滅亡前夜に魔獣は笑う
ある国には、極刑となった囚人を投げ入れる深い深い、奈落にも続きそうな大穴があり、その大穴の底には一匹の魔獣が繋がれ、上から落ちてくる囚人をその魂ごと喰らっていた。
魔獣は一見すると狼にも似た姿をしていたが、はるかに大きく、身体の様々な部分が奇妙に蠢いていた。
魔獣は大穴の底で眠り、落ちてくる囚人を喰らい、また眠り……という生活を繰り返していた。
魔獣にはいつから自分がこの大穴に繋がれているのか、どれだけの時が流れているのかすら分からない。ただ後ろ足に繋がれた鎖が少しずつ脆くなっていくことだけが、時が流れていることを実感させた。
また眠り、喰らいを繰り返していたあるとき、パキリと音を立てて鎖が割れた。魔獣ははじめ割れた鎖を、次いで顔を上げて頭上にある大穴の口を見た。
長いときの間に大きく育った魔獣ではあったが、それでも大穴の口ははるかに遠い。しかし、魔獣は行こうと思えばその口に届く確信があった。
だが、なぜこの大穴を出る必要があるのだろうか?
ここにいれば飯はいくらでも落ちてくるというのに。
地上で起こる政変に関わらず、大穴は常に変わらなかった。
圧政者が民を苦しめようが、賢王が治世を敷こうが、愚鈍な王を傀儡として重臣が財を貪ろうが、魔獣は寝て、時々落ちてくる人間を喰らっていた。
あるとき、一人の女が大穴に落ちてきた。
女の服は汚れてはいたが、元々は豪奢なものであることが一目で見て取れた。囚人と呼ぶには、少々おかしな格好だった。だが、魔獣にはそんなことは関係ない。
魔獣は一瞬たりとも躊躇うことなく大きな口を開けると、女に喰らいつく。
その女は、魔獣がいままで喰らった中で最も美味かった。
魔獣が知る由もないことではあるが、その女は王の娘であり、反乱によってその権力を奪われた女であり、自らの正当性を脅かされかねないと恐れた簒奪者によりこの大穴に投げ込まれた女だった。
いままで魔獣が喰らったことのない、罪を犯したことのない魂だった。
罪のない魂こそが、魔獣には好物だったのだ。
女を完全に喰らい尽くした魔獣は大穴の口を見上げる。
あの女は美味かった。信じられないほどに。
いままでの人間となにが違うのかは分からない。
しかし、と魔獣は考える。
もしかしたら、地上にはあれぐらい美味い人間が溢れているのでは? もしかしたら、もっと美味い人間がいるのでは?
魔獣はのそりと身体を起こす。
囚人を喰らい続け、育ち続けた魔獣にとって、その口は遠いものではなかった。
魔獣はニタリと笑い、地上へと躍り出た。
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