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 先触れの使者は夜の霧に濡れていた。

 身なりは良いが、顔色がたいそう悪い。血色というものが感じられない肌をして、しかし寒そうな様子は見せず使者は広間に立っていた。

 

「どうされました、このような夜更けに」

 

 グレゴリオ・ロッツェン男爵が、暖炉の日を強めるよう、手の動きだけで指示をしながら訊ねる。

 後ろには、長男が帯剣して油断なく控えている。

 男爵ならば誰に襲われようと返り討ちに出来ると分かってはいても、夜分の来客というのは緊張するものである。


「突然の訪問、まことに恐縮です。私、シュトガル辺境伯の使用人でございます。実は狩りの帰りに、賊に襲われまして、撃退はしたものの帰りの道が遅くなってしまったのです」


「おお、それは大変でございました。辺境伯はご無事で?」


「はい。怪我をした者もおりません。しかし、何分視界が悪く、馬も走るのを嫌がりまして、動かなくなってしまいました。谷の向こうに雷光が見えたのも、原因かもしれません。こちらに一晩、お世話になれないかと辺境伯が申しております」


「おお、是非にどうぞ。この時間にシュトガルの城までお戻りになるのは大変でしょう。我が城は人食い男爵の城、と呼ばれる城ではございますが、なに、恐ろしいことなどありません。ゆっくりおくつろぎ下さい」


 そう先触れの使者にニタリと笑いかけるロッツェン男爵。脅すつもりは毛頭なく、彼は冗談好きなだけである。

 少し強面なだけである。

 

 父がまた、城外の人を誤解させ恐れさせている。と男爵の後ろに控える長男は頭を抱えた。

 しかしその使者は、それまで訪れてきたどの使者よりも度胸があるようだった。


「ありがとうございます。我が主、シュトガル辺境伯のお噂もご存知でしょう。吸血鬼と人食いと、どちらが強いのでしょうかな。ふふ」

 

「おお、そういえばシュトガル辺境伯といえば、そのような噂もありましたな。なんでも城の使用人もみな吸血鬼なのだとか? はは、貴方もそうなのですかな?」


「もちろん、私も、300年の間辺境伯様に使えております吸血鬼でございますよ」


 そう言って使者が、歯を見せつけるように笑って見せると、男爵は豪快に笑った。

 

「……………………」


 和やかな雰囲気のなか、長男だけはやや引いた気持ちで居たという。

 


 

 使者がシュトガル辺境伯一行を招き入れ、宴が始まった。

 シュトガル辺境伯は、ルーカス・フローシュという青年だった。人間離れした美しさと、老獪な雰囲気を合わせ持っており、吸血鬼という噂が立つのもやむなしという印象をみなが受けた。


 辺境伯とその使用人たちの目の前からは、食事ではなく赤ワインだけが減っていく。

 その様子を眺めながら、長男はなんとも不安な気分になっていた。

 夜も更けており、これ以上同じ卓を囲むのは耐えきれないと彼は思った。

 

「しかし朝から出かけ、昼に狩り、さらに賊と戦い、夜霧に濡れての遠い帰り道ですよね。そろそろ寝なくてよろしいのですか?」


 長男がそう訊ねると、辺境伯は優雅に微笑んで答える。


「おっといけない。あまりに愉快な宴なもので、疲れを忘れてしまっておりました。そろそろ休ませていただきましょう。……とその前に」


 きらり、とルビーの瞳を光らせて彼は身を乗り出した。


「妹君は真に人狼なのですか?」


「……ッ! なにを!」


「しぃっ。失礼いたしました。いけませんね、酔って冗談が過ぎました」


 立ち上がりかけた長男を言葉だけで制すると、辺境伯はぬるりと立ち上がった。

 

「それでは、このあたりで我々は部屋に戻らせて頂こう。ロッツェン男爵、ご歓待、大変に感謝する」


「こちらこそ、質素なおもてなしで恥ずかしい限りです。とても閣下をお迎え出来る部屋ではありませんが、どうぞお使い下さい」


 そのやりとりをきっかけに、辺境伯の使用人達も揃ってぬるりと立ち上がる。

 後には手つかずの料理と、飲み干された赤ワインのグラスばかりが残っていた。



 * * *

 

「お客様は、誰だったのかしら……」


 塔の部屋で、毛布にくるまるアネットは独り言をつぶやく。

 階下から上がってくる、食べ物の匂いと宴会の気配。

 一人で転がっている自分の身と比較して、寂しさからつい独り言が出てしまう。

 

 月酔(つきよい)病は、満月の夜に激しい症状が出る病だ。


 痛みと苦しみに悶え転がるため、寝台に横になっていられない。

 城中に煩悶の声が響くのも、乙女としては避けたい。

 ということで、寝台もない、塔の上の部屋の床に一人寝転がるのが常。

 いつもなら慣れっこの孤独だが、めったに無い来客がよりによって満月の夜にあるとなると、アネットとしてもいじけたくなる。


「……ッ痛ぅ!」


 ピキン! とこめかみを貫かれたような痛みに顔をしかめる。

 鎮静剤で気分は落ち着いて来ているし、痛みの波も引いていたけれど、医者が持ってきたという鎮痛剤を打つべきかもしれない。


 アネットは毛布から這い出て、木箱を探す。

 夜目は効く方なので、それなりに無事に木箱を見つける事が出来た。針をセットし、アンプルのラベルを読み、鎮痛剤を注射器に吸い上げる。

 腕に針の先端をあてがった時だった。


「ほう、灯り無しで注射をするのか?」


 関心したような、呆れたような声が響いてきた。

 聞き慣れない声に、身を固くしてアネットは後ずさる。

 まず見えたのは二つの赤い光。それは闇に輝く赤い瞳だった。

 立っていたのは、今まで会ったことのないほど美しい青年だ。


「失礼、こんな淋しいところに、ご令嬢がおられるとは。一晩泊めて頂いているのですがね、部屋が分からなくなりまして」


「ど、どなたです?」


 自分がネグリジェ姿であることを思い出し、注射器を持っていない片手で毛布を手繰り寄せ、引き上げる。

 青年はゆっくりと歩み寄ってくると、アネットから数歩先のところで立ち止まった。


「僕はルーカス・フローシュ。シュトガル辺境伯、といえば分かるだろうか?」


「シュトガル……辺境伯……? もちろん存じております。最も広大な領地を持ち、無敵の武力を誇ると」


「そして、何百年も生きる吸血鬼であると?」


 彼が軽く首をかしげると、白銀の髪が満月の光を受けて闇を白く薄めた。

 

「まさか! 三百年前の魔物大発生(スタンピード)を収める際に使った秘術で、お子を成せない呪いにかかってしまわれたとか。特例で、養子をとって一族を繋ぐことが許されていると聞きました。それを吸血鬼だとふざけて噂するなんて、酷い話ですわ。辺境伯様は、国を守ってくださっているというのに」


「ふむ、貴女はとても素直で優しい女性のようだ」


 そう言うと、辺境伯はスッと膝を立てて座り込む。


「心優しい貴女に、感謝と敬愛のキスを」


 注射器を握ったままのアネットの右手をとって、彼は口づける。

 上目使いになったルビーの瞳に射られて、アネットは思わず注射器を落とした。


 甲高い音がして、細かなガラスの破片が散る。

 薬液が冷たく床を濡らす。

 

「ごめんなさい! ……っ!?」

 

 慌てて拾おうとして、アネットはガラスで指先を切る。

 彼は素早くその指を握り、再び口づけ、血の滲む傷口に唇を這わせる。

 

「危ない、僕が全て片付けよう」


 素手で無造作にガラスを掴み、赤黒い血を垂らす辺境伯の様子を、アネットはぼうっと眺めるしかなかった。

 鼓動が早い。

 自分の気持ちが、どうなっているのか分からない。

 とにかく目の前の男が、恐ろしい。そして、不思議に切ない。

 体の奥の血が沸き立つ。口を閉じていないと、何かとんでもないことを口走りそうだった。


 破片を拾い集めた彼は、すっと立ち上がり、部屋を去っていく。


「あ……」


 ほんの小さな声が漏れた。

 反射的に呼び止めようとして、言葉を飲み込んだのだ。

 聞こえるはずのない声を、しかし、彼は聞き取った。

 

 振り向いて微笑む。


「おやすみ、アネット嬢。次からは、夜に注射をするときは灯りをつけることだ。夜目が効きすぎるのは、隠したほうがいい」


 そんな不思議な言葉を残して、彼は部屋を出ていった。


「私……名乗ったかしら……?」


 呆然としたまま、そうひとりごちた。

 

「夜目が効くわけじゃないけどなあ。月明かりもあるし、目も慣れているし、注射は打ち慣れてるし」


 そうも呟いた。

 素敵で、恐ろしくて、それからとても変な人だな、と思った。

 それから、血を、飲まれたいとも。しかしその欲求は、形になる前に、理性によって塗り潰された。





 次の朝、グレゴリオ・ロッツェン男爵とその長男、ならびに城中の使用人は驚くことになる。

 夜中の内に、シュトガル辺境伯一行は消えてしまった。

 残された書き置きには、朝一番の仕事を思い出したから帰る、ということが記されていた。


 豪快な男爵は、「なるほど、変わった御人だ」と笑う。

 その後ろで他の者たちが、やはり辺境伯は吸血鬼ではないか、と噂し合うのであった。

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