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決起の時

「どうやらペーターの方に動きがあったようだ」

 夜半の薄暗い一室でラルフが世間話をするかのような調子でヒルデにそう言った。ヒルデに臣従して以来、こうして毎夜ヒルデの屋敷を訪れている。

 ラルフ自身は「間男が通い婚でもしているようだ」とふざけたものだったが、実態として日々真面目に今後の作戦を詰めている。これが作戦といえる代物かどうかは別としてだ。

 テーブルを挟んだ対面の席で紅茶をすすっていたヒルデが僅かに眉を上げて尋ねる。

「どのような?」

「城の警備体制が変わったようだ。正確には全体の人員こそそれほど増えていないが、夜の警戒が厳しくなっている」

 ラルフが皮肉げに口元を歪める。

「篝火を盛大に焚き、多くの人員を割いて目を光らせている。まるで、敵が来るのは夜しかないと言わんばかりだ」

 実際にこの目で見たがさながら不夜城のようだった、と面白そうにラルフは笑う。対するヒルデもつられるように笑った。

「他国からの夜襲を警戒してのものではないな。そんな話があれば、もう少し慌ただしさがあるだろうし、軍備を整えるため徴兵があるはずだ。となると、大方予想は付く。盗みを働く夜の侵入者――この場合黎明の狼が来るのではないかと予想を付けたのかもしれない」

「不安か?」

 ラルフのその問いはどこか試すような響きがあった。

「いや、まさか。実際、先日の叔父の会話と今のその対応を見るに、黎明の狼が来ること以上のことは知らないだろう。もしかすれば、ただ噂に怯えているだけかもしれないが、いずれにせよ障害にはならない」

 ラルフは頷いた。ラルフの考えもまたヒルデと同じだった。

 考えにくいことだが、仮に完全に情報が漏れた場合であれば、これ見よがしに労力を割いて、夜の警戒をしたりはしない。本当に来ると分かっているのであれば、目に見えぬような罠を張ればいい。だが、その様子は今のところない。

 ペーターの対応は夜の目に見えぬ敵を見つけようと必死に松明を振りかざしているようなものだ。夜闇の中、その松明が的になっていることすら気付かないだろう。

 ラルフが短く尋ねた。

「いつやる?」

「予定通り三日後の朝としよう。黎明の狼の名にふさわしくな」

 会心の笑みとともにヒルデが答えた。

 そして、その日がやってきた。清々しい朝の空気を全身に取り込んだヒルデは不敵な笑みを浮かべる。姿見鏡にヒルデの甲冑姿が映っている。銀と紅蓮の鎧は美しく、ヒルデの燃えるような赤髪もあって遠目からでもかなり目を引くことだろう。

 玄関で出迎えたラルフは「なかなか似合っているじゃないか」と冗談めかして言った。

「悪くはない。気に入った」

 ヒルデは素直に満足した。凝った装飾はなく、機能と格調高さを意識したいい造りだ。何よりもヒルデ自身の気質にあっている。傍に控えていた侍女のペトラが感極まったように「お似合いです、ヒルデ様」と声を震わせた。

「ふふ、褒めてくれるのは嬉しいがそれほどか?」

「いえ、私は…私は嬉しいのです。ヒルデ様の晴れ姿を見ると涙が……」

 涙ぐむペトラの肩をヒルデが優しく包み込む。ともにこの屋敷で苦労した仲であるからこそ、思いが込み上げてくるものがあった。

「ありがとうございます」と、そう言ってからペトラはラルフを睨んで言った。

「ヒルデ様にもしものことがあれば許しませんよ!」

「そう睨まずとも万事心得ている。俺に任せておけ」

「本当に分かっていますか⁉」

 ラルフはおざなりに手を振り、ヒルデは思わずくすりと笑った。そして今度は自身の鎧を指してラルフに尋ねた。

「ところで、これはお前の趣味か?」

 ヒルデの鎧を手配したラルフが愉快そうに肩を竦めた。

「普通のプレートアーマーだと見映えがしないだろう。これから一軍の将たらんとするならば、目立つことを心掛けることだ」

「なるほど。それでお前も黒一色という訳か」

 ヒルデの鮮やかな鎧とは対照をなすような黒の鎧。ラルフの鎧もまた装飾がほとんどない機能を重視したものだが、艶を完全に消し去ったような全身漆黒の装いは独特な存在感を放っている。

「目立つだろう?イメージカラーというやつだ。それにお前には赤が良く似合う」

 ヒルデは微笑で返した。ラルフはふん、と楽しそうに鼻を鳴らし、ヒルデの腰に佩いた剣を見て言った。

「ちなみに剣に自信は?」

「ないと思うか?」

「なるほど。結構。中身の伴わぬ飾りではないようで何より」

「ぬかせ」

 軽口を交え、ヒルデは歩みを進める。扉を開ければ戦いの始まりだ。陰気に無為を過ごすつまらない日常は終わりを迎え、誰にも予想できない非日常が始まる。

 ヒルデの足に恐れはない。自らが望んだ今があり、そして手に入れたい未来があった。失うものはないし、今一歩を行かねば何も手に入れられはしない。

 ラルフが玄関の取っ手に手をかけて尋ねた。

「さて、波乱の門出と行こう。引き返すなら今だぞ?」

「冗談を言うな。この期に及んで誰が引き返すものか」

 玄関の扉を開き、ヒルデたちは屋敷の外に出る。

 そこにいたのは黎明の狼の手勢百人余り。皆その武装に統一性はなく、鎧も武器もまちまちだ。だが、装備の目立つところには黒い狼のシンボルがあり、俺たちこそが黎明の狼なのだと訴えかける。

 姿を現したヒルデたちに気付いて、一癖も二癖もあるならず者たちが野卑た声を上げる。

「ほう。別嬪さんじゃねえか。俺たちの大将も隅に置けねえ」

「あの細っこい身体で一丁前に高そうな鎧なんか着飾ってらあ。あれで戦えんのかね?」

「戦えるわけねえよ。所詮は貴族様だ。どうせ興味本位の高みの見物に決まっている」

 歓呼とは程遠い辛辣な野次の数々。一人の青年がならず者の集団の中から出てきて、頭を掻きながらヒルデに謝った。

「すみませんね、こいつらしつけがなってなくて。――おい、ラルフ。どうにか言った方がいいんじゃないか?」

 ラルフは鼻で笑った。

「ある程度事情は話したが、俺が臣下になったからといって、あいつらがどうするかは別の話だ。我が主についていくかどうかはあいつら自身に任せている」

 青年が呆れた顔をした。

 信頼ではない。今までは貴族や悪徳商人への盗賊稼業。だが、これからは大々的に国家そのものを敵に回す戦争の始まりだ。今まで戦闘行為がなかったわけではないが、国家へ挑む以上規模が大きくなるし、先行きの見えない長く危険な戦いになる。

 彼らはラルフ個人を慕ってついてきているが、彼らにも生活があり、それぞれの思いもある。皆が同じ理想なんてありえはしないし、貴族であるヒルデとともに戦うことを良しとしない者もいるかもしれない。生半可に強制すれば、しこりとなってのちに面倒を招く。意に染まなければ、ここでふるいにかけるべきだ。

 ラルフはヒルデに尋ねた。

「――だが、命令とあれば俺が一声かけるのは構わん。どうする?」

「いや、これは私の問題だ。私で話を付ける」

 ラルフがにやりと笑って応じた。意地の悪い笑みであった。

 ヒルデが前に出て、ラルフが弁えた顔で一歩控えた位置に立つ。

 ヒルデは庭でたむろする眼下の黎明の狼を眺めて思う。ラルフ同様癖があるが、その目に濁りはなく、戦いに臆している様子もない。なるほど。彼らは兵士ではなく、仲間だ。ただ命令を聞くだけの上下関係にないこと、そして一人一人がれっきとした戦士であることを彼らの意志ある目が雄弁に語っている。

 ならず者たちの視線がヒルデに集中し、声が鎮まる。小馬鹿にしたような野次を飛ばしながらも、その実ヒルデに並々ならぬ関心があったからだ。

 ――奴は傑物だ。少なくともその志は俺のはるか上を行く。

 ヒルデに臣従を誓った翌日のことラルフはそのように他の黎明の狼のメンバーに語った。だからこそ、男たちは確かめたいのである。自分たちの棟梁ラルフ・ランドルフをして傑物と言わしめ、臣従を誓わせた少女はどのような人間であるのかと。

 しかし、声が鎮まってから数秒が経つもヒルデは言葉を発しようとはしなかった。注目していた男たちが訝しく思ったその時、ヒルデが感心したように呟いた。

「……さすがだな」

 突拍子もないその感嘆の声は静まり返った周囲によく響いた。「は?」と目を点にしてざわめく男たちの本心を代弁するようにラルフが含み笑いとともに「なにがだ」と、尋ねた。

 ヒルデは振り向いてほろ苦い笑みを返した。

「いやなに。こうして直接相対するといかにお前がこの者たちに信頼されているかが伝わってきたものでな。思わず口から漏れてしまった」

 信頼に足る将の下では自ずとまとまるものだ。幼少のヒルデに教えてくれた父ローベルトの言葉を思い出した。当時は分かったような分からぬようなで、首をかしげたものだが、今は自然と腑に落ちた。

 規律が正しいわけでも、統一性が取れているわけでもない。しかし、ぶれていない。本質的なところで組織としてまとまっているのだ。たとえ何があってもラルフが上に立つ限り、揺らがない。それをヒルデは肌で感じて感心したのだ。

 どこか浮かれていたのかもしれない。人の上に立つ意味をヒルデは改めて実感した。自分も兵士たちにとってそのような存在になりたいものだ。心の内でそのように決意したヒルデは、困惑する男たちの方に素早く向き直り、凛々しく顔を引き締めた。

「改めて黎明の狼の戦士たち!私はヒルデ・シューマッハ!すでに事情は聴いていると思うが、この度お前たちの棟梁ラルフ・ランドルフは私の家臣となった!だが、奴はあくまでラルフ個人が従っただけと言う!お前たちの説得は自分でやれと言ってきた。なんとも勝手な話だ!」

 ヒルデは片頬で笑って見せ、ならず者たちが笑声で応じる。

 本当に酷い話だ。何かにつけラルフはヒルデを試すように、面倒を押し付ける。なんと不敬な臣下であることか。

「この場で理想だ理念だと、説くつもりはない。そんなものを戦う準備ができている今のお前たちには不要なものだろう。今知りたいのは、私に率いる資格があるかどうか。そうだろう」

 そこで言葉を区切ったヒルデは、大上段から声高らかに大見得を切った。

「ならば、今日それを証明する!」

 その宣言は爽快な風とともにあたりを吹き抜けた。

「今日私は叔父のペーターを討つ!シューマッハ家を乗っ取り、民を虐げ悪徳の限りを尽くす叔父から全てを取り返す!黎明の狼の戦士たちよ!今日この場においては私が言えることはただ一つだ!ついてこい!そして見せてやる!私がお前たちの主に相応しいことを!ラルフの主君に相応しいことを!」

 威に打たれたように周囲は声を失う。理屈は通らず、勢い任せの自分勝手な論理だ。だが、男たちは理屈を求めてはいなかった。直感が認める。その晴れやかな顔とその裏側から僅かに覗かせる野心が、昂ぶりが男たちの心を否応がなく揺さぶっていることを。

 そして、静寂の中ヒルデはただ一人壮絶に笑いかける。

「楽しい夢を見せてやる。ラルフについてきたお前たちのことだ。万の言葉を尽くすよりもその方がよっぽど信じられるはずだろう?」

 その言葉が終わると同時にどっと歓声が湧き上がる。ある者は顔を抑えて大笑いする。ある者は陽気な口笛を吹く。ある者は意気高々に武器を突き上げる。そして、口々に彼らなりの賞賛の言葉を言いあった。

「さすがラルフが見込んだだけのことはある。無茶苦茶言ってくれるじゃねえか!」

「いやいや。ありゃあ見込んだっていうより、惚れたに違いねえ。絶対にそうだ」

「確かに。ああいう気の強い女がタイプってことか。くくっ、大将らしい」

 ラルフがヒルデに並ぶように前に出て檄を発した。

「これが俺の主だ!気性は見ての通りどうしようもないお転婆娘だ!だが、貴族にしておくにはあまりに惜しい面白い女だ!そうは思わないか!」

 おうとも、と男たちが力強く応じる。隣のヒルデは苦笑して「ひどい言いようだ」とこぼした。

「俺は認めた!その心意気が俺の主に相応しいことを!その覇業に殉ずる価値があることを!ゆえに今日をもって!黎明の狼は我が主ヒルデ・シューマッハの傘下に入ることとする!さあ、お前たち!準備はいいな⁉」

 再び男たちが力強く応じた。ヒルデが剣を抜いて天に掲げる。

「行くぞ!いざ我が居城ゲールバラへ!これが我が覇業の第一歩だ!」

「「「「おおおおおおおおおおおおおっ‼」」」」

 男たちの雄叫びが大気を震わせた。

 颯爽とヒルデは騎乗して、大地を駆ける。その後ろからラルフ達が続いて列をなした。これからヒルデの初陣であり、復讐の始まりであった。

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