道中
ミランダ王国の王都ゼーリゲンベルクにヒルデは向かっている。あまり舗装されていない荒れた道を馬車で行きながら、ヒルデは外を眺めた。
忙しさで忘れていたが季節は春の半ば頃。ラルフと出会ってから激動の毎日であったが、季節は変わらず長閑な春で時間の流れが緩やかに感じられた。木立の間から温かな日差しが微睡みを誘い、心地よい風が花の香りを伴って、ヒルデの髪を優しく撫でて通り過ぎていく。
ただ、彼女の新しい従者にとっては春の景色がどうであろうと関係のないことであった。
いきなり鋭い風切音が飛んで、次に小さな獣の悲鳴が聞こえた。ほぼ同時に、明るくはしゃいだ少女の声が春の眠気を吹き飛ばす勢いで騒がしく響き渡る。
「やったあ!今日は兎肉だ!見たかよ、エミール!自分で言うのもなんだけど、あたしの弓の腕ってもしかしたら世界一じゃないかな?」
少女の名はクララ・ヒッツ。馬に跨り、手にした弓を自慢げに掲げ、嬉しそうに隣の青年に笑いかける。遠くの目立たないところにひっそりといた兎を素早く正確に射抜いた弓の腕前は確かに目を見張るものだったが、無邪気な笑顔はあどけなく、この少女がヒルデの護衛一人とはなかなか結び付かない。
クララと馬を並べて、道を進んでいた青年のエミール・ローゼンは立場を忘れてはしゃぐ同行者にあしらうような返事をした。
「ああ、すごいすごい。後でラルフに言ってやるさ。クララは世界一立派な兎狩りとして頑張っていたってな」
「やっぱりそう思う?そうだろ?あたしは世界一の兎狩り――」
得意げにそこまで口にしてようやくエミールの皮肉に気づいたようだった。クララは細い眉を逆立てて反発した。
「いや、それどういうことさ⁉あたしが世界一なのは弓の腕!兎狩りじゃない!」
「そういう話じゃねえ!ったく、皮肉も通じねえとは、やってらんねえぜ。遊んでねえで働けってことだよ!あと、さっさと獲物を取ってこい!もったいねえからな」
「遊んでないって!あたしはまじめだよ!」
「あー、はいはい。遊んでないよなー。真面目に好き勝手やってるだけだよなー」
エミールのどうでもいいから早く行けという仕草を見て、クララは頬を膨らませた。
「ほんっと、むかつく!はいはい、取ってきますよーだ。そんなだからエミールは女の子にもてないんだよ!」
そう言い残して、クララは馬から素早く降りて兎を取りに行った。そんなクララの背中に向けてエミールは「お前のような女がそういるか」と悪態を返した。クララは聞こえていないようだった。軽々とした足取りで、草木の奥に入っていく。
エミールとクララ。この二人はラルフが護衛に、と付けた黎明の狼の一員である。他四人ゲールバラの兵士とともにヒルデを守って王都に向かうことになる。護衛人数が少ないのは、王や貴族を刺激するようなことを避けるためであった。それに人数が多ければ、それだけ移動に時間がかかる。領内に問題が山積みしている今、なるべく手早く終わらせる必要があった。
そんな護衛の隊長をラルフはエミールに任せた。誰が敵で味方か分からないこの状況下では単なる腕っぷし以外に機転が必要になる。そこを買われてのことだった。
エミールは身長も平均的と言ってよく、体格に恵まれているわけではないが、ラルフが任せただけのことはあって、有能な青年のようだった。これまでの道中を見る限り、卒なく物事をこなし、隊長として護衛の皆をまとめて任務にあたっている。砕けた態度は見せつつも根は真面目なのだろう。責任感の強さは随所で見られたし、信用に足る男だとヒルデは内心認めた。
「なかなか楽しそうだな」
ヒルデが馬車の窓から顔を出して声をかけると、エミールは苦笑した。
「ああ、ヒルデ様。失礼しました。どうにもせわしない性分でしてね。お許しください」
「構わん。道中張り詰めて一言もない、というのも寂しいものだ。それに仲の良い兄妹を見ているようで、退屈しない」
「それはそれは。お恥ずかしいことで」
そう言ってエミールは少し苦い顔をして、頭を掻いた。
「出来の悪い妹のようなものです。頭の出来はどうにもなんですが、なまじ才能があるところが、逆にどう扱っていいか悩ましい奴でして」
気を揉んでいるエミールの姿が目に浮かんだのかヒルデはおかしそうに笑った。
「お前も苦労しているようだな」
「ははは……まあ、そうですね。色々と……」
エミールが明後日の方を向いて、乾いた笑いをした。正直に言えば何もかもである。黎明の狼で癖の強い荒くれ者に振り回されるのは専らエミールの役割であった。
するとちょうどその時、いつの間にか戻っていたクララがひょっこりと顔を出した。
「姫様、姫様!さっき兎を獲ってきましたよ!小腹が空いてきてはいませんか⁈新鮮なうちに、食べた方がいいと思いますがどうでしょう!」
有り余る元気をそのまま勢いにして提案するクララに、エミールは頭痛でもしたかのように額を押さえる。自由奔放で本人は楽しいかもしれないが、手綱を引かなければならない立場としてはまるで御守をしているような気分である。なんでラルフは護衛任務というクララに向かないような仕事を任せたのか、エミールはラルフを心の中で恨んだ。
一方のエミールの新しい主人はその天真爛漫なクララを気に入っているようだった。年が近いということもあるだろう。愉快そうに笑って、「そうだな」と頷いた。
「このあたりで休憩を挟むとしようか。折角だ。その兎肉を私にも少し分けてくれると嬉しいな」