プロローグ
扉を開けたら見たこともない場所だった。
という書き出しの小説を読んだ。
社会人五年目、転勤を期に一人暮らしを始めた兄から「こっちに来る予定あるならご飯でも行く?ついでに俺の部屋にあるスーツケース持ってきて。」と、どちらが本題か分からないメッセージを先日貰った。
やれやれと思いつつ、母から頼まれた荷物をスーツケースに詰めて、電車の中で読める本でも探そうと本屋さんに立ち寄り、出会ったのがその小説だった。
新作の所に平積みされた、表紙の絵柄が好みで衝動買いした本。主人公が乙女ゲームの世界に召喚された聖女で、紆余曲折の後、なんだかんだで大団円を目指すストーリーだった。
流行りの異世界召喚。大好物。
特急電車に乗って、約二時間。とても読みやすく元々読むのが早いせいもあり、読後感でじんわりとしていたら、気がつくと降りる駅はもうすぐだった。
電車を乗り継いで、兄の住む町へと降り立つと、「葵。」と久しぶりに聞きなれた声が聞こえた。振り向くと、チェックのシャツにオーバーサイズの白いパーカーを着た兄が笑っていた。
「迎えに来てくれたの?」
「方向音痴という病持ちだからねぇ」
「アパートまでは覚えてるもん」
そんな会話をしながら、荷物を持ってくれた兄は少しだけ前を歩く。
「寝てきた?電車、時間かかっただろ」
「それが面白い本を見つけちゃって、ずっと読んでたの」
「なんて本?」
「これ。異世界の聖女は幸せになるために奔走中」
「ふーん」
うちの家族は読書一家だ。家族でTVを見ながら会話を楽しむという一家団欒はないけど、居間でそれぞれ違う本を読むという一家団欒?は存在した。
ジャンルは問わず色々な本を読みふけっている兄は、活字中毒なのではないかと思っている。
私は創作された物語が好きだ。
「なになに...扉を開けたら見たこともない場所だった...。」
歩きながら本を開いてしまう兄に
「もう。歩きながらは危ない!」
そういって本を取り返して前を向いた私は目を見開いた。
「は?」
舗装された道をアパートに向かっていた私の目の前には、森があった。
「は?」
横から兄の困惑した声が聞こえる。兄妹ってびっくりしたときの反応も似るもんなのね...とのんきなことを考えながら隣を見ると、銀色の髪をした、小学校の頃の兄にそっくりな少年が、限界まで目を見開いて私を見ていた。
「え?.....誰?奏多兄は?」
「っ葵なのか?」
会話が噛み合ってない?この子誰だろう。兄にそっくりだけど銀髪?そう思って首を傾げた私の視界に、銀色が映りこんだ。
「え?」
今日は、兄に会いにわざわざ電車に二時間も揺られて来たのではなく、大学時代に仲がよかった友人の一人が授かり婚をするというので、惚気話を肴に飲もうと夜集まる予定で、いつもは縛りっぱなしの黒髪を、緩く巻いてハーフアップにしていた....はずだった。
目に映る銀色にそっと触れてみる。まるで絹糸をさわっているかのようにサラサラと指の間をすり抜けていく。
夢なのかと、頬っぺたをつねってみるが普通に痛い。
前は森。後ろも森。右には銀髪の少年。左は森。上は青空。キョロキョロと確認をしていると少年に肩をそっと掴まれた。
「葵...なんだよな?」
「っやっぱり奏多兄なの?」
「ああ。」と頷く奏多は小学校中学年くらいの頃に見える。着ていた服も黒いシャツに黒いパンツになっている。
自分の体を見下ろしてみるとなぜか黒いAラインのワンピースを着ていた。
事実を確認するのを避けていたけれど、多分私も小さくなってるし、銀髪になってる...。
「ど、どど、どうなってるんだと思う?」
動揺している私が、少しだけ眉を下げて口を一文字に結んでいる奏多に問いかける。難しいことを考えてる時とかに、良くこの表情するなと思い、少しだけ息をするのが楽になる。
奏多はこちらをまっすぐ見つめると、目をそらさずに言った。
「葵の読んでた本みたいに、異世界に来てしまったと思う」
私は叫んだ。
「扉開けてないのにーーーーーーー!」