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毎日8時更新、全7話で完結です。

 アネット・ロッツェンは新興の貴族令嬢だ。

 父、グレゴリオ・ロッツェンは騎士である。先の隣国との戦争で鬼神のごとき働きをして、男爵位を授かった。

 グレゴリオ・ロッツェンはたいへんな大男で、岩のような筋肉を持つ。

 その体躯から想像出来ぬほどしなやかに素早く動き、剣で敵の喉元を切り裂いて行く様はさながら獣のようであったという。


 グレーの髪にアイスブルーの瞳。

 瞳孔の目立つ瞳は肉食獣を思わせる。その髪色と合わせて、狼のようだと言われる。

 羊の群れに血の華を咲かせて駆け抜ける狼のように、彼は全ての戦場で名を馳せた。


 そんな彼の領地は、狼の被害の多い土地だった。

 背後には黒い森が控え、常に霧が立ち込める谷がある。

 集団化した狼は家畜のみならず、人を襲うこともある。


 グレゴリオ・ロッツェンは寡黙な男だ。

 被害を訴えに来た領民の話を聞き、無言で頷く。すると執務室の扉が執事によって開かれ、領民たちはさっさと館を追い出される。

 領民たちは尚も訴えようとするが、「くどい!」と瞳孔の目立つ目で睨まれれば、それ以上何か言える者など居ない。


「あの御方は今度も約束してくれりゃあせんかった。なんで狼を退治してくれんのじゃ」

 

 訴えに行った領民は、集落に戻ってそう言いふらす。

 

 実際は、訴えの翌朝にはグレゴリオは一人で出かけて、昼前には帰ってくる。

 狼の被害は止むが、領民はその理由が分からない。グレゴリオが狩っているなどとは思わない。

 狼を狩るのに、一人で出かけるものなど居ないからだ。


 そこで領民たちが言い出したのは、狼を従えているのだ、という噂。

 人を襲った狼を、群れから追放するのだと。

 それもこれも、娘が人狼だからだと。

 だからこそ、ロッツェン男爵は狼を従え、狼を殺せない。

 

 グレゴリオ男爵は、孤児を受け入れる。

 孤児を保護して、屋敷で働かせるという慈善活動だという。


 だが集落の人間は、孤児達を館で見かけたことがない。

 だから人は言う。


「領主様とお嬢様が食うたんじゃ。あっこの屋敷で、水を汲んでる子供も草をむしってる子も、羊を見張っとる子もおらん」


 実際、グレゴリオ男爵は子供を寄宿学校にやっていた。もちろん、学費と生活費は全て男爵持ちだ。

 自分には、教育も育児も出来ないと覚ってのことだ。


 彼の家には、古くからの使用人と、息子と娘が一人ずついるだけだ。

 奥方様は、娘が生まれてすぐに去ってしまった。

 息子が生まれたときまでは、夫婦は円満だったという。長男は母に似た美しい容姿と、父に似た頑強な体を持っていた。自慢の長男だ。

 しかし、第二子として娘が生まれて状況は一変した。


 娘は、生まれつき恐ろしい病に侵されていた。

 はじめはよく泣く赤ん坊だと思っただけだったが、三歳になろうという頃には、病気の症状は家族を悩ませるようになった。

 そうして、奥方は実家に戻った。


 ロッツェン家について、領民はこう言う。

 人食い男爵、人食いの息子、人狼娘。悍ましい一家だ、と。

 人狼娘と呼ばれたのが、アネット・ロッツェンである。

 



 

 

 満月の夜。城の塔に、アネットは自らを閉じ込めた。

 窓についた格子にとりつき、苦しげなうめき声を上げる。

 それはまるで獣の咆哮のよう。


 満月の夜に、領民たちは皆戸締まりをして家に引きこもる。

 アネットの声が聞こえぬように。

 人狼の餌食にならぬように。


「いあぁあ゙ーーーーーっ! い、くるじ、ぁあ゙ーーーーー‼」


「アネット様、落ち着きなさいませ。今鎮痛剤を打ちますからね」


 毛布にくるまり、床を転げ回るようにして苦しむアネットに声をかけながら、中年のメイドが部屋に入ってくる。取っ手のついた木箱を抱えていたメイドは、木箱を開いて注射器を取り出す。


「ふぅ! ふぅ゙ーーーーッ! あ゙、りが、ど」


「喋る必要はありませんよ。もうすぐ先生がいらっしゃいますからね」


 なれた手付きでメイドが注射をしているところに、ベタンベタンと革靴を鳴らして階段を上がってくる音がする。

 サイズの合わないぺったんこの革靴を履いている彼は、アネットの担当医だ。


「おう、もう注射しておいてくれたか。いや、助かった。アネット嬢、気を確かにな。ああ水を用意出来るかな?」


 白髪頭の医者が、顔の汗を手で払いながら部屋に入ってくる。

 

「はい、先生。お水でございますわ」


 メイドがアネットのために用意した水差しを差し出すと、医師はそれをコップについで、一気に飲み干してしまった。

 アネットの治療に使うのかと思って差し出したメイドは目を丸くしていたが、短くない付き合い、呆れたようにため息をついて不問とした。


「どうだね、喋れるかね? 痛みと吐き気に効く薬を持ってきているから、あとで打ってあげよう。次の満月の分まであるから、メイドに預けていくことも出来る」


「せん、せ……あり……ござ、ます」


「うんうん、いいのだよ。ところでアネット、先程お父上には話したのだがな、先週王都まで行ってきたのだ。王立医科院の先生が何か分からないか、と」


「まあ……!」


 アネットの汗みずくの顔が、少しばかり上気する。

 王立医科院というえば、この国最先端の医術研究が行われている王立の組織。昨今では魔法院との共同研究を進めるなど、魔術と医術の垣根が取り払われたことで、死者の蘇生以外なら何でも出来るという噂だ。

 

「王立大学院の先生の見立てでも、おそらく月酔(つきよい)病で間違いないようだ。残念ながら、治療法は今のところ見つかっていない。呪術の類でもないから、解呪して解決というわけでもないのでな。だが、良い鎮痛剤と鎮静剤は手に入れてきたのでな。少しは楽になると思うが」


 淡々と、しかし申し訳無さをにじませながら白髪の医者が言った。

 アネットは、絶望に打ちひしがれ、毛布にくるまる。

 そんな二人を見て、メイドも顔を手で覆った。


 そのときだ。


 カンカンカン!

 カンカンカンカン!


 門に取り付けられたノッカーを鳴らす音が、高らかに鳴った。

 外の音は夜の冷たい空気に乗って、格子がはめられただけの窓から、塔の上のこの部屋にまで届いてくる。


「なにかしら」


「先触れが来ておりますな。お偉い方の使いのようだ」


 医師は、つま先立ちになって窓から外を見下ろすと、話し声を聞き取り言った。

 

「こんな時間に……なんでしょう。不吉なこと」


「部屋に下がっていいわ、マリー」


 怯えるメイドにそう声をかけると、アネットは医師の方を見る。


「先生も、どうぞ今日はお引き取り下さい。月酔(つきよい)病について調べて下さって、色々、本当に感謝しております」


 毛布にくるまり力なく横たわったままであるが、凛とした雰囲気をまとって、アネットはそう言った。

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