プロローグ
「Fantasia from Underground」────略して「FFU」……。
一見、ダークファンタジー的なアクションゲームのような名前のそのゲームは、そのタイトルとは裏腹に主人公の少女がマフィアの御曹司と出会った事がきっかけで複数の男性キャラ達と織り成す乙女ゲームである。
異世界のマフィアが主要舞台である為このようなタイトルになったらしいが、意外と戦闘パートもあり、だが基本的には恋愛イベント多めとして女性達に人気のゲームである。
特に人気なのが最初に出会うマフィアの御曹司で、最初の攻略キャラにしては非常に難易度が高めということで、彼の攻略に躍起になってしまうらしい。
だが、好感度が上がるにつれて御曹司が時折見せるデレが非常にキャップ萌えだとか何とか……。
俺の妹もそのうちの一人で、暇さえあればその御曹司の名を口にして身悶えしている始末。
〝将来は彼のような人と結婚したい!〟とまで口走っているものだから、俺と両親は妹の将来にかなり不安を抱いていた。
まぁ、そんな事よりも、俺はこの手の乙女ゲームとやらが嫌いだ。
そもそも乙女ゲームには攻略キャラごとに「ルート」と呼ばれる、他ゲームでの「ステージ」のようなものが存在し、各ルート全てに「悪役」が存在する。
例えばキャラの婚約者である令嬢であったり、幼馴染みであったり……悪役キャラはヒロインが現れていなければ、その攻略キャラと結婚し家庭を築けていたかもしれない。
ヒロインはそんな未来があったかもしれない悪役キャラから掠め取るように攻略キャラとハッピーエンドを迎えるのである。
そしてヒロインに敗れた悪役キャラは全て悲惨な末路を辿るのである。
〝人の恋路を邪魔する者は何とやら〟と言われれば、確かに悪役キャラ達の末路は当然とも言える結果なのだろう……しかし俺からしてみればヒロインこそ人の恋路を邪魔している根源なのではないだろうか?
ヒロインが攻略キャラを奪わなければ、彼女達だって愚かな行為には走らなかったのだから。
さて……そんなFFUの世界にこの俺が転生した等と、いったい誰が想像出来よう?
当の本人である俺でさえ予想出来なかった事だ。
俺は妹とこのFFUについて大喧嘩してしまい、気晴らしにコンビニへ向かった際に運悪く強盗と鉢合わせ……強盗犯に包丁で刺されて死んでしまった。
心臓一突き……まさに即死である。
そして目覚めた時には見たことの無い街並みの裏路地であった。
しかも幼くなっており、前世の記憶はあるのに自分の名前はおろか、家族の名前や顔すら思い出せなくなっていた。
転生して身寄りの無い孤児というのはかなりの無理ゲーではあったが、俺は生き延びる為に孤児を狙う人攫いの連中から逃げ、店から食べ物を盗んで食べるといった生活を送っていた。
そんなある日、残飯がないか飯屋のゴミ箱を漁っていた時、俺と同じくらいの女の子が大人達に襲われている光景を目撃する。
俺は隠れてその光景を見ていたのだが、その目の前で女の子が足を切りつけられてしまった。
切られたところは運悪くアキレス腱辺りであり、あれではもう逃げることは出来ないだろう。
当然、常に栄養失調で骨と皮だけのような身体の俺が大人達に勝てる見込みは無い。
しかしこのままあの女の子が攫われてゆくのを見るのは、どうにも寝覚めの悪い事である。
なので俺は死を覚悟して、男の一人を手にした石で殴りかかった。
完全に油断していたのか、俺に後頭部を殴られた男は前のめりで倒れ、殴られたところを抑えながら悶絶していた。
「テメェ、このガキ!」
殴られそうになった所をなんとか避けて俺は倒れている女の子に覆い被さる。
引き剥がされそうになろうとも、このまま耐えればいつしか騒ぎを聞きつけた誰かが来るかもしれない。
殴られ、蹴られ、更にはナイフで刺され、意識が朦朧としている中でも俺は決して女の子から退けようとはしなかった。
それが幸をそうしたのか別の声が聞こえてきて、男達は逃げるようにその場から去っていた。
(良かった……)
ホッとしたからか急に意識が途切れてゆく。
そうして俺は女の子に声をかけられながら静かに意識を手放したのであった。
そして再び目覚めた時、そこはまた違う景色が広がっていた。
とても綺麗な部屋の天井……身体を起こそうとするも激痛が走り上手く身体が動かせない。
すると大きな音がして、顔だけそちらの方へと向けると、そこにはメイドが着るような服を着た女性が両手で口元を抑えながら俺を凝視していた。
そして一目散に部屋から出てゆくと大声で何かを叫びながら走り去ってゆく。
その事にキョトンとしていると、暫くして一人の女性が部屋へと入ってきた。
男物のスーツのようなものを着て、上着を肩に羽織っているその女性は獅子を連想させるかのような凛々しい人物であった。
女性は俺が寝ているベッドの横に置かれた椅子へと座ると、ニッコリ笑ってから口を開いた。
「気分はどうだ?」
「……」
返事をしようとしたが声が出てこない。
それを見ていたその女性は苦笑いを浮かべながらこう言った。
「声が出ないのも無理はないか……なにせ君はここに運び込まれてから一週間も寝ていたのだからね」
なるほど……それならば声が出せないのも仕方の無い事だな。
しかし身体は痛いし気怠いし、僅かだが視界がグラグラと揺れているようにも思えて気分が悪い。
あとなんと言っても酷い空腹感が襲ってきてどうしようもない。
そんな俺の意思に賛同するように、腹から〝キュルル〟という音が鳴った。
それを聞いた女性がクスリと笑うので、俺は恥ずかしくなって少し赤面してしまう。
「今、胃に優しい食事を用意させている。もう少し時間がかかりそうだから、先にこちらの話を済ませる事にしよう」
女性はそう言うと深々と俺に頭を下げ始めた。
「先ずはお礼を言う。私の娘を助けてくれてありがとう」
俺はそのお礼の言葉を素直に受け入れられなかった。
何故なら俺がもう少し早く勇気を出せていれば、この人の娘……つまりあの時、襲われていた女の子が切られる事は無かっただろうから。
しかしそんな俺の考えを知ってか知らずか、女性は少し眉を下げながらこう話した。
「もしかしたら君はもう少し早く助ければ娘の足が切られる事はなかったと、自分を責めているだろうが、君のような幼い子供が数人の大人達を相手にするにはかなりの勇気が必要だ。例えあの時、君がその場から逃げたとしても、誰にも責めることなど出来ない」
その言葉に俺は〝君は決して悪くない〟と言われたようで、思わず目から涙が零れ落ちてしまった。
そんな言葉をかけられる筋合いなど無いのに、責められても文句は言えないはずなのに、それでも目の前のこの女性は俺を責めたりなどしなかった。
自らの命を投げ打ってでも自分の娘を助けてくれた事を心から感謝しているのだ。
その事に逆にお礼を言いたかったが、やはり声を出すことは出来ない。
そんな俺に女性は〝無理をするな〟と声をかけてくれる。
「さて、自己紹介がまだだったな?私の名は〝スカーレット・レオニード〟……レオニードファミリーというマフィアの首領をしている」
レオニードファミリー……俺はその名に聞き覚えがあった。
その名はFFUにおいてヒロインが最初に出会う攻略キャラで攻略難易度が高いと有名なマフィア〝ロックベルファミリー〟の御曹司、〝アデル・ロックベル〟の婚約者となる〝ロゼリア・レオニード〟の生家の名である。
つまり俺が助けたのは後にアデルの婚約者となり、ヒロインに敗れた後はアデルの部下によって暗殺されてしまうという末路を辿るロゼリアだったという訳だ。
この数奇な出会いに思わず目を見開いてしまう。
それを何か勘違いしたのか、スカーレットは苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「その様子だと君のような子供達にも有名のようだね?でも私のファミリーは一般人には迷惑をかけないという掟があるから安心してくれ」
別にそこに不安は無い。
ただ妹がロゼリアに関して色々とボロクソに言っていた事を覚えていただけである。
スカーレットはロゼリアが暗殺された後、その原因となった騒動をアデルの父親であるアラン・ロックベルに責められ、その責任を取って自害するという末路を辿る。
そしてレオニードファミリーの縄張りは全てロックベルファミリーの手に渡るのである。
本当に……ロゼリアは婚約者を奪われた事が悔しくて、だからヒロインに憤慨しただけなのに、どうしてこのような末路を辿らねばならないのかと、俺は前世でかなりムカついていたのを覚えている。
「さて……娘を助けてくれたお礼なのだが、私が叶えてやれる範囲で君のお願いを聞こうと思っている。とは言っても今直ぐには無理だろう。暫くここで回復に専念して、話せるようになったら聞かせてくれないかい?」
声が出せないので俺は頷くことで返事をした。
その様子に満足そうに笑みを浮かべるスカーレット。
ちなみにロゼリアに関してはあの足の怪我が原因で現在は車椅子生活を余儀なくされているらしい。
確かゲームでは学園でも車椅子生活だったと記憶している。
まぁアキレス腱を切られたので仕方の無い事ではあるが……。
その後スカーレットはまだ仕事が残っているからと部屋から去っていった。
俺については運ばれてきた食事をメイドさんに手伝って貰いながら食べた後、ベッドに横になりながらスカーレットから出された話について考えていた。
(願い事……か)
正直に言って安心して暮らせる場所が最初に挙げられるが、どうしてもロゼリアの事が気になって仕方が無かった。
このまま物語に関わることなく生きていけるとしても、彼女が悲惨な末路へと向かっていく事を考えるとどうしても放っては置けない。
そこでふと、俺の脳内にある考えが浮かび上がる。
(俺の行動次第で、もしかしたらロゼリアが死ぬという結末を変えることが出来るんじゃないか?)
要は例えアデルと婚約したとしても、ヒロインがアデルに接触するのを防げばいい。
なんならアデルと婚約するという事を阻止した方が早いのかもしれない。
どちらにせよ、俺が介入する事で多少なりとも結末が変わる可能性があるのだ。
(よし────)
俺はこの物語に介入するという意志を固めたあと、どのようにしてここに居させて貰うことが出来るのか考え始めるのであった。
◆
それから暫くして、俺はようやく声が出せるようになるまでに回復していた。
とは言っても身体を動かすのはまだ難しく、暇があればリハビリに専念している生活だ。
そんなある日、スカーレットが部屋にやってきて、遂にあの話を切り出してきた。
「さて、話せるようになったらという約束だったね?聞かせてもらおうか……君の願いを」
「ここに居させて下さい」
「……なに?」
俺の言葉にスカーレットが怪訝な顔をする。
「ここに居させて下さい」
「君……自分が何を言っているのか理解しているのか?」
スカーレットの言葉はもっともである。
しかしこのチャンスをみすみす見逃すような俺ではない。
なんとかまだ痛む身体で、今度は深々と頭を下げながらもう一度だけ同じことを頼んだ。
「ここに居させて下さい」
「……どうしてかな?」
スカーレットが嘆息しながらそう聞いてくる。
「俺に身寄りはありません。例え施設に預けられたとしても、普通に生きていけるとは思えません。それに……」
「それに?」
復唱しながら次の言葉を望むスカーレットに、俺は顔を上げて彼女の目を真っ直ぐと見据えながら力強くこう言った。
「貴方に恩を返したいんです」
「恩を返す?恩を返したいのはこちらの方だ」
「いいえ……俺はあの時、あのまま死んでいたはずでした。しかし貴方に助かられたおかげで今もこうして生きている。だから俺の命を救ってくれた貴方に恩を返したいんです」
「どうしてそこまで?」
その問いに俺は正直に話すかどうか迷ってしまう。
このままではロゼリアが近い将来死んでしまうこと……スカーレットも自ら命を絶ってしまうこと。
何の確証もない話……しかし俺はどうしてもこの母娘の事を救いたかった。
暫く悩んだ後、なんの脈絡も無い事だと突っぱねられるのを覚悟して、俺は正直にその事を話すことにした。
「実は……」
俺はこれからロゼリアの身に起こることを、その顛末を詳細にスカーレットへと話した。
彼女は怒ることなく静かにその話に耳を傾けてくれていたのだが、話し終えると背もたれに深く寄りかかって困ったような表情を浮かべる。
「にわかには信じられない話だが……」
それもそうだろうな。
俺だっていきなりそんな話を聞かされて直ぐに信じることなど出来ない。
やはり駄目かと諦めかけていたその時、スカーレットからこのような言葉が発せられる。
「しかし君の話には何処か真実味が感じられる。いいだろう、君を引き取る事にする」
「本当ですか?!」
喜びの余り思わず前のめりになってしまうが、直ぐに激痛で蹲ってしまう。
「そんなに嬉しいのか。私の本心としては、君には年相応の子供らしく生きて欲しいと思ってたんだが、そんなにも懇願されてしまってはね……どうにも断れないな。さて、引き取るとは言ったけれど、残念ながら私の家には迎え入れる事が出来ないんだ」
その言葉に思わず不安を抱いてしまったが、続く言葉で直ぐにその不安は払拭された。
「私の部下達の中で最も信頼している者がいてね。名を〝ルキウス・ベリル〟……私の秘書として働いている男で、正に私の右腕とも言える人物だ。彼の奥さんは重い病気を患ってしまって、今は完治しているのだが後遺症で子が出来なくなってしまったんだ。そのせいかずっと子供を欲しがっていてね……だから君を彼らに任せようと思っている」
そう話すスカーレットは〝それに〟と付け加えてから話を続ける。
「娘は将来、私の跡を継ぐ気でいてね。もしそうなれば娘の右腕となる人物が必要だ。つまり君にはその右腕となって欲しいんだよ。そうすれば君は娘を守ってやれるし、娘も貴重な部下を持つことが出来る。そして、そうする事が私にとっては恩返しになると思っているのだけどね」
口にこそ出さなかったが、スカーレットは俺に〝この話を受けるかい?〟と問いかけているようだった。
この事に俺が悩んだり考えたりするという選択肢など毛頭無い。
そのような時間などかけることなく、俺は直ぐに頭を縦に振ってその話を快諾した。
「そうか、本当にありがたい返事だ。さて、ルキウスを連れてくるから少し待っててくれ」
そう言って部屋を出てゆくスカーレット。
するとその数秒後に部屋のドアが静かに開いて、そこから一人の少女がひょっこりと顔を覗かせた。
その少女は他でもない……スカーレットの娘であり、FFUの悪役キャラの一人となるロゼリアだった。
室内の様子を伺うように顔を覗かせたロゼリアはキョロキョロと中を見渡した後、俺を見て表情を明るくさせていた。
その顔は正に綺麗な花が開くかのような美しいものであった。
「セラ!セラ!早く車椅子を押してください!」
「落ち着いて下さいロゼリアお嬢様。そう焦らずとも彼は逃げたりなどしませんから」
急かすロゼリアにセラという名のメイドが困ったように笑みを浮かべながら、俺がいるベッドへと彼女の車椅子を押す。
そうして目の前に来たロゼリアはニコッと笑みを浮かべたあと、座りながらも優雅に会釈をしながら挨拶を述べた。
「初めまして。そしてあの時は助けてくれてありがとうございます。スカーレット・レオニードの娘、ロゼリア・レオニードです」
「こちらこそ……」
挨拶を返そうとしたところで、俺は自分の名前が何なのか分からない事に気づき思わず口を止めてしまった。
その事にロゼリアが不安そうな顔で問いかけてくる。
「あの……どうかしたの?」
「いえ……俺、自分の名前が何なのか分からないので……だから名乗れないんです」
「まぁ、そんな……!」
思えば転生した時には孤児。
前世の名前も思い出せず、なんと名乗ればいいのか分からない。
その事にロゼリアと共に悩んでいると、スカーレットが一人の男性を連れて部屋へと戻ってきた。
その男性が先程、話にあったルキウス・ベリルという人物だろう。
そのルキウスを連れたスカーレットはロゼリアの姿を見ると、呆れた様子で笑みを浮かべた。
「まったく……あとでちゃんと紹介してあげるから待ってなさいと言っておいただろうに」
「でもお母様!私、一刻でも早く彼にお礼を言いたかったのよ!」
「分かっているさ。さて、彼が先程話していたルキウス・ベリルだ。ルキウスには既に話はしてある。彼は君さえ良ければ喜んで養子として迎え入れたいとのことなのだが……」
断るという選択肢は無かった。
俺はルキウスを真っ直ぐと見据えたあと、頭を下げてその話を承諾したのだった。
「はい、これから宜しくお願いします」
「ははは、ボスの言う通り良い子じゃないか」
「お母様!ルキウス!彼は自分の名前が分からないんですって!せっかくだから名前をつけてあげましょう?」
「ふむ……ならば養父となる私が名付けてもよろしいですかな?」
ルキウスの進言にスカーレットとロゼリアの母娘は異議を唱えることなく快くそれを受け入れた。
ルキウスは暫く考え込み、そして何故か俺の瞳を見てから笑みを浮かべてこう言った。
「リドラ、というのはどうかね?」
「リドラ?」
「〝小さな龍〟という意味だ。君の瞳は私達とは変わって、まるで龍の瞳のようだからね。それに数人の大人達を相手に向かっていくなんて、かなりの勇気の持ち主だ。将来は龍のように気高く、そして強く育って欲しいとの願いを込めてこの名を贈りたい」
〝小さな龍〟────
その名は何故だかしっくりくる響きであった。
まるで元からそのような名前だったかのような……それ程に馴染む名前であった。
「はい、ありがとうございます。俺は今日からリドラ・ベリルと名乗ります」
そして俺はロゼリアに顔を向けると、深々とお辞儀をして改めて名乗る。
「改めまして……初めましてロゼリアお嬢様。俺の名はリドラ・ベリルと申します」
「ロゼ」
「……はい?」
「ロゼって呼んでくれなきゃやだ」
ロゼリアの一言に俺はもちろん、その場にいたスカーレット、ルキウス、そしてセラまでもが固まってしまった。
当のロゼリアはそう呼んで欲しそうにこちらを見ている。
この世界で俺の父親となるルキウスはスカーレットの部下である。
ならばその息子となる俺にとってロゼリアは仕えるべき主の娘なのだ。
どうしてそのような相手を愛称で呼ぶことなど出来ようか?
「え〜とですねロゼリアお嬢様?」
「……」
「お嬢様?」
「……」
何度呼びかけても返事をしようとしないロゼリア。
こ、こいつ……ロゼと呼ぶまで反応しないつもりか!!
「ロゼお嬢様」
「……」
試しにお嬢様と付けてそう呼んでみるも、ロゼリアは変わらずそっぽを向いて膨れっ面をしている。
見かねたスカーレットが視線で〝そう呼んでやってくれ〟と伝えてきたが、ここまで来れば俺としても意固地にならざるを得ない。
そこで俺はふとある考えが浮かび、ニヤリと笑ってこう言った。
「では〝お嬢〟と呼ぶことにします。それを許して頂けないのなら、俺は今後一切お嬢に呼ばれても無視します。あと姿も見せません」
「えっ────!?」
満面の笑みでそう言うとロゼリアは驚愕の表情を浮かべて勢いよくこちらを見る。
「えっ……ちょっと……冗談……よね?ねぇリドラ……リドラ?」
先程の仕返しと言わんばかりに俺はロゼリアを無視してルキウスとの会話を始める。
「それで父さん?俺の母さんになる人とはいつ会うんですか?」
「え?あ、あぁ……君が歩けるくらいにまで回復したらと考えているが……それよりもお嬢様が君を呼んでるようだけど?」
「そうですか……それでは早く歩けるくらいにまで回復出来るよう頑張りますね!」
「リドラ、これからは貴方のことを〝リド〟って呼ぶから、私の事も〝ロゼ〟って呼んで欲しいかなぁって……」
「でもかなり長く寝たきりだったので、歩くのにはリハビリが必要になりますね」
「リド?聞こえてるリド?ねぇリド?」
「早く母さんにも会いたいなぁ」
「リドぉ〜〜〜」
そろそろロゼリアが泣き出しそうなので、俺はここらで勘弁してやる事にした。
「はい、何でしょうかお嬢?」
「貴方って意外と意地悪よね!」
おかしいな……とってもいい笑顔で返事をしたというのに、ロゼリアは目に涙を浮かべながらそう憤慨していた。
その様子を見ていたスカーレットが苦笑いをしながらこんな提案をしてくる。
「それなら二人の時はお互いに愛称で呼べばいいじゃないか?皆がいる前では、やはり主従関係が大事になってくるのだし……」
「お母様!私はリドとお友達になりたいのです!」
「はい、俺は将来のお嬢の部下になるのですから、やはり皆の前で愛称で呼ぶのは駄目ですよね」
「リド!!」
室内に笑いが起こる。
俺も悪戯っぽく笑えば、ロゼリアは〝もう!〟と可愛らしく膨れっ面になるのであった。
◆
そんな日があってから数日後────
あの後、俺は回復に専念しリハビリのかいもあって、ここに来る前までに自分で動き回れるようになっていた。
リハビリがてらにレオニード家の屋敷内を歩いてみれば、使用人達やスカーレットの部下達から感謝の言葉をかけられていたのが今では懐かしい。
そして遂に、この世界に転生してからの俺の母親となる人との顔合わせの日を迎えた。
ルキウス……父さんに連れられ、これから住む屋敷へと向かう。
この世界には〝駆動式自走魔導車〟と呼ばれる前世での自動車のような乗り物があるとは思わなかったな。
その仕組みは〝魔石〟と呼ばれる燃料のようなものを使う事を除けば自動車と差して変わらないものであり、馬車とは違い快適に移動出来る代物である。
しかしそれ故か馬車よりもかなりお値段が高く、持っている者は王家か上位貴族、そしてかなりの大富豪だけだそうだ。
そう考えればレオニードファミリーがどれだけ強大なマフィアなのかよく分かる。
「着いたよ。ここが今日から君の家だ」
車から降りてみると、そこにはスカーレットの屋敷と張り合えるくらいに大きな屋敷が建っていた。
その大きさに思わず圧巻されてしまう。
「うわぁ……」
「ははは、そんなに驚くとは思ってなかったな。さて、母さんが待っているから早く中に入ろうか?」
父さんに促され恐る恐る中へと入ってみると、そこには大勢の使用人達が待ってましたとばかりに一斉に頭を下げた。
『お帰りなさいませ旦那様。そしてようこそ、我らが若様』
思わず〝若様?!〟と声を上げそうになったが、まぁ父さんの息子になったのだからそう呼ばれるのは当たり前かと納得する。
しかし前世では一般庶民だったので、〝若様〟と呼ばれるとなんだかむず痒くなってしまうな。
大勢の使用人達から若様と呼ばれたことでムズムズとした感覚に襲われていると、その使用人達の間から綺麗な女性が嬉しそうな表情でこちらへと駆け寄ってきた。
そして俺達へと近づいてくると、なんとそのまま俺を抱きしめてきた。
「待っていたわ私の愛しい子!今日から私が貴方のお母さんよ!」
父さんは夜の暗闇のような黒い髪だが、母さんとなるこの女性の髪は対象的な真っ白い髪であった。
瞳が赤色なので、もしかしてだが前世で言う〝アルビノ〟なのかもしれない。
そんな事よりも母さんよ……嬉しさのあまり抱きついてくるのは構わないが、首が……首が絞まってる!締まってるから!!
「アリア……リドラが苦しそうだからそこまでにしてあげなさい」
「あぁ私ったら!ごめんねリドラ」
父さんのおかげで解放されたが、母さんには悪気は無かったので怒ったりなどはしなかった。
そして父さんは咳払いをして、改めて俺と母さんの紹介を行った。
「リドラ、彼女が私の妻で君の母親になるアリア・ベリルだ。そして彼が今日から私達の息子になるリドラだ。気軽にリドと呼んでやるといい」
「ルキウスの妻、アリアよ。今日からよろしくねリド」
「はい!こちらこそよろしくお願いします〝母さん〟」
母さんと呼ぶとアリアは途端に目眩がしたかのようにふらつき、ルキウスに寄りかかってこう言った。
「あなた!リドが私の事を〝母さん〟って!」
「嬉しいのは分かるが、少し落ち着こうかアリア?」
この世界での我が母はとても愉快な人らしい。
使用人達は微笑ましそうに母さんを見ていたが、俺は父さんと揃って苦笑いを浮かべたのだった。
ちなみに母さんは驚くことにこの国の将軍である人物の一人娘で、父さんとはこの世界では珍しい恋愛結婚だったらしい。
マフィアの男と将軍家の娘による大恋愛は物語にもなっているらしく、なんと劇にもなっているらしい。
補足として父さんが挨拶に行った際は将軍に殴り飛ばされたとか。
どの世界でも父親というものは娘の結婚相手に対して厳しいもんなんだな……。
そんなわけで乙女ゲームへと転生した俺は、晴れてベリル家の一員となったのだった。