裁きの日④
ヒルデ達は抵抗をやめた兵士たちの監視のため、数人を城門近くに置いた。万一兵士たちが再び裏切ったときただちに連絡をするよう指示を出して、城内に入っていく。城内に入るとヒルデは予定通り部隊を二つに分けた。一つはペーターへの追撃、もう一つは食糧庫や宝物庫を抑えることが目的である。
「騒動に乗じて盗む者もいるかもしれんが、それよりもペーターの方が心配だ。奴にせっせと貯めこんだ財と心中されては敵わんからな。財は生きている者のためにあるのだ」
そう言って、ラルフは食糧庫や宝物庫の方を部下に向かわせた。万が一焼身自殺でも図られて、蔵の中身が失われることを危惧したのである。
ただラルフ自身は「もしもの時、主人のご乱心を止められるのは俺だけだからな」、という本心かどうか分からない理由でヒルデの隊に残った。
何にも憚ることなくずかずかとラルフが先行して前を歩いていると、城内の兵士二人が慌てて剣を抜いた。
「なっ⁉なんで賊がこんなところに⁈」
屋外で起きた事情をまだ知らない兵士たちは白刃をきらめかせて襲い掛かったが、あっさりとラルフに剣を弾き飛ばされた。所有者の手から離れた二本の剣が宙を舞い、虚しい音を立てて地面に落ちる。
一瞬の出来事に呆然とする兵士たちにラルフは片頬で笑う。
「賊か。ふふ、確かに俺たちは招かれざる客だ」
ラルフ達と一緒にいたトーマスが顔をにやつかせて応じた。
「何言ってんだ、ラルフ。俺たちは賊なんかじゃねえ。姫さんがすぐ後ろにいるじゃねえか」
ラルフが真面目腐った顔で頷いた。
「そうだった。俺としたことが。つい忘れそうになるが、こう見えてうちの主は公爵家の一人娘だからな。こう言っては何だが、姫という気が全くしない」
「違いねえ。守られるって柄じゃねえよな」
「何ならそのまま盗賊の首領として通用するんじゃないか」
「ああ、その通りだ。つうか、実際俺たちの頭だった」
二人が馬鹿笑いすると後から供を引き連れてやってきたヒルデがわざとらしく咳払いした。
「黙って聞いていれば言いたい放題じゃないか、お前たち」
ヒルデは戸惑う兵士たちに近づくと、自分の名と状況を手短に伝えた。
「もし私を認めてくれるのであれば、お前たちは城外に出てボリスに従え。嫌ならばしばらく拘束させてもらう」
そう告げると兵士たちはヒルデの言葉に従って門のところにいるというボリスの許へ向かった。そういったことが二、三度ほどあった。城兵の多くはヒルデたちが最初に通った門にいたこともあって組織抵抗はほとんどなかった。
ヒルデのことを知らない一兵士からすれば今すぐ味方する気にもなれない。が、かといって再び剣を向ければ、今度は首が飛ぶかもしれない。状況が分からない今としてはひとまず頷いておいて、他の面々と行動を共にするべきだ。
それが目まぐるしく動く状況下で行きついた兵士たちの考えだった。
無論、ヒルデたちもそういった考えがあることは承知の上であった。うわべだけは従いつつもいつ気が変わって刃を向けるか分からない。兵士の気が移ろいやすいから、ということではない。どちらが正しいか、あるいはどちらの味方に付くべきか難しく、状況次第ですぐに変わりうるということであった。
その分水嶺があるとすれば、今であった。可能性が低いとはいえ、今ここでペーターを仕留めそこなえば、逃げた先で反旗を翻し、本格的に血みどろな戦いが始まってしまう。そうなれば他貴族からの後ろ盾がないヒルデが不利になることは間違いない。
「ペーターは我が父ローベルトを殺したラーザイルの仇である!奴がどこにいるか知らせた者には一生暮らしていけるだけの褒美をくれてやる!なんとしてでも捜し出せ!」
ヒルデ自身に焦りはなかったが、ここで気を緩め、万が一のリスクを作るつもりはなかった。
城の制圧がほぼ完了しつつあることを感じ取ったヒルデはペーターの追撃を黎明の狼の仲間たちに任せて、ラルフと他数人で広間に陣取った。
ほどなく仲間の一人が「頭!」とラルフ達の許へ駆け寄ってきた。
「どうした?」
「ペーターの野郎を捕まえました。どうします?」
「ほう。早いな」
「簡単でしたよ。宝物庫の奥でぶるってやがりました」
仲間の男はおどけるように身振りを交えて答えた。
男たちの知らぬことではあったが、ペーターは最初城外に脱出を試みたのである。だが、どこに脱出しようとも何千人もの群衆に遠巻きに囲まれていることに気付いて、呆然とした。群衆の前に姿を現せば、己の身がどうなるかは容易に想像がついた。結局、どうしていいか分からず、宝物庫に引きこもったのだ。
「なるほど。いかにも奴らしい」
くくっと笑ってラルフはヒルデに視線を送る。ヒルデが頷いたのを見て、ラルフは「連れてこい」と短く命令した。
すぐに縄できつく縛られたペーターがヒルデたちの前に引きずり出された。もぞもぞと不自由な体を動かし、抗議の目をヒルデたちに向けた。生理的な嫌悪を抱かずにはいられない濁った瞳だった。
ヒルデは冷めた顔で人払いを命じた。広間にいるのはヒルデとラルフとペーターの三人だけである。
噛みつかんばかりにペーターが口汚くののしろうとしたその時、ペーターの眼前にラルフがずいと近づいて、嘲笑とともに言った。
「お初に。ペーター・シューマッハ。随分と無様な姿を晒したものだな。見世物としては中々だったぞ」
「黙れ、卑しい身分の下民風情が!私に偉そうな口を利くなッ!」
ラルフは呆れていいのか感心していいのか分からなくなった。先の戦いにおける怯えきった醜態が一転して、鼻息荒く吠えている。だが――
ラルフは失笑を漏らした。
「その様では何を言おうとも笑いの種にしかならんな。市中にでも晒せばいい金になるかもしれん」
そう言ってからラルフは首を振った。
「だが、そうもいくまい。お前のような腐った男にかまけている時間もないでな。今はせいぜいそこで道化として俺を楽しませてくれ」
「貴様……!」
怒りでペーターはこれ以上ないほどに顔を真っ赤にさせた。生まれてこの方、これほど虚仮にされたことはなかった。ましてや相手が貴族や平民以下のごろつき連中と思えば、ペーターの怒りと羞恥は臨界点を超えていた。だが、今のペーターに出来ることは口を動かすことだけだった。
「下賤な人間の分際で!私を愚弄した罪決して忘れぬ!貴様の名を聞かせろ!後でどれほど許しを請おうともお前だけは許さぬ!」
ラルフは冷ややかに見下ろした。
正しい状況判断ができていればこの台詞は出てこないものだ。進退窮まった極限状態のせいか、ペーターは貴族である自負が急速に大きくなり、未だ自身が優位にあると夢想しているようだった。ラルフは侮蔑の感情を隠さず言った。
「後……?お前に後なんてあろう訳もないが……まあいい。正直、お前に名乗る価値など微塵もないが、このままだとあまりに不憫だ。では、改めて。俺の名はラルフ。黎明の狼の頭をしている」
「なっ……⁉貴様が……⁈」
信じられないとペーターは目を大きく見開く。だが、それが嘘でなさそうだと察すると今度はラルフを凝視した。恐怖よりも先に驚きがあった。ラーザイル中で名を轟かせる黎明の狼の棟梁がこれほど若いとは思わなかったのである。
「そうだ。そしてついでに言うと、この度我が主ヒルデ・シューマッハの家臣となった。微力ながらも主の覇業に身を捧げるつもりだ」
「なんだと……⁈」
驚愕の許容度を超えたペーターは口をあんぐりと開けて絶句した。ペーターは我を取り戻すと、無言で冷然と見下ろす姪に罵声を浴びせた。
「愚か者が!此度の騒動何から何までどうかしている!気でも狂ったか、ヒルデ⁉貴様のしでかした所業、どれ一つとっても許されるようなものではないぞ⁉お前が私の姪であったとしてもだ!」
深いため息がヒルデの口から出た。理解に苦しむ様子で煩わしさたっぷりにヒルデが言う。
「……なぜ、この場面でそのようなことが言えるのだ」
この状況下でいくらなんでも強気に過ぎる。死を前にして覚悟が決まった、と言うわけでもない。そもそもペーターはそのような覚悟のできる人間ではない。
「不思議か……?そうだな、お前にも分かるように教えてやろうではないか」
ペーターはにたりと顔を歪めて確認する。
「お前は私が兄ローベルトを殺した、とそう言ったな?」
ヒルデはそっけなく「ああ、そうだ」と認めた。ペーターはさらに口元を歪めて言った。
「ならば問うがその証拠はどこにある?言ってみろ、ヒルデ」
「……」
ヒルデの沈黙にペーターは己の優位を確信して声を張り上げる。
「ふふ、そうだろうっ!あるはずがないっ!これがどういうことか分かるか⁉お前は証拠もなく、ただの思い込みで反逆を企み、あろうことか盗人どもを配下として領主である私を捕縛したのだ。なんと嘆かわしいことだ!シューマッハ家最大の汚点だ!長としてお前を厳しく裁かねばならない!」
ペーターは汚物をまき散らすような不快な笑い声を立てた。それがペーターを強気にさせたことだったと知り、ヒルデは眉を顰める。笑いを抑えるとペーターはギラギラと目を光らせて、ヒルデに命令した。
「縄を解け。そしてここで全ての過ちを認め、私の前で這いつくばって許しを請うのだ。そうすれば命だけは助けてやる」
「……」