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裁きの日③

「「「おおおおおおおおおおおおっ‼」」」

 黎明の狼が雄叫びと同時に城内になだれ込んでいく。撃退しようと門に集まった守備兵たちは、しかし黎明の狼とともに突撃するヒルデの姿を見て、一度動きを止めた。美しく凛とした姿に見惚れ、そしてそのヒルデに刃を向けられないことに気が付く。

 いくら現領主の命令であるとはいえ、先代ローベルトを慕っていた兵士たちが、ローベルトの残したただ一人の後継に手をかけられるはずもない。

 その迷いが著しく戦意を削いだ。動揺している兵士たちに黎明の狼たちが勢いのままに、突っ込んだ。機先を制された守備兵たちは組織だった抵抗もできず、あっという間に蹴散らされていく。

「兵士たちよ!無駄な抵抗はやめて武器を棄てろ!抵抗しなければ命は取らん!」

 ヒルデの凛とした声が響く。それだけで兵士たちの動きがさらに鈍くなる。

「お前たちに問う!真にゲールバラの主に相応しい者は誰か⁉ペーターが相応しいと思うならば、今まで通り奴について行け。私が相応しいと思うならば、今ここで私の指示に従え!」

 兵士たちが顔を見合わせた。そして、戦っていた兵士が一人、二人と力なく武器を棄てた。何百人の武器が地面に落ちてできた金属の乾いた音が重なって虚しく響き、ペーターは恐怖する。

 悪夢だった。無論ペーターにとってである。

「何を……!何をやっている……!お前たち!ま、守れ!私を守るのだ!早く!」

 当たり散らすように命令を投げるものの、周囲の兵たちの反応は鈍い。困惑するばかりで、ペーターを守るどころか、近づこうともしない。ペーターが先代ローベルトを殺したのが本当なら、とてもじゃないが従うわけにはいかない。先代ローベルトがいたのは五年前だが、当時の彼を覚えている兵士は決して少なくない。

「き、貴様ら!何をしている⁉私を守らんか⁉」

 兵士は動こうとしない。それどころか、突然武器を取って、ペーターに襲い掛かりそうな気配すら感じた。それを独力で跳ね返す力をペーターは当然持ち合わせていない。

「あ、あ、ああああああああああああっ!」

 真に頼れる者がどこにもいないことを悟ったペーターは身一つで逃走を選んだ。城壁から転がり落ちるのではないかという勢いで飛び降りると、逃げ場のない城内の方に向かってほうほうのていで走っていった。

 すでに抵抗する兵士もいない。ラルフがヒルデの傍に近づいた。

「粗方片付いたな。大した抵抗もなく、すぐに終わった」

 その後、「予想以上にあの男は小物だったな」と付け加えた。いくらヒルデが上手く扇動したからといっても、少しでもペーターが部下を統率できていれば、ここまで容易にことは進まなかったはずだ。

 「…ああ」と複雑な顔でヒルデは応じる。僅かに感じた苦みはいったい何に対してか。無意識にその感傷を嫌ったヒルデは思考を先に進めることにした。

「ペーターは?」

「奴なら逃げた。城内の方に走っていったよ」

 「そうか」とヒルデは無表情に答えた。城外へ脱出するための隠し通路の類は出口あたりを見張らせているが、ペーターが新たな逃走路を確保している可能性もある。いずれにせよ、ここで落ち着いて待つ理由はどこにもない。

「追うぞ」

「そうだな」

 ラルフは頷いて、黎明の狼たちを集めた。

 その間、誰かの姿を探すようにあたりを見渡していたヒルデは一人の兵士に目を止めた。ラルフに一声少し待ってくれと断りを入れた後、その兵士の方の許へ行くと「ボリス」と親し気に声をかける。

「姫殿下……」

 沈痛な面持ちの壮年の男がヒルデの前に跪いた。がっしりとした体格が自責の念で小さく見えた。

「今の今までヒルデ様に不自由な思いをさせるばかりで何も為せず申し訳ありません……。それどころか、ローベルト様の仇を仕えていたこと、申し開きの言葉もありません……」

 その後の言葉が続かず、ボリス・クラウゼは俯いた。

「お前の気持ちは分かっている。その忠誠も。私が戻るその時を信じて己の心を殺し、ここで耐えてきたのだろう」

「…………」

 己を責め、拳を強く握るボリス。そんな彼の手をヒルデは包み込むように取り、

「ありがとう」

 と、強く優しく握りしめた。驚いたようにボリスがはっと顔を上げて、

「私は知っているぞ。叔父に捕えられ獄中で殺されたーーそう思われた民が実は生きていた。病んだ民に薬を人知れず送り、時に税を肩代わりした。そんな話を何度も耳にした。――そして、それらが全てお前の働きだということも。」

 ボリスの目から涙が零れ落ちる。長らくかけられなかった労いの言葉が、思いもよらぬ形でかけられて。

「救われたのだ。民はもちろん、私の心も。お前のような男がまだ残っているからこそ、私は立ち上がれた。立てると思えたのだ。――ボリス、幼い私を知る者のほとんどが今はもういない。叔父に逆らった家臣の死を知るたびに私は胸が痛くなった。お前が生きている。それだけで私は心から嬉しく思う」

「ヒルデ様……!」

 ヒルデは微笑んだ。

「それに、そもそも事の発端は叔父の悪行にある。その罪は叔父だけに帰せられるものだ。敢えて言えば、それを止められるほどの力もなかった私に責がある」

「……⁉そのようなこと⁈断じて、断じてありません!」

 いや、とヒルデは首を振った。

「まだ幼く、そして女であった私の限界だ。だが、今時期を得てこうして立ち上がることができた。そしてお前が生きている。まだ私を待つ民がいる。今はそれで良しとしている。だから私はお前に改めて頼みたい」

 ヒルデはボリスの目をまっすぐ見て問う。

「どうか私に仕えてくれないだろうか」

 ボリスは限界まで目を見開き、感極まったように声を詰まらせ首を垂れた。

「願ってもないことです……!」

 ヒルデは深く頷き、嬉しそうに「ありがとう」と言った。

 感動に浸っていたボリスはおもむろに立ち上がり、

「どうか、城内の制圧はお任せください。すぐに終わらせます」

 「いや」とヒルデが首を振る。

「それには及ばない。お前にはゲールバラの混乱を抑えてほしいのだ」

 戸惑うボリスにヒルデは続けて言った。

「城の門を固め、城内には私が来たことを知らせてほしい。危害を加えるつもりもないこともな。それと、この混乱に紛れて盗みを侵す人間が出るかもしれん。そうならぬよう目を光らせてくれ」

「……もちろん。承知いたしました」

 共に戦うことを思っていた手前その程度のこととは。当然かもしれないが、やはりどこかまだ完全に信用されていないということか。

 そんな思いがボリスの顔に出たのかもしれない。それを見て取ったのか、ヒルデが軽やかに言った。

「ボリス。お前に主殺しをさせたくない。お前の本領はこの先にこそある。ペーターは私の手で決着を付ける。それで十分だ」

「……!」

 軽い瞠目。そして胸の内を読まれたかのようなヒルデの気遣いにボリスは自身の浅はかさを恥じ、恐れ入った。ただ新しい主に最高の敬意をもってひざまずいた。

 ヒルデは片頬で笑う。高慢ともとれる反応。しかし、それがボリスの誇りを傷つけない思いやりの形だと分かるボリスにはただただ眩しく映った。

 ヒルデはさっと身を翻して、「そして」と兵士たちの方へ向いた。ヒルデの一挙手一投足に注目する兵士たちにヒルデは心からの声で短く伝えた。

「私を受け入れてくれたこと!感謝する……!」

 深く一礼。その後ラルフとともに颯爽とその場を後にする。

 呆然とした兵士は言い知れぬ感動に襲われ、そしてその思いが声になるまで時間はかからなかった。

「ヒルデ・シューマッハ万歳!」

 誰かの一声がきっかけで、それはあっという間に全体に広がった。亡き英雄の後継に、輝かんばかりのカリスマ性を感じて兵士たちは新たな主の名を激情のままに連呼する。

 兵士たちの唱和を背中で聞きながら、ラルフが皮肉気に軽口を言った。

「前から思っていたが、大した役者ぶりだな。台本通りだ。いや、作戦通りといったところかな?」

 兵を倒すのではなく、可能な限り味方に付ける。ヒルデが声を上げ、誰が領主として相応しいか態度で示す。悪徳のペーター相手ならば十分通用するだろうというヒルデの考えであり作戦だった。

 作戦と言うにはあまりに不確定要素だらけのお粗末なもの。根回しもなく、言葉だけでそれが可能なものかと当初ラルフは半信半疑だったが、現にこうして兵士たちの心を掌握しつつある。

「そうだな。何とも罪深い役者だ」

 思い通りの状況にも係わらず、淡々とした口調に幾分の自嘲を感じたラルフは眉を顰めた。

「少しでも己の利としようと耳障りのいい言葉で飾り続けているばかりだ。その飾った言葉に対して彼らは本心からああして声を上げている。目的のためとはいえ、多少なりとも思うところも出てくるというものだ」

 少しの間をおいてラルフは答える。

「そう言うな。お前がどう思おうと、ここまで正面切ってやればもはや本物だ」

 ラルフのぶっきらぼうな慰めの言葉にヒルデは一瞬目を丸くした。そしてすぐにいつもの不敵さを取り戻した。

「ふ。こんな時に気弱になっていたようだな。さあ、行くぞ。ゲールバラ奪取は目前だ」

投降した後にすみませんが、あとから誤字に気付いてついでにいくつか表現を直しました。

(今回は少し多かったので一応報告です)

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