ペーター・シューマッハという男
ペーター・シューマッハを評する言葉の最たる例は『無慈悲な守銭奴』である。高い税を当たり前のようにかけ、そして払えないと見るや容赦なく懲罰を与える。その様から領民だけでなく、他の貴族からもその通り名が知れ渡っていたのだが、ペーター自身は自分が守銭奴であると思ったことは一度もない。
なぜか。ペーターはただ金欲しさに税を課しているわけではない。領民が無駄な金を余らせないように管理しているだけのことだった。
「民の扱いはそれを支配している貴族の自由だ。税を下げる?ありえない。どうせ奴らは金を余らせれば、遊ぶ金に使い果たすのがおちだ。そんな無駄遣いを許すくらいなら、私がより有意義に使った方がいいではないか」
それがペーターの言い分だった。結果として領民にとっての重税であっただけで、本人に搾取している意識はない。有意義に使えたかどうかは、論ずるに値しない。なんのことはない。ただ、より贅沢をするようになっただけの話である。
税金を払えぬ者には特に厳しく対応した。それがペーターとしての貴族が果たすべき職務だったからだ。懲罰には多少の『趣味』も入っていたが、本人としては至極真面目に仕事に励んでいた。
とはいえ、貴族の力が強いラーザイルの文化の中では、ペーターの行いはそれほど目立つものではなかった。ペーターが他貴族と比べ悪政を敷いているのは間違いないが、ラーザイルの貴族の領地運営も程度の差こそあれ方向性は似たようなものだったからだ。
彼が貴族に『無慈悲な守銭奴』と言われている所以は、民衆たちの評判もそうだが、貴族の目から見てそれ以外にとりたてて能のない人間と揶揄されていたからである。
若くして死んだ『英雄』ローベルトから大きく見劣りする小太りの冴えない男。ペーターもまた周囲の評判を知ってか、自身の領外に出ることは滅多になかった。自分の領地に引きこもり汲々と蓄財に励むのがこの男の器量一杯の生き方だった。
そんなペーターの許に珍しく客が訪れていた。
客の名はフランツ・バイエルン伯爵。中肉中背の陰気な目をした中年の男が、客間に通され席に着くと世間話をするように尋ねた。
「また、調度品が増えましたかな?」
丁寧な口調はペーターが年配だからである。それにペーターが一応はシューマッハ公爵の当主ということもあって、バイエルン伯は表面上でも敬意を払っていた。
よくぞ気付いてくれた、と機嫌よさそうにペーターは棚に飾られた壺を示して応じた。
「ああ、わかるかね。この壺なんだがね。ガラック王国から取り寄せたのだ。これ一つで屋敷が一つ建つほどの値がしたのだが、私は満足している。やはり、いい品はあるだけで私の心を満たしてくれるものだ」
「ほう。それは中々。良い買い物だったようですな」
それはただのあいさつで、その声に特段興味や共感の色はなかったが、しかしペーターは気に留めなかった。続いて矢継ぎ早に繰り出される調度品自慢を片耳に聞き流しながら、バイエルン伯は紅茶をすすっては適当に相槌を打っていった。
「バイエルン伯」
いつの間にかペーターが改まった顔して、バイエルン伯を呼ぶ。
「私の姪ヒルデなのだが、来月十六歳になるようでな。近々、ハンスと結婚させようと思う。今年、いや、早くて半年以内か。まだ日取りまでは決めていないが、そう考えているのだ」
「ハンス……?」
「私の亡き妻の甥だ。ハンス・ウィルデン。ウィルデン子爵家の次男で、覇気に欠けるが、真面目で大人しい青年だよ」
ああ、とバイエルン伯は曖昧に返事をした。ハンスのことを思い出したのではない。そんな男のことをバイエルン伯は知らない。ただ、ヒルデという厄介な人間を処分するにあたって、万が一にも裏切らないような自派閥の男と結婚させようとしているペーターの魂胆を察したからである。
「結婚と同時に私の養子に迎え入れる手はずにしようと考えている。そうすれば、私の地位も安泰というものだ」
そう言ったあと、私に子がいればこのような苦労はなかったのだが、と小さくぼやいた。
「そうですか、それはなにより。しかし、あの娘も十六になりますか。早いものですな。あれから五年。分家であったあなたも公爵位とシューマッハ公爵領を事実上手に入れることができた」
「……事実上、ね」
ありありと見える不満の様子にバイエルン伯は余計な一言を入れてしまったと察した。
「そうでした。失礼しました。そこには相当な苦労があったにもかかわらず、配慮がたりませんでした」
「……うむ。いや、いいのだ。貴公は間違っていない。建前的には私の今の立場は姪が成人するまでの仮のものだ。五年も経った今、それを持ち出す奴はそういないだろうが、万一のことがあるからな。全く面倒な状況だ……」
そう言った後、ペーターはすぐに振り払うように首を振った。
「それは忘れよう。今思えば、これでもかなり恵まれている。あの時、貴公には随分と助けられたものだ」
「しかし、亡き公爵のご令嬢を子爵の――それも次男坊に嫁がせるというのは、いささか無理があるのでは?他に当てはいないのですか?」
するとペーターは不機嫌そうな顔になった。
「おらぬ。別にいいではないか。前例がないわけではない」
――その前例とは決して周囲に好意的に受け入れられたものではなかったのだが。
バイエルン伯の指摘する言葉は胸の内に消えた。なまじ地位のある者に嫁がせれば、後見人の地位を追われかねない。誰でもいいというわけでもないことを思えば、人付き合いの多いとは言えないペーターが代わる他の相手を見つけることは困難だろう。
それにしても回りくどいものだ。公爵家の正式な後継者はヒルデだ。まっとうな後見人なら、ヒルデをしかるべき家柄に嫁がせ、その息子を跡目にするといったところだが、ペーターはそのような男ではない。そうすれば、己は何も持たぬ分家の身に落ちてしまう。
男尊女卑のラーザイルの慣例から行けば、弟であるペーターにも公爵家を継ぐ資格があった。むしろ本命であったはずだ。兄が死んだとき、当然自分が新たな当主になるだろうとペーターは期待していた。
だが、それはうまくいかなかった。予想以上の他貴族の反発があったためである。ミランダ王にそれとなく救いを求めたペーターであったが、のらりくらり躱され、シューマッハ公爵の正当な跡継ぎはヒルデであるべき、という声が大きくなった。
それは、シューマッハの遺産を狙う他貴族や、ヒルデの父ローベルトを心から偲ぶ貴族たちによる目に見えぬ駆け引きの結果である。前者はヒルデと結婚すればその財を受け継ぐ正当性が得られるため、後者はペーターの決していいとは言えない人柄と器量不足を危惧してのことであった。ただ、表立ってよく口にされたのはペーターが妾腹の子であることだった。血筋を重んじるラーザイル貴族としては、その事実に対して反論は困難であった。
ともかく諸々の反対もあり、ペーターはすぐに自分が継ぐことを断念した。
後見人の地位は妥協の産物である。公爵位と領地の運営はヒルデが成人するまでの間という条件付きだ。ペーターとしてはそれまでに決着を付けたいところ。養子と結婚させる手はペーターがひねり出した打開策だろうが、バイエルン伯からすれば、まどろっこしいことこの上ない。
実際、周囲の反対を押し切り、ペーターが公爵家を継いでも周囲から多少の反感で済んだに違いない。だが、周囲の反応を半端に恐れること大のペーターにはそれが難しい。そのあたりの割り切りができないだけ、ペーターの器には限界があった。
「それほど扱いに困っているのであれば、あの父と同じようにすれば早いと思いますがね」
暗にヒルデを殺すべきではというバイエルン伯の発言にペーターは血相を変えた。
「待て待て。そのような滅多なことを言うな。誰が聞いているか分からんではないか!」
それを言うなら、そのあからさまな態度こそがよっぽど怪しいというものだった。事情に感づいている者がいれば認めているようなものだし、知らぬ者にしても不審に思ってしまう。
「これは失礼を。ここがあなたの城とはいえ、確かに用心に越したことはない。人の噂というのは怖いものですからな」
さして気にしたそぶりもなく平然と言うバイエルン伯とは対照的にペーターはどっと噴き出した額の汗を拭った。
「とはいえ、有効な手段に違いはない。後々のことを気にせずにすむ。一考の価値はあるのではないと思いますが」
「あの時とは状況が違う!あの時は後ろ盾があったが、今はない。下手を打てば、今までの努力が無駄になってしまう。確実な手段があれば、それを選ぶのが最も自然だ!」
「確実な手段……ですか」
それはあの少女が生きている限りはありえない。ヒルデの生ある限りどこかでなにがしかのリスクが噴き出しては怯える未来が目に見えていた。バイエルン伯の思いが冷ややかな視線となって現れるが、すぐに軽いため息とともに流れていった。
「まあ、構いませんがね。あくまで私個人の意見です。あなたのおっしゃるやり方もよい策と言えるでしょう」
目上の者に対して敬意を欠いているともとれる態度だったが、ペーターは素直に安堵の息を吐いた。
「そうだろう。私もこの数年良い手はないか悩みぬいたのだがな。我ながら良い策だと自負しておったのだ。貴公にも認めてもらえたとなると、より一層安心できるというもの。この策で進めていきたいと思う」
ふう、と息をついて、ペーターは紅茶を一気に飲み干した。だらしなく安心しきった顔がようやく人心地つけたと言っている。
あまりの露骨な気の弛みにバイエルン伯は眉を顰めた。小物とはいえ、この男はミランダ王の秘密を一つ握っているのだ。あの護国の英雄ローベルトの謀殺を行った当事者として。
気を引き締めさせる意味もあって、バイエルン伯は僅かに声を潜めて尋ねる。
「シューマッハ公。ところで、良くない噂を聞いたのですが……」
「噂……?」
首をかしげるペーターに、バイエルン伯は重々しく頷いてみせた。
「そう、噂です。黎明の狼が来るという」
『黎明の狼』という名を聞いてペーターの顔がさっと青ざめる。先日、姪のヒルデの前には強がってみせたものの、ペーターにとっては聞きたくもないほど恐怖の名であったのだ。
「それは……どこでそのような」
「おや?よもや初耳ですか?」
白々しいバイエルン伯の問い返しに、「いや、そんなことはない」とペーターは反射的に答えるものの、その声は少し震えていた。
「先日、反抗的な下民に罰を与えたとき、言われたのだ。黎明の狼が次に狙っているのは私だと。その時はただの苦し紛れの当てつけだと思っていたのだが、貴公からそのように言われると話は別だ。貴公は軽々しくそのようなことを言う人間ではないことを私は良く知っている。その噂の根拠を知りたい」
なるほど、とバイエルン伯は頷いた。
「私も御用達の商人から聞いた話で、確たるものではありません。その商人も人づてで聞いた程度のことのようでした」
ただ、とバイエルン伯は続けた。
「貴公が今治めている土地は貴公の亡き兄君のローベルト様の治世下にあったもの。この五年間で昔を懐かしむ領民からの反発で何度も小さな騒動があったと聞いています」
「そ、それが、どうした⁉私に落ち度があるとでも⁈」
思わず声が裏返るペーターにバイエルン伯は落ち着いて否定した。
「いえ、滅相もない。民は搾り取るもの。ラーザイルの貴族であれば常識です。ただ、貴公の兄君は驚くほど領民に肩入れする性分でしたからな。あの税の安さをあたり前と思う領民からすれば……今のあなたはなんでしょうか」
不穏に声を低く落としたバイエルン伯。ペーターはごくりと生唾を呑み込んだ。
「今なお不満を抱く民も多い。義賊、黎明の狼が動くには十分ではありますまいか」
「そ、それは……!」
動揺するペーター。黎明の狼がこちらを狙う理由なんて考えたこともなかった。奴らは金を求めて、手あたり次第貴族や商人を襲うばかりと思い込んでいた。
「用心しておくに越したことはありません。少々気が弛んでいたご様子だったので、差し出がましくも忠告させていただきました」
そう言うと、バイエルン伯は「それでは」と席を立ち、あっさりと帰宅の途に就いた。
実際のところ、黎明の狼の動きをバイエルン伯は掴んでいなかったが、しかし奇しくも事実を言い当てていた。だが、バイエルン伯とすれば事実がどうであれ、ペーターの慢心を抑えられただけで十分だった。
バイエルン伯が帰ったあともしばらく、頭を抱えていたペーターだったが、やがて己を奮い立たせ、従者に城の警備を厚くするように命令した。