「どう、エミール?見てよ、これ!いい格好だろ?似合わない?」

 クララがメイド姿となって自慢している。鼻歌交じりに軽やかに一回転するとスカートの裾をつまんで一礼。顔を上げて、ウインクをした。

 どこから言っていいものかとエミールは深刻に頭を押さえたものの、諦めた。ただ脱力して適当な感想だけを言った。

「おお、似合う、似合う。似合うが、却ってバカさ加減が目立っていけねえ」

 要は肝心なところが似合ってない。するとクララが猛烈な勢いで反発した。

「どこがだよ!楚々としておしとやかな感じがするだろ?立派なメイドだ!」

 それこそどこがだ、とエミールはこれ見よがしに盛大なため息を付いた。これでヒルデと年が変わらないのだからつくづく情けなくなる。せめてヒルデの十分の一でも落ち着きや品位があればと思わずにはいられない。

「あー、皆さんはどう思いますかね」

 エミールが周囲に感想を求めると、返事に困ったように護衛の兵士やメイドたちは微苦笑した。新しく入った普通の使用人ならば、ここは由緒正しい公爵の屋敷だ、そんな礼儀も弁えずはしゃぐな、と容赦なく折檻していただろう。が、彼ら彼女らはクララがヒルデに気に入られているようだと察している。主人の不興を買う危険を冒してまで、クララを叱りつける気にはなれない。ただ、お世辞にも立派なメイドとは言えなかった。

 エミールはその心の動きを知っていて、クララへの否定材料とした。実際、大きなところで間違っているわけではない。というより、護衛の仕事を放って遊んでいること自体が間違いだ。

「これが答えだ。お前はメイドを舐めている。ペトラが見たら泣くぞ。いいからこっちの服に着替えて町に出るぞ」

 エミールは育ちのよさそうな町娘の衣服を荷物から取り出して、クララに押し付ける。正直、この格好をしても服に着せられている感があるが、品性の欠片も感じない子供がメイドの装いをしているよりもよっぽどましである。

「えー、地味ー。これがいいー。どうせ着替えるなら、可愛い服がいいー」

「あー、そうだな。さっさといくぞー」

 エミールは駄々をこねるクララを引きずって、王都の町中へ向かって行った。実際のところクララを連れる必要はなかったが、じっとしていられる性分ではない彼女から目を離すわけにはいかなかった。ヒルデには既に断りを入れてある。

「ていうか、エミール。あたしたちは何をしに行くの?」

 エミールはうんざりした顔で答えた。

「ラルフから言われていた用があっただろうが。情報収集だよ。忘れたとは言わせねえぞ」

 盗賊崩れのエミールが王宮内に入ってできることはまずない。エミールの役割は別にあった。


 旅の荷を下ろし、旅装を解いたヒルデは明日に控えている謁見に備えて準備を整えていた。

 明日でよかった、とヒルデは心から思った。常識的に考えればペーターの件は事件の重さから即座に王宮へ参内し、報告しなければならないところ。が、予定外のことを嫌うシルヴェスターから謁見の時間に変更はないと連絡があった。おかげで気持ちに余裕ができた。

 しかし、ヒルデは明日の謁見が無難に終わるものとは楽観視していない。ただしおらしくしているだけでヒルデの行為が認められるようなことはないだろう。

 相手はあのシルヴェスター。ヒルデの家族を謀殺した仇である。家族を殺しておきながら、その娘に対してふいに情に絆される心なんて持ち合わせているはずもない。むしろ警戒を強めてしかるべきだ。

「大義があればいいというものではない。大義として認められなければならないのだ。それが白でも黒でも灰色でも」

 ヒルデは父の形見であるルビーのペンダントを握りしめ自分に言い聞かせるように呟いた。

 賽は投げた。結果として、出だしは上々。筋書きも整え、楔も新しく打った。だが、最後の一押しが必要である。それが玉座の間で行われるのだ。

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