僕は異世界転生したい~転生したくて自殺する男の話~
異世界に転生したい。
それがたった一つの僕の、願いであり、望みであり、夢だった。
だから僕は今、このビルの屋上から、飛び降りるのだ。
落下防止のフェンスを越えた先に、僕は立つ。下を見れば遠くに、コンクリートの地面が見える。
この頼りない足場から、盛大にジャンプして、僕は落下する。
勘違いしないでほしいのは、これは決して自殺などではないということ。
僕は死にたいわけではない。死にたくて、死ぬわけじゃない。
生まれ変わるために、死ぬのだ。
記憶を保ったまま、僕が僕のままで、生まれ変わる。
RPGのような、ファンタジーに満ち溢れた世界で。
どんな敵でも次々にさばく、華麗な剣技を持ち。
炎、水、風、雷、回復蘇生即死、あらゆる属性の強力な魔法を持った、最強の勇者として、生まれ変わる。
伝説の大秘宝を目指す、感動と興奮の冒険が、始まるのだ。
そのためには、ここから飛び降りて、落下して、地面に叩きつけられて、死ななくてはならない。
それが異世界転生を行うための、儀式。
そう、あの小説の、あの漫画の、あのアニメの主人公も、この現実世界で死ぬことで、転生していた。
僕がこの世界の主人公であるならば、きっと僕も、そうなるだろう。
さぁ、そろそろ行こう。
異世界と違って、この現世には、何もない。剣も魔法もファンタジーも、何も。
あるのはただただ退屈でつまらない、社会という名のゴミの掃き溜めだけ。
こんなつまらない、退屈な現世は、捨て置いて。さっさと転生してしまおう――
「本当にそれでいいんですか?」
と、後ろから声がした。
透き通った、若い女性の声。
死ぬ間際の、幻聴だろうか。
いや、幻聴であろうが現実であろうが関係ない。僕とこの世界との関係はもう、なくなるのだから。
「ねえ、お兄さん。そもそも死んだからと言って、生まれ変われる保証なんて、どこにもないですよ?ましてや、異世界だなんて」
僕にはもはや、関係がない。
さぁ、行こう。
「存在するかどうかも分からないですし。いや、あったとしましょう。この世界とは切り離された、全く別の世界が、死んだその先に、あったとしましょう。だとしても、それがあなたの理想とする異世界であるとは、これまた限らない」
理想の世界に。
旅立とう。
「転生した異世界も、もしかしたら今とさほど変わらない、退屈な世界なのかも――でも、あるとしましょう。転生したその先は、剣と魔法と秘宝とドラゴンに満ち溢れた、感動と興奮のファンタジー異世界が、あなたを待っている」
そうだ。そんな世界に、僕はこれから旅立つのだ。
「そんな世界に、華麗な剣技、強力な魔法を持った、最強の勇者として、転生を遂げる――そんな都合の良い話、あると思いますか? 今の世界でも大した人生送っていないのに、どうして死んだら素晴らしい異世界で素晴らしい人間に、生まれ変われると思うんです?」
「いや、分かってるよ」
そんなこと。
そう言って、僕は振り返る。
フェンスの向こう側に、僕を見つめる女性がいた。
「やっと、こっちを向いてくれましたね」
「……」
現実離れした綺麗な青い髪の、美しい少女だった。
あまりにも美少女だったので、僕は不覚にも照れてしまい、その女性から目をそらしてしまった。
「あははっ、やだなぁ、美少女だなんて。こっちだって、照れちゃいますよぉ」
「いや、待って。さっきから、めっちゃ僕の心読んでない?」
僕、ずっと喋ってたっけ?
いや、そんなはずはない。
例え独り言だってこの僕が、異世界転生への夢を、口に出して話すはずがない。
「んーまあ、読んでるといえば読んでますし、読んでないといえば、嘘になります」
「じゃあ読んでるんだよね……。えっなに、人の心が読める、ってこと? 超能力?」
「まあ、そうですね。でもそんなことはどうでもいいです。ほんとに」
「こっちからしたら、どうでもよくはないんだけど……。ていうかそもそも、君は誰なんだ?」
「そんなこともどうでもいいんです。そんなことよりお兄さん、自殺なんてやめません?」
「……あぁ」
なんだ。
たまにいる、的外れなお節介を焼くタイプの人か。
「失礼な! 初対面の人に、なんてこと言うんですか!」
「あっ、ごめん……。いや、言ってはないんだけどね?」
心を読まれると分かっていると、何だか落ち着かないな。
なんて思っているのも、読まれているのか。
でも、さっきもずっと僕の心を読んでいたのなら、もう分かっているはずだ。
「確かにさっき、『これは自殺じゃない』みたいなこと考えてたみたいですけど、それは間違ってますよ。これは立派な、自殺です。いえ立派な自殺なんて、ないんですけど」
「……なに。君は僕を、止めにきたわけ?」
「はい、そうです」
「そうですって……。だとしたらやっぱり、的外れなお節介だよ。僕は死にたいんじゃない。生まれ変わりたいんだ。いや、生まれ直したいんだよ」
「だから、このまま死んでも、生まれ変われる保証なんてないでしょう?」
「生まれ変われない確証もない。少なくとも、試す価値はある」
「ないです。少なくとも、あなたの命以上の価値なんて、ないですよ」
「今の僕の命に、価値なんてないよ。だから生まれ変わりたいんだってば」
「もー、埒があきませんね。こんな言い争い、何の生産性もないですよ。時間の無駄です」
「いや、うん……」
何で勝手に話しかけてきて、勝手に呆れてるんだ、この人は。
生産性とか時間とか、僕にはもう何の関係もない言葉だし。
そもそもこの人の話に付き合う義理だって、僕にはないはずだ。
「大体私、もう分かってるんですよ?」
「なにが……」
「あなた本当は、そこから飛び降りる気なんて、ないんでしょう?」
「は?」
急に素っ頓狂なことを言い出した。
いや、素っ頓狂なことは、ずっと言っているんだけど。
「素っ頓狂じゃないです。言ったじゃないですか。私には、心が読める能力があるんです。ですから口では何と言おうが、あなたにそんな気持ちがないこと、私にはお見通しなんです」
「いや……」
「本当は、死ぬのが怖くてたまらないんですよね? 分かりますよ、その気持ち。ですからもう、やめましょう。自分に正直に、なりましょう」
「あのさ、僕が正直なのは僕が一番分かってるから。僕は自分に嘘をついたことなんて、一度もない。この決意は、本物なんだよ」
「あぁ、なるほど。あなた、自分で分かってないんですね。自分の本当の気持ちに。深層心理では、どう思っているか」
ちょっと待て。なんだこの展開は?
この人はやっぱり、僕を説得しにきたのか?
見ず知らずの僕の、自殺というか生まれ変わりを、止めにきたお節介な人間。
心が読める、超能力者。
彼女は僕の深層心理を、読み取った――僕は本当は、死にたくないと、思っている?
この世界から消えてしまうことが、怖いと思っている?
異世界に転生することを、望んでいないというのか?
僕は異世界最強の、勇者に――なりたく、ないのか?
「あなたは本当は、死ぬことなんて、望んでいない。その証拠に――」
僕は――
「さっきからあなた、ずっと私の話に付き合ってくれて……。全然そこから、飛び降りようとしないじゃないですか」
それが、何よりの証拠です。
と、彼女はニヤッと笑い、人差し指を突き出した。
証明完了、と言わんばかりに。
いや。
根拠として、薄すぎない?
なんて僕の考えを読み取ったのだろう。彼女の笑顔が固まり、それから徐々に不安そうに曇っていく。
図星だったようだ。
でも確かに、彼女の言うことも一理ある。
彼女が僕の転生を止めに来たのだとしても、フェンスの向こう側にいる以上、なにもできないのだから。
話を無視して、さっさと飛び降りてしまえばよかったのだ。死ぬ気がないと思われても、仕方がない。
だけどそれこそ、仕方がないのだ。
楽しかったのだから。
誰かとこんなに会話するの、久しぶりだから。
見ず知らずの他人でも、僕にこんなに関わろうとしてくれた人は、たぶん初めてだから。
ちょっとだけ、彼女と会話するのが楽しかった。
だから最期に、お礼ぐらいは言わなきゃな。
心の中で。
ありがとう。もういくよ。
僕はそう心の中で呟いて、ゆっくり体を後ろに倒し。
やがて、仰向けに、ビルの屋上から身を投げ出す形となった。
自問自答の末、分かったこと。
僕の決意はやはり、本物だった。
勇者になりたい。剣と魔法を駆使して、ドラゴンを倒したい。大冒険の末、伝説の大秘宝を手に入れたい。
この世界では体験できないような、感動と興奮を味わいたい。
僕は――幸せに、なりたい。
「っ――!?」
僕がさっきまでいたビルの屋上から、叫ぶような声が聞こえた気がしたが、やがて聞こえなくなった。
僕は頭から、勢いよく落下する。
体が風を切る。
心臓がふわっと、浮く感覚。
あぁ、すごい。今だけは、現実ではない。異世界にいるみたいだ。
そして、次の瞬間。
ぐしゃ、という鈍い音とともに。
僕の身体は地面に叩きつけられ、その衝撃で、全身の全機能が停止し、絶命することに――
――ばふっ。
という、音がした。
ぐしゃ、ではなく。
ばふっ。
僕の身体は、地面に叩きつけられなかった。
その衝撃は、すべて吸収された。
このやや硬めの、でもコンクリートの地面に比べたら圧倒的に柔らかい、巨大なマットのようなものに。
「……なんだこれ?」
僕はまだ、生きていた。
退屈でつまらない、この現実世界に。
どうやら僕の異世界転生は、失敗に終わったようだった。
「ばかぁっ! どうしてあんなこと、したんですかっ!?」
数時間後。
ようやく警察から釈放された僕は、彼女と再会を果たした。
僕の異世界転生を阻止しようとした、お節介な少女に。
どうやら彼女が、警察を予め呼んでいたようだ。
彼女が屋上で僕に語りかけたのも、警察が到着するまでの時間稼ぎが狙いだったのだろう。
まんまとその狙いに僕は、ハマってしまったわけだ……。
そしてその彼女はなぜか今、めちゃくちゃ怒っていた。
涙をぼろぼろ、流しながら。
「えっと……」
「あんなところから飛び降りるなんて、どうかしてます! もし警察の方が間に合わなかったら、死んじゃうところだったじゃないですか!!」
「いや、そもそも僕は最初から、そのつもりで――」
「それがおかしいって言ってるんです! なんで死のうとなんかするんですかっ!? そんなの、悲しいじゃないですか!」
「……」
悲しいって。
誰が? 僕が死ぬことで、誰が悲しむっていうんだ?
家族も友人も恋人も、僕にはいないというのに。
「だから、私が悲しいんです! あなたが死ぬことで、私が悲しみます! だから、もう二度とあんなことしないでください!!」
「な、なんだよそれ。何で君が悲しむんだよ? さっき初めて会ったばかりの、君が」
「私も、あなたと同じだったんです……だからっ」
同じだった?
どういうことだ?
「うっ、うっ……」
彼女はひとしきり泣いた後。
ゆっくりと、話し始めた。
「……私はもともと、あなたのように自殺した人間です」
「えっ?」
「こことは違う、別の世界で。そして、生まれ変わったんです。この世界で――今の、私に」
「な、なんだって?」。
それはつまり、まさしく。
僕が憧れた、異世界転生そのものではないか。
とてもじゃないが、信じられない話だ――なんて、もちろん思わない。
僕が信じなくて、誰が信じるというのだ。
「そうですね。そしてこの世界で目覚めた私はなぜか、人の心を読める能力を持っていました」
絵に描いたような異世界転生じゃないか。
「誰が描くんですか……なんて、誰かというならきっとそれは、神様ってやつなんでしょうね。私をこうして、この世界に導いたのは」
神様。
異世界転生には何より欠かせない存在。間違いなくどこかに、存在しているのだろう。
「……喋るのサボらないでくださいよ」
いや、なんか喋らなくても会話成立してるからさ。
「なんか一人で喋ってるみたいで、嫌なんですけど。まあ、いいです。とにかく私はこの世界で生まれ変わり、心を読めるようになった」
心を読める、能力。
「それはきっと――神様から私への、『罰』だったのでしょう」
罰、だって?
「自殺なんて愚かな行為に走った、私への……だって私の能力は、心が読める能力であると同時に、心が聞こえてしまう能力でもあったんですから」
心が聞こてしまう……。
もしかしてそれは、能力が常に効いていて、止めることができない、という意味か?
「そうです。常に流れて、耳に入るんですよ。周りの人たちの、心の声が」
常に周りの人間から、心の声が聞こえる――それは僕には想像もできない、世界。
異世界だった。
「実際、全くいいものではないんですよ。心の中はみんな、暗い声ばかりで……。そしてある時、聞いてしまったんです。とある、声を」
彼女は、ゆっくり呼吸を整えながら、言った。
「その声は、悲痛に溢れていました。その心は、絶望に満ちていました。その人は――その女性は、自殺で娘を失ったばかりの、母親だったようです」
自殺で娘を失った母親の心を、彼女は読んでしまった。
もちろん彼女にとってこの世界は異世界で、その女性も自分とは何の関係もない人だったのだろうけど。
境遇でいえば、同じだ。まさしく自分の母親の心を読んでしまったことと、等しいと言えるだろう。
「最悪の気分でした。その場で崩れ落ちて、人がたくさんいる中で泣いてしまいましたよ。あれは本当に、恥ずかしかった」
自殺した娘の母親の気持ちを――彼女は身をもって、知ることになったのだ。
「自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、たまりませんでした……自分のした行為は、なんて愚かなんだと。そこで気づいたんです――これが、罰なんだと。なんとなく、神様が私にこの力をくれた意味を、理解できた気がしました」
神様は彼女に、心が聞こえる能力を与えた。
自分のことしか考えず、愚かな行為に走った、彼女に。
自分がした行為の愚かさを、身をもって味合わせるために。
人の気持ちを分からせる、能力を与えた。
「自殺なんて、するものじゃないです」
彼女は顔を上げ、僕の目を見て、言った。
震える声で。
「私が言えたものではないですが、私だからこそ、言えることです。自殺なんて、しちゃダメです。悲しむ人が、必ずいますから」
僕が死んで、悲しむ人。
それは。
「私です。私が、悲しみます。だから本当に、やめてください。本当に――」
「僕の負けだよ」
「えっ?」
あぁ、そうだ。僕の負けだ。
だって彼女の言葉はきっと、本当だから。
僕が死んだら本当に、彼女は悲しむだろうから。
それが、分かる。伝わってくる。
僕に心を読める能力はないけれど、それでも分かるくらいに。
そしてきっと彼女は、僕じゃなくても、誰が自殺しようとも、悲しむのだ。
人が死ぬ。その悲しさに、彼女は耐えられないのだ。
それが例え、見ず知らずの他人だろうと、初対面の人間だろうと。
彼女は本気で、悲しんで、子供みたいに、わんわん泣く。
だから僕のような、大切な人も、友人も恋人もいない人間でも、自殺なんてできなくなる。
僕が死んだら彼女が悲しむ。それが、分かってしまうから。
人の心が読めることで、人の気持ちが、誰よりも分かる。
そんな心優しい彼女が、悲しむから。
まったく。
どうやら僕は、思っていたよりも、彼女のことが好きになってしまったらしい。
「負けって、どういうことですか?」
「……えっ? だから」
「それって、死ぬのをやめてくれるってことですか!? どうしてですか、急に! どういう風の吹き回しです!?」
「ちょっと待って。僕の心の中、聞こえなかったの?」
我ながら恥ずかしいことを思ってしまったので、少し後悔しているのだけど。
「あれ、そういえば、さっきまで聞こえてきたあなたの心の声が、突然聞こえなくなりました……あれれ?」
「……」
彼女の能力が、消えた?
なぜ、突然――いや。もし彼女の能力が『能力』ではなく、『罰』なのだとしたら。
「神様がもう、許してくれたんじゃないかな?」
「えっ?」
「ほら。僕はもう、自殺をする気がなくなった。僕という人間の命を、君は救ったんだ。だから君に課せられた罰が、消えたのかも」
「私があなたの命を、救った……?」
「そう。君は僕の命を救ってくれた。僕の、命の恩人だ。だから、その……」
僕が飛び降りる寸前、心の中で伝えたこと。人生最期になるはずだったその言葉を、もう一度、彼女に伝える。
今度は口に出して、はっきりと。
「ありがとう」
僕の言葉を受け、彼女はようやく、喜びの表情を見せた。
「あははっ」
彼女は、笑う。目にまた少しだけ、涙を浮かべながら。
「こちらこそ、ありがとうございます!」
そのとびっきりの笑顔は、僕に生きる意味を見出させてくれた。
もう少しだけ、この世界で生きていても良いかな、と思わせてくれた。
「あの、それで……」
「えっ?」
「結局さっきは何を、考えてたんですか? どうして考えを改めてくれたんですか!? 聞かせてください!」
「それは、絶対いやだ」
「なんでですかぁー!」
彼女の大袈裟なリアクションに、僕は笑ってしまう。
久しぶりに心から、笑えたように思う。
異世界から転生してきた、青い髪の美しい少女。
彼女は僕の命を、救ってくれた。
僕なんて、全然大した人間じゃないけれど――それでも彼女は、その優しい心で、一人の人間の命を救ったのだ。
それだけで、十分。
紛れもなく彼女こそが――真の勇者だった。
読んで頂きありがとうございます! 少しでも楽しんで頂けてたら幸いです。