小心者な悪党の理屈
シューマッハ公爵家と居城ゲールバラの起源は古い。ミランダ王国の建国時、初代国王レオポルトがアルフレート・シューマッハに建国の功として、自身の娘を嫁がせ、その上で公爵位とゲールバラ一帯の領主権を与えたのが始まりである。
封じられた土地の広さたるやラーザイルの十分の一。自領だけで一万以上の軍勢を簡単に組織できる広さ。一貴族の分を超える破格の褒賞であった。
無論それだけアルフレートの功が大きかったということもある。もともと地方有力豪族の一角であった彼は常に王の右腕として、馬を駆け、軍を率いて勝利に貢献してきた。その功績は誰の目にも疑いようはなかった。だが、レオポルトの意図するところは他にもあった。
レオポルトはアルフレートにラーザイル西部の監督を任せたのである。というのも、ラーザイル東部と西部の間には未開の森林と山岳地帯が広がり、大軍による行軍が難しい。西部が隣国から侵攻され、即座の対応を必要とすることあった場合、西部内ですぐに駆け付けられる諸侯を糾合する核が必要であった。その任をレオポルトは最も信の置ける武人であるアルフレートに託したのである。
当時まだ不安定なラーザイル東部にて支配を固める必要があったレオポルトの状況を理解していたアルフレートは良くその任を果たした。己の分を弁え、出過ぎることなく、西部の長としてレオポルトに変わらぬ忠誠を捧げた。優れた武人として名を馳せたアルフレートが西側諸侯によく睨みを利かせたこともあって、目立った騒乱もなく、アルフレートは生涯を終えた。
以降、三百五十年の長きに亘って途絶えることなく歴代当主が代々治めてきた。アルフレートが封じられた当初、他諸都市と変わらぬ一城塞都市に過ぎなかったゲールバラはシューマッハ公爵家の繁栄とともに都市の規模を大きくした。
他貴族と比べ広大な支配地域を持ち、その土壌は豊か。ラーザイル東部と西側諸国を繋ぐ交通の要衝ということもあって、栄えやすい地域であったことは確かだった。その繁栄の背景にあったのは、シューマッハ公爵家の武力によるところが大きい。旨味のある土地はそれだけで侵攻の標的になりうる。跳ね除ける力なくしては治めきれるようなものではない。領内の平穏があればこそ、発展に余力が回せるのである。
シューマッハ公爵家の歴史そのものと言えるゲールバラの城。今のその主であるペーターは一人居室で苛立たし気に酒を呷っていた。
見るからに機嫌のよくない主君を前に壮年の武人――ボリス・クラウゼは固い声で報告を上げた。
「昨夜も特に何もございませんでした。賊はもちろん不審な人物の影も見つけておりません」
「そうか。だが、油断はするな。黎明の狼がこちらを狙っているのは確かなのだ。こちらの警戒が緩めた時、我が財を掠め取るに違いない。怪しい動き一つ見えればすぐに報告しろ。いいな?」
「……はい」
「なんだ。何か言いたいことでもあるのか?」
ペーターの言葉の端々に刺々しさが表れていた。苦しそうに顔を歪ませたボリスが意を決したように声を張り上げる。
「領民から税を抑えてほしいと陳情が来ております。これ以上続くと冬を越せぬと。実際、昨年も餓死者が出ております」
「それがどうした」
にべもなく返されたが、ボリスはめげずに続けた。
「税を下げていただきたいです。一時的でも構いません。これ以上は……民が耐えられません」
「馬鹿を言うな。なんで、そんなことをせねばならん」
「それは――」
「だいたい、まだ春だというのになんで冬の話を持ち出す。いい加減なことを言うな」
「確かに農作物の税はまだ先です。しかし、民の蓄えはもう底をついております。その場をしのごうと借金した民は返済のため収穫のほとんどを失っているあり様。これでは生きていけません…。それに塩や薪など生活必需品への税も大きな負担となっているようです。他にも――」
ペーターは苛立たちを隠さず家臣の言葉を遮った。
「出せぬことはないはずだ。出せぬなら己の身を売ればいいのだ。違うか?」
「それは、しかし……」
「ボリス‼」
激昂したペーターが空になった酒杯を投げつける。ボリスはよけなかった。
酒杯の中身が無抵抗なボリスの顔に浴びせられる。酒杯が乾いた音と共に転がる。
「何度も同じことを言わせるな‼一家臣の分際で私に意見するか、貴様⁉」
ボリスは歯を食いしばって、口を結んだ。
「平民がどこで野垂れ死のうが構わんではないか!奴らは雑草のようにいくらでも生えてくる!それが多少減ったところでなぜ私が気に病まねばならん!何の得がある⁉今はそれどころではない!黎明の狼!あの凶悪な盗人どもがやってくるのだ!奴らが狙った貴族は必ずと言っていいほど破滅を迎えた!すべての財を奪いつくすだけにとどまらず城ごと奪ったこともあるという!そんな極悪人どもが私を狙っているというのだぞ!奴らは私を殺し財の全てを奪うつもりだ!仮に私の命が助かったとしても、我が財を奪われれば私は生きていけない!破滅だ!それともなにか?貴様が責任を取ってくれるのか⁉貴様が一生かけても手に入れられぬほどの財だぞ!できるわけがなかろう⁉」
ペーターは呼吸を荒くして一気にまくし立てた。利己にまみれた豚が吠えたかのような言葉の濁流は聞くに堪えないほどの醜悪さであった。ペーターは目を血走らせて、続けて命じた。
「次に領民どもが文句を言ってくれば伝えろ。銅貨一枚たりともまかりならん。領民としての義務を果たさなければ縛り首である、と」
「……」
「返事をしろ!これ以上私の機嫌を損ねようものならお前の首をはねてくれてやってもいいのだぞ!」
口汚く唾を飛ばして、ペーターは指を差した。ここまで言われてしまえば家臣としての返事は一つだけである。
「……承知いたしました」
少し落ち着いたのかペーターは肩の力を抜いて、忌々し気に息を吐いた。
「それで奴らもおとなしくなるだろう。今は周囲の警戒に集中しろ。分かったな?」
「はい」
それはいつまでか、と問いはしない。本当に黎明の狼が来ないと分かるその時まで続けろというのだろう。ボリスは己の無力感で俯くことしかできなかった。
ボリスが退室した後、ペーターはへたり込むように椅子に座った。深く息を吐き、眉間に皺を寄せてひとりごちる。
「なぜ私がこんな目に遭わなければならん。私が何をしたというのだ」
寝不足気味の憔悴した顔が窓ガラスに映っている。この苦悩を誰が理解できようか。外は常に侵攻を狙ってくる他国やペーターを排除して乗っ取ろうとするラーザイルの貴族たち、内には不服そうな顔を隠さぬ家臣やペーターの支配に反抗的な領民。内外敵だらけにも拘らず、最悪なことに最も忌むべき黎明の狼がペーターを狙っている。
「これほどシューマッハ家を思っているのになぜ誰も私の苦労を理解しようとしない……」
己に非がないと疑わないペーターは嘆いた。今は内で文句を垂れて反発する時ではないというのに民は何も分かってはいない。家臣も領民もただ領主に従えばよいのだ、それが奴らの責務ではないか、という思いがペーターにはあった。
しばらく俯いていたペーターだったが、ふとおもむろに立ち上がり、勢いよく扉を開けて歩き出す。
向かった先は城の地下、陽の光差さぬ薄暗い獄舎だった。猿轡をかけられた痩せこけた男が壁の鎖に繋がれて、気絶するように眠っている。
牢獄の鍵を開く鈍い金属音すら気付かず、男は眠りこけていた。
邪悪な顔をした訪問者は壁に備え付けられた鞭を乱暴に取り上げる。鼻息荒く男に近づくと無数の青い痣のある男の背中に思いっきり鞭を叩きつける。
男がくぐもった悲鳴を上げる。しかし、ペーターはお構いなしに鞭を振るい続けた。男の背中があっという間に赤く腫れ上がり、血に染まっていく。男は涙を浮かべ身をよじるも繋がれた鎖が許さない。男の身体は強制的に鞭打ちに最適な位置に収められ、ペーターは湧き上がる愉悦に頬を歪に歪める。
「ふふふ、ははは、ハハハハハッ‼」
陰湿で不快な笑い声が牢獄の中で反響する。その笑いは他の独房にいる囚人を震え上がらせた。
この牢獄は税を納められなかった人々、ペーターに反抗した人々の終着点だった。老若男女関係ない。囚人たちはペーターの憂さ晴らしの玩具として、喜ばせる余興として弄ばれ、捨てられるのだ。
ペーター自身が絶対的強者であることを確かめる儀式場で、ペーターは鞭を振るいながら興奮した声で叫ぶ。
「そうだ!思えば、これは良い機会ではないか!私が黎明の狼を撃退。いや、あわよくば捕らえればいい話だ。そうすれば無能な家臣でも私の正しさが理解できるだろうし、領民も馬鹿な考えは起こさなくなるだろう!」
持ってきた酒を一気に飲み干し、乱暴に口元を拭って、
「そうだ。黎明の狼を捉え、殺してやるのだ……!じっくりと痛めつけ、早く殺してくれと泣いて懇願しても許すものか。思いつく限りの苦痛を味あわせ、残虐に殺してやる。――いいことを思いついた。せっかくだから派手に公開処刑としよう。愚かな下民にも逆らう意味が分かるようにな!」
ペーターは笑った。ただその笑いはぎこちなく引きつっている。残虐な夢想で己を奮い立たせようとも、内に潜む恐怖を完全には拭いきることまではできなかったようだった。