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コルチゾール・仲見世  作者: Emily Millet
1/3

コルチゾール・仲見世(1/3)

場所は浅草。

2021年春のはじめ。

まだ肌寒い金曜の夜。


美大出身、デザイン会社勤務の僕が、

浅草へ向かいます。

白い不織布マスクを見かけると、

僕はマスクに和筆で絵を描きたくなる。


顔の形にカーブした白いキャンバスのつもりで、

いつもなら頭の中でどんな絵を描くか想像している。

ロングヘアの女性なら柳もしくは雪の結晶模様、

眉に力のある男性なら、一本松。

龍とか熊もいいかもしれない。

でも、今夜はうまくイメージが浮かばない。


春のまだほんのり肌寒い夕方六時、都営浅草線は混んでいた。


『志村モモをアテンドしてやってくれ。やっと日本に戻ってこれたんだと』


恩師である教授の個展は、

教え子からすると同窓会とニアリーイコールだ。

都内の美大を卒業して、十一年が経つ。

僕は筆頭で教授に可愛がられていたし、

今も作品を見てもらったりして何かとお世話になっていた。


教授も声をかけやすいらしく、

個展中にアシスタントが要る時は僕が受付に座った。

日頃の感謝を表するチャンスだし、

教授が僕や学生たちを触発する意味も込めて

OBの僕に声を掛けているとわかっていた。


実際、美術関連の人脈を増やすチャンスだった。

僕のジャケットのポケットが震えた。


「珍しいですね、

先輩が金曜定時にオフィスを出るなんて。

ご指示通りの最終稿、念のために再添付しました。

ご確認いただきたく。愉しんでくださいね」


デートですか、僕にも誰か紹介してくださいよ、

今度飲みに繋げてくださいよ、と連絡してくる職場の後輩は、

五年くらい前までは多かった。

最近の後輩は、女性も男性も恋愛系に俯瞰傾向な気がする。

上品というか、味気ない。

でも賢いスタンスだと思う。

職場とプライベートを混ぜて、しがらみを増やしたくなんかないよな。


「世話になっている教授の個展だよ。

何か刺激をもらえると思うから、月曜朝MTGでFBする。

最終稿、OKです。今週もおつかれさま」


そつなく返信の文章を打ちながら、

スマホを操作する自分の指は震えていた。


今夜は、志村モモと浅草で待ち合わせて、

ふたりで教授の個展に向かう。


浅草まではあと五駅。

モモと僕の昔の関係を知る友人にメールしようかと文章を作った。

で、未送信のまま消した。


友人とのやりとりって、僕は結構想像できてしまう。

例えば、こうだ。


「今夜、志村に久しぶりに会うんだよ。帰国したんだってさ」

「なつかしいな、志村か。ヨーロッパのどこだっけ? 

お前ら帰国して早速デート的な?」

「ちがうって。教授がアテンドしてやれって。十年ぶりの東京だから心配なんだと」

「教授、志村大好きだもんな」

「俺、どんな顔して会えばいいんだ?」

そして友人からの冷やかしが開始される。たぶん。

ここで僕の想像はおしまい。


無駄な言葉を当事者以外の人間と紡ぐより、

志村のインスタページを開くことにした。


彼女がオーストリアで発表した作品群をチェックしておけば、

とりあえず会話の役に立つだろう。

デザイン会社勤務のサラリーマンと海外で活躍する売れっ子画家。

モモをうらやましく思う。


僕だって、まだ画家として生きていく夢は捨てていない。

イラストコンテンツの仕事も部下も生活も大切だ。

会社組織ではうまく泳げていると思う。

そして、やっぱり画家として認められたい。


インスタに挙げられた彼女の作品は、

どれも雄大で繊細だった。

日本画出身者特有のモノトーンの器用な使い方と光の存在表現、

それらにヨーロッパの空気が融合されていた。

彼女には彼女だけのスタイルがあった。


僕には、まだない。


社内アナウンスが浅草を告げた。震える指は、ジャケットのポケットの中に預けた。

どんな顔して会えばいいんだ。


夕闇の中、雷門に近付いていくと、

風神像を見上げている金髪の小柄な女性がいた。


女性は肩を丸めて、薄ピンク色のコートを着ていた。

両手はポケットに突っ込んで体を震わせて顔だけは風神に向けていた。

美大時代ずっと僕の心を掴んで包んで

ずっと側にいた女性、

志村モモだった。


「雷神も見てあげなよ?」

僕が声をかけると、彼女は無言のまま首だけ横に振った。


「雷神はもう見たの? そんなに待たせたかな?」

モモはやっぱり無言のまま、首を横に振った。


そのまま、僕の腕をとって、自分の両腕を絡ませた。

付き合っていたころの癖が抜けていないような所作だった。

かわす理由も間髪もなかった。

ジャケットのポケットで、僕の指は、引き続き震えていた。


毎年、春ってどんな服着ればいいんだ?って

わからなくなるのは僕だけじゃないらしい。


久しぶりの日本の桜の季節でしょ、

とモモは僕の腕をギュウと掴みなおした。

なつかしくて参る。


「ポカポカの陽気をイメージしてきたの。

ウィーンよりあったかいのは確実だし」

でもすごくさむいから驚いた早く行こう、

と彼女は続けた。

僕らは腕を組んだまま雷門をくぐった。


雷門をくぐって、浅草寺まで続く仲見世通りを見渡した。

人通りがほとんどない。

店はもう閉まっていたけど、

降ろされたシャッターに描かれたイラストを見ながら

モモは喋り通した。


「ウィーンもいいけど、やっぱり東京は刺激的だね。

戻ってこれて本当によかった。

最近は何描いてるの?作品見たいな。

仕事ではたくさん描くの?」

仕事はデザイン程度かな。イラストに近いよ、と僕。


「この絵に何を描き足せば、もっと迫力でるかな?」

獅子とか?と僕。ふうん、とモモ。


「人形焼き食べたかったなあ、焼き立てのお煎餅とか。

ねえ最近浅草で遊んだ? 

花やしきってまだあるよね?」

いや、浅草は全然。教授の個展も久しぶりだし。

花やしきは今から横を通るはずだよ、と僕。


絡められたモモの腕から、

コートの上から薄っすら彼女の体温が伝わってきた。

ぬくもり。

どうにか言葉を返していたけど、

何を話しているのか実感が湧かなかった。


矛盾してるかもしれないけど、

少し混乱したり緊張しているときの方が、

僕はまともに言葉の受け答えを出来る。

不思議だった。矛盾とも呼べた。

口先だけが滑っているようで、脳は冷静に情報をさばいていた。


「最近キャンバスに描いたのはこれ」と、

僕は自分のインスタページを開いた。

見せてと言いながら、

モモは僕の手の中のスマホを取り上げた。

モモの腕が僕を離れた。

じわと染み込んでいたぬくもりが、

デクレッシェンド。

薄まっていく瞬間を感じた。


(つづく)

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