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次の方針

 シューマッハ家当主を宣言したヒルデであったが、実のところまだ正式に当主の座には就いていない。というのも、当主の座に就くにはミランダ王に認めてもらう――つまり、王から正式に公爵位を叙爵される必要があったからだ。王に認められなければ僭称ということになり、ラーザイル貴族としては非常に危うい立場となる。現時点では仮の当主というべきであった。

 一方で、ヒルデが事実上の当主であることを疑う者は誰もいない。ペーター亡き今、ヒルデ以外にシューマッハを継ぐに相応しい血筋はなく、また占拠時に、極力被害を出さないようにしたこと、前当主であるペーターがかなり憎まれていたこともあって、好意的に迎え入れられた。

 だが、安心ばかりはしていられない。領内のことだけでもやることは山積みであった。領内を把握し、支配を安定させなければならない。ペーター側の家臣がヒルデに逆らってくれば、それを討伐しなければならないし、ペーターの残した悪法の撤廃、税の低減もすぐに行った方がいいだろう。他にも挙げれば数え切れないほどの問題が残っている。

 ヒルデはほっと息をつく暇もなく、それらの課題に取り掛かることにした。といっても、それ以上に大切な用事が控えていることもあり、彼女に与えられた時間はそれほど多くない。

 元々ペーターが使っていた執務室でヒルデは書類をめくり、官吏に確認を行い、必要最低限のこと――ここでは食糧事情と財政の確認、そして悪法の撤廃と税の低減、生活に困窮した救済策を即座に実行し、布告することにした。

 守銭奴と呼ばれただけのことはあって、ペーターが蓄えてきた財は大したものだった。向こう数年分の財が帳簿に数字となって現れている。新体制になって何かと物入りになることが決まっていたとしても、財政面で心配するようなことはなさそうだった。

 ヒルデは方針を示した後、官吏たちに直ちに取り掛かるよう指示を出し、ついでにラルフを呼んでくるよう命じる。

 彼らが退室した後ヒルデは深々と息を吐き、天井を仰いだ。五年ぶりに戻った居城ゲールバラ。懐かしさの感慨に浸る間もなかったが、それでも時折五年前の光景がふとした拍子に蘇り、小さく胸を刺した。不快ではないが、やはり物悲しい気持ちになり、その感情を持て余してしまう。

 ペトラが気づかわしそうにヒルデの様子を窺っている。敬愛すべき主の成功を誰よりも喜んだ彼女はこの城に移ってからもヒルデの身の回りの世話を一手に引き受けている。

「ヒルデ様。もしよろしければ、お茶をお淹れしますので、一息つかれてはどうでしょうか……?」

 一段落した状況を見計らってペトラが声をかけた。

「そうだな。そうするとしよう。よければお前も一緒にどうだ?」

 ペトラが顔を輝かせて「はい!」と答えた。てきぱきと動き、慣れた様子で用意を進めていく。その様子を慈しむようにヒルデは眺めていた。

「お待たせいたしました!」

 ヒルデは茶菓子や紅茶の用意された席に着き、紅茶に口を付けた。

「やはり、ペトラの淹れてくれる茶は格別だ。人心地ついた気がする」

 ペトラは「ありがとうございます!」と心底嬉しそうな笑みで応じた後、その表情を僅かに曇らせた。

「ヒルデ様、このところ根を詰め過ぎではないでしょうか?無論、ご当主となられたばかりの今が重要な時とは承知しておりますが、ヒルデ様のお身体が第一です。あまりご無理をなされては、身体が持ちません」

 正しくは当主になっていない。が、ヒルデは細かく指摘するようなことはしなかった。領内のほとんどの人間がその認識であることは間違いなく、敢えて否定するほどのことではなかったからだ。

「それは心配をかけたな。だが、無理はしていない。健康管理には気を付けているつもりだ」

「だといいのですが……」

 なおも心配そうな顔をするペトラ。あまりこの話を続けてもよくないか、とヒルデは話題を転じることにした。

「ところで、ペトラ。たしか、この城は初めてだったな。どうだ?」

「それはもう!何から何まで驚かされました!」

「ほう?例えば?」

「まず広いです」

 ヒルデは苦笑した。

「それはそうだ。あの屋敷とはまるで違うだろう」

「ええ、とても長い廊下もそうですし、お部屋もたくさんありました。大広間も驚くほど広いです。調度品も数え切れないほどあって……恐らく私一人では掃除しきれません……!」

 真面目な顔で言うペトラにヒルデは小さく吹き出した。

「いやいや、お前一人に任せるものか。他のメイドもいただろう?」

「もちろんです。メイドだけでも二十人はいました。すごいですね。大きさも人数も今までとはまるで違います。ヒルデ様はここで育たれたのだと、改めて思いました」

 「まあな」とヒルデは答えた後、少しばかり心配そうに確認した。

「言いにくいことかもしれないが、他のメイドたちにひどい扱いを受けていないか……?もし何かあれば――」

 ペトラは慌てたように手を振って否定した。

「とんでもないです!お優しい方ばかりで、色々と教えていただいております!」

「そうか。仲良くできているようで何よりだ」

 ヒルデはほっと胸をなでおろすと、ペトラはくすくすと笑う。

「大袈裟ですよ。私もまだ小さいとはいえ子供ではないので。ご安心ください」

 その微笑ましさにヒルデは笑みを漏らす。

「何かおかしかったですか?」

 「いや」とヒルデは首を振った。

「お前が初めて私に仕えたのは四年前のことだ。未だにその印象が強くてな」

「ひどいです!さすがにあの時とは違いますよ!私も大きくなりました!」

 ペトラが胸を張る。その後、ヒルデと一緒に楽しそうに笑いあった。

 ふいにヒルデは懐かしさに目を細めた。

「懐かしいものだ。お前の母マリアにも見せてやりたかったものだ……」

「ヒルデ様……」

「知っているか?マリアは昔ここのメイドだったのだ」

「はい。存じております。母がそう言っていました」

「そうか……」

 ヒルデは過去に思いを馳せるように視線を漂わせた。そこに物悲しさを見て、ペトラは慰めの言葉を口にする。

「……あの、ヒルデ様。どうか気を落とされぬよう。母の死は病によるもの。ヒルデ様のせいはありません。それにヒルデ様が当主となられたこと、あの世で私の母も喜んでいるに違いありません」

 ヒルデは目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。

「そうだな。とすれば、その期待に恥じぬようにせねばな」

 その後、物悲しい雰囲気を切り替えるように、ペトラが城で発見した数々を面白可笑しくヒルデに話をした。ヒルデも気を緩めて楽しそうに笑った。身分で言えば大きな違いはあるが、傍から見ていると仲の良い姉妹のようで、その瞬間だけはヒルデも年相応の少女の顔だった。

 その時ドアがノックされた。無邪気な少女の顔が一瞬にして引き締まる。「入れ」とヒルデが許すとラルフが姿を現した。

 ヒルデの次に忙しい人間といってもいいこの男は軍事面をほぼ一任されていた。今後軍を自ら率いるつもりであったヒルデも加わりたいところだったが、ペーターによって放置され、積み上げられてきた内政の問題があまりに多く、そちらに手が回らなかったためである。

 「任せろ」の不敵な一言で応じたラルフはすぐに行動を開始した。シューマッハ家の軍編成の理解と統率がラルフの急務だった。ここ数日ラルフはシューマッハ家臣との調整、指揮確立に奔走していた。

 黎明の狼であるラルフ達は、ゲールバラの武官たちにとってはよそ者である。しかも盗賊集団ともなれば、例え当主の命令であると言っても受け入れがたい存在だ。その頭が、自分たちの上官として突然現れた。当然武官たちの不満は大きく、ヒルデの命である以上大っぴらに文句は言わなかったが、それでも内心で憤りを感じていた。

 だが、ラルフはたった数日の間に彼らをまとめ上げてしまった。本人曰く、

「大した話ではない。腕に覚えのある奴を決闘で軒並み倒してやった。それでみんな黙らせた後、潰れるまで酒を飲み交わせば終わりだ」

「……そういうものか?」

 それだけでわだかまりが解けるものなのかと半信半疑に問うヒルデにラルフは鼻を鳴らした。

「奴らが見たいのは実力だ。己の上に相応しいかどうか、納得する何かがほしいだけ。もちろん、今すぐに完全に認められることは無理だろうが、当面はこれで十分だろう」

 その実力は飲みっぷりのことか、とトーマスならにやけ面で茶化しただろう。

 が、真面目なヒルデはふむ、と納得しきれていないが頷いた。実際、ラルフは武官だけでなく、他文官とも気さくに打ち解けているように見えた。斜に構えてはいても、立場を気にすることなく分け隔てなく陽気に接する態度がそうさせるのかもしれない。

 さて、ヒルデの執務室を訪れたラルフは少し驚いた顔をした。

「これはこれは。歓談中のところだったか。こちらに来てくれと言伝をもらったのだが、後にしようか?」

 第一の家臣は主人を前に特段かしこまることなく皮肉っぽく尋ねた。ヒルデは笑った。癖の強い男だが、影のない声ぶりが奇妙なおかしさをもたらしてくれる。

「いやいい。何ならお前もどうだ?」

「そうか?なら遠慮なく」

 ラルフは手近にあった椅子を引き寄せてどっかりと腰を下ろした。ペトラの用意していた机の上にある茶菓子を一つ拾い上げ、ひょいっと口に運ぶ。

「なるほど。うまい」

 ラルフの無遠慮なふるまいにペトラは眉を顰めて窘める。

「もう少し品というものを身に着けてはどうですか、ラルフ様。第一の臣下が聞いてあきれます。というより恥です。あなたは騎士になったんですよ?」

 ラルフはゲールバラ城を占領して早々シューマッハ家の騎士に任じられていた。ヒルデの右腕となる以上ある種の肩書は必要という考えからの叙任だった。最低限の立会の下行われた叙任式だったが、ラルフもまた貴族の一員となったのだ。

 貴族嫌いの名の知れた黎明の狼の棟梁が貴族になることで、組織に亀裂が入らないかヒルデは心配したが杞憂だった。黎明の狼は分裂することなく、ヒルデの次の計画のために精力的に動いている。

 ラルフはおおらかに笑って、もう一つ菓子をつまみ上げた。

「まあ固いこと言うな。我らの仲ではないか」

「主従の関係です!そのふざけた態度いくらヒルデ様がお優しいからって――」

「よい、ペトラ。そう怒っていては、お前の茶の味が楽しめない。この場は許してやれ」

「ヒルデ様がそうおっしゃるなら……」

 渋々ペトラは怒りの矛を収めた。当のラルフが気にした様子は全くない。

「分かっているとも。公の場では意識するさ。――でだ。ヒルデ。人使いの荒い我が主よ。こちらは諸々の事後処理や確認だけでなく、お前の命で色々と忙しいわけだが、まだ足りぬようだ。この上、何をお望みかな?」

 皮肉たっぷりにラルフは尋ねた。優雅に紅茶をすすり、ヒルデの反応を待つ。

「ここですべき急ぎの用事は粗方片付いた。そろそろ次の段階に進もうと思ってな」

 意味ありげにヒルデは言った。ラルフはその言葉だけで全てを理解したようだった。

「なるほど。なかなか忙しいな、お前も」

「そうだとも。だが、放置していられる問題でもないから仕方ない。明日にでもここを出ようと思うが、例の首尾はどうなっている?」

「問題ない。すでに手配は済ませている。ここ数日で大分広まったはずだ。出発の準備もできている」

「仕事が早いな。悪いが留守は任せるぞ」

「ああ、任された。さっさと終わらせて帰ってくることだな」

分かる者同士でなされた二人のやり取りに、一人会話から取り残されたペトラがきょとんとする。

「え?あの、先ほどから話が見えないのですが、出発とはどこにですか?」

 ヒルデは口元をほころばせて疑問に答えた。

「ミランダ王の許へ向かうとする。いささか面倒ではあるが、王に私のことを認めてもらわねばな。なに、ちょっとした挨拶のようなものだ」

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