1 いきなり人生最大のピンチ
私はヒロミ。文芸部のヒロミ。
私は今、人生最大のピンチを迎えていた。
私が所属する文芸部が、生徒会の偏見と横暴により、廃部に追い込まれようとしているのだ。
それを食い止めるべく、私は同じ文芸部員で同級生のトウ子とアカネとともに、生徒会室へとやって来た。
そして文芸部廃部の撤回を求める為、私達三人はノックもせずに生徒会室に乗り込んだ!
・・・・・・と、思ったら、実際に生徒会室の中に乗り込んだのは私一人で、トウ子とアカネは廊下に留まり、ドアの隙間から私の様子をうかがっている。
どうやら修羅場は全部私に押しつけるつもりらしい。
この裏切り者どもめ!
トウ子はドアの隙間からウインクをして、
『ヒロミちゃん、ガンバ♪ヒロミちゃんならできるよ!』
という視線を送って来る。
いやうるせぇよ!
私は今から愛の告白をするんじゃねぇっつぅの!
一方のアカネは、ドアの隙間からグッと両拳を握り、
『部長!勇気を出して!自分達がついてるッス!』
という視線を送って来る。
じゃああんた達も入ってこいよ!
私だけ虎の穴に放り込むんじゃねぇわよ!
そう思いながら裏切り者二人に怒りの視線を送っていると、槍のように鋭く、それでいて凛として美しい声が私の背中に刺さった。
「何かしら?今、会議中なのだけど」
その声に恐る恐る振り返る私。
するとその視線の先、部屋の奥の上座に陣取るように、生徒会長である天道院会長が、極めて不機嫌そうな表情で私の事を睨みつけている。
「ひぃっ」
その、睨みつけられるだけで蒸発してしまいそうな恐ろしい視線に、マヌケで情けない声を上げる私。
どどどどうしようどうしようどうしよう?
怒りに任せて乗り込んではみたものの、その怒りは強風にあおられたロウソクの火のごとく一瞬で消え失せ、足はガクガクと震え、心臓はバクバクと乱れ、頭の中はクラクラと目まいがする。
そんな中天道院会長はスッと立ち上がり、ゆっくりと優雅な足取りでこちらに歩み寄り、私の目の前で立ち止まった。
私よりも頭ひとつ以上背が高く、背中までのびる黒髪は貴族がまとう絹織の衣よりもツヤと光沢を帯び、透き通る肌は吸い込まれる程に透明感があり、白珠のごとく白い。
その中に輝く目元は、今は機嫌が悪いせいか眉間にしわがより、目じりは般若のごとく吊りあがってはいるが、それでも山奥の清流のように澄み切った黒目がちな瞳に、見とれない訳にはいかなかった。
チビ助で、髪はお団子にしないと全くまとまらない程にモッサモサのバッサバサで、肌はニキビとそばかすに満ちあふれ、グルグルのビン底眼鏡で隠さないではいられないほどに貧相な目元をした私とは、
天国と地獄、
月とスッポン、
天女と近所の鼻たれ娘、
くらいに程遠い存在。
そんな完璧美女、鉄壁麗人の天道院会長を目の前に、私は恐れと憧れと、逃げ出したい気持ちと、少しでも長くこの人を間近で見ていたいという気持ちが入り混じった、何とも複雑な感情に襲われていた。
この部屋には天道院会長の他にも生徒会役員の人達がズラリと顔をそろえていたが、その人達の姿は私には一切目に入らず、目の前の天道院会長だけが、私の視界と思考を支配している。
その天道院会長が、再び口を開いた。
「もう一度だけ聞くわ。あなたは誰?要件は何?」
その言葉にハッと我に返る私。
そうだ。私がここに来たのは、天道院会長に見とれる為じゃあなかった。
私が所属する文芸部の廃部を撤回してもらう為にここに来たんだった。
なので私は意を決し、ハッキリした口調でこう言った。
「ば、ばだじばぁっ!ぶんげぎ、ぶじゅるるるっ!」
全然ハッキリ言えてないわ私!
徒競走でいきなりつまづいて思いっきり顔からつんのめった感じだわ!
そもそも私は人見知りのヘビー級チャンピオンだから、人と話す事がとにかく苦手。
その相手が天道院会長となると、そのハードルはオリュンポスの山よりも高くなる!
心の中ではこれだけああだこうだとよくしゃべるけど、それを実際に口から声に出して話すのはほぼ不可能に近い事なのだ!
ああもうダメ。
緊張しすぎて頭が真っ白。
目の前も、今かけているグルグルのビン底眼鏡のようにグルグルしてきた。
もう何も言葉が浮かばない。
何も言えない。
頭真っ白。
目の前真っ暗。
「はぁ・・・・・・」
そんな私にあきれはてたように、天道院会長は大きく深いため息をつく。
そりゃあそうよね。
こんなダメダメ人間が目の前に居たら、ため息もつきたくなるわよね。
私だって嫌だもん、こんな自分が。
もう、穴があったら入りたいなんてレベルじゃなくて、この世から消えてなくなりたいよ・・・・・・。
そんな私に天道院会長は、ゆっくりと、諭すように言った。
「あなた、ちょっと落ち着きなさい。いい?私は別に、怒っている訳じゃあないの。ただ、あなたが誰で、何の用でここに来たのか、聞きたいだけなの。ゆっくりでいいから、教えてちょうだい」
さっきよりも優しい口調でそう言われ、真っ白になっていた私の頭が、またゆっくりと働きだした。
そして、何とか声を絞り出すように、私は、言った。
「わ、わた、私、は、ヒロミ、です。イシバシ、ヒロミ、です。ぶ、文芸部で、部長を、しています」
私がそう言うと、天道院会長は「ああ」と呟き、全てを理解したような様子で言った。
「そう、あなたが文芸部の。じゃあここに来た要件は、ひとつしかないわよね。私はそれが何なのかは分かっているけど、それはあなたの口から、あなたの言葉で言ってちょうだい。そうじゃないと、私はどんな異議申し立ても受け付けないわよ」
「う、ぐ・・・・・・」
天道院会長にそう言われ、グッと息を飲む私。
その様子は厳しく問いただすと言うよりも、優しく、それでいて我慢強く、私の言葉を導き出そうとしてくれているようだった。
この人、見た目よりも怖くなくて、むしろ、メチャクチャ優しい人なのかもしれない。
そう思ったら、じわぁっと心が温かくなって、ふわぁっと安心感が心の中に広がって、ほんのちょっぴり勇気がわいてきた。
なので、私はギュッと両手を胸の前で組んで、天道院会長に、言った。
「こ、このたび、生徒会が、文芸部を、廃部にすると、聞きました。私は、全然、納得、できません。その、理由を、教えて、欲しいです。そして、廃部にする事を、取り消して、欲しい、ですっ」
い、言えた。
まるでうまく言えなかったけど、何とか、言いたい事は、言えた。
・・・・・・疲れた。
フルマラソンを走りきった後って、きっとこんな感じなんだろう。
全身が重だるくて、頭がクラクラする。
そんな私に、天道院会長は
「なるほど、あなたの言いたい事はよく分かったわ」
とうなずき、私の目をまっすぐに見据えてこう続けた。
「それじゃああなたの所属する文芸部を、どうして廃部にするのかを教えてあげる。まず総合的な結論を言うと、『部として存続させる価値がないから』。この一言に尽きるわ」
ガピシャァアアン!
私の脳天に、天道院会長の雷のような一言が直撃した。
部として、存続させる価値がない?
そ、そんな、私は本が好きで、その中でもロマンチックで幻想的な物語が大好きで、私もいつかそんな物語を書いてみたいと思って、そして、そんな想いを共有できる仲間と一緒に活動したいと思って、この文芸部に入った。
去年卒業した先輩達は、自分達で色々な物語を作って、それを一冊の本にまとめて、文化祭とかで定期的に発表していた。
私もそういうものを作りたくて頑張っていたのに、『存続する価値がない』なんて、そんな、そんな。
のどの奥がギュゥッとしめつけられるような感覚になり、目頭がカァッと熱くなる。
もうダメ、私、泣きそう。
すると、そんな私の様子を見て取った天道院会長は、右手の中指で自分の眉間をさすりながら言った。
「今のは言い方がきつかったかもしれないわね。私は、あなた(・・・)個人は(・)この部を凄く大事にしていて、文芸部で真面目に活動している事を、執行部から聞いているわ。だけど、『部』として見た場合、やはりこのまま活動を続けさせるのは問題があると、生徒会では判断せざるを得ない。つまり、文芸部に所属するあなた(・・・)以外の(・)部員の(・)日頃の(・)行い(・・)が、あまりにもひどいという事よ。それは、普段一緒に活動しているあなた自身が、一番よく分かっているでしょう?」
「うぐ・・・・・・」
天道院会長の言葉に、言葉も涙も引っ込む私。
ちなみに文芸部の私以外の部員とは、私一人を生徒会室という虎の穴に放り込み、自分達はドアの外から見物している、トウ子とアカネの二人だ。
その二人を横眼でチラッと見やった天道院会長は、再び語気を強くして言った。
「まず、文芸部には、著しくいかがわしい、本来なら未成年の私達が入手できないような内容の本を、部室に持ちこんでいる部員が居るわね?しかもその数は机の中に隠せるようなレベルじゃなくて、本棚ひとつを満杯にするほど。これは部の廃部どころか、下手をすれば停学ものよ?これだけでも文芸部を廃部にする理由には十分だと思うの」
「う、ぐ・・・・・・」
確かに。
ちなみにこれはトウ子の事で、天道院会長の言う著しくいかがわしい本というのは、アハ~ン♡な小説や、ウフ~ン♡な漫画、そしてイヤ~ン♡な写真集の事だ。
私がそういうものに興味があるかどうかはまあ置いといて、トウ子はそういうものにすこぶる興味があり、しかもそれを全く隠そうともせず(文芸部の中だけだとは思うけど)、そういう内容の本をどんどん部室の本棚にため込んで行く。
まあ、家にこんな内容の本を、これだけの数、しかも自分の娘が持っているとなると、ご両親は泡を吹いて倒れるかもしれない。
そう考えると、これも仕方のない事・・・・・・な、訳はない。
どう考えてもダメでしょ。
私もそう思って散々トウ子に注意したけど、トウ子は『だって、しょうがなぁいじゃない♪』と、昔の歌謡曲のワンフレーズのような言葉を繰り返すだけで、本棚のいかがわしい本の数は一向に減る様子はない。
むしろ増えている。
それを言われると私はグゥの根も出ない。
廃部と言われても仕方がないという気になってくる。
でも、だけど、それでも私は文芸部を続けたいんだ!
すると、そんな私の気持ちをくじくように、天道院会長は続けた。
「それに文芸部には、無類の格闘技マニアも居るわよね?部室の本棚のひとつを格闘技系の書物で一杯にし、部室には無断で様々なトレーニング器具を持ち込み、あまつさえテレビゲームまで持ちこんで、格闘ゲームに精を出す。これはもう、部室の私物化のレベルをはなはだしく超えているし、文芸部の本来の趣旨を著しく逸脱している。こんな部を存続させる理由が何処にあるのかしら?」
「ぐ、あ・・・・・・」
ごもっともです。
ちなみにこれはアカネの事で、彼女の家はとある古武術の道場らしく、彼女はその正当な後継者にして師範代。
そして自分を更に高めるために他の格闘術も研究したいんだけど、それは師範であるお父さんが許してくれないそうで、彼女は仕方なく様々な格闘技の資料を文芸部の部室に持ちこみ、色々なトレーニング器具も内緒で買い、それも部室に持ちこみ、更には家で禁止されているテレビゲームまで部室に持ちこみ、それで格闘ゲームに精を出している。
まあ、お父さんがとても厳しい人らしいので、それも仕方がないのかもしれない・・・・・・訳は、ない。
ダメよそんなの。
ウチは文芸部なのよ?
トレーニングジムじゃあないのよ?
これもアカネには再三注意したけれど、「わかっちゃいるけどやめられない♪」と、昭和の流行歌のようなフレーズを繰り返し、その行動を改める様子は微塵もない。
つまるところ、この二人は完全に文芸部の部室を私物化し、なおかつ文芸部とは何ら関係ない活動ばかりしているのだ。
そりゃあ廃部にすると言われても仕方ないわよね。
私が生徒会長でもきっとそうする。
うぅ、さっきとは違う意味で泣きそうになってきた。
気が付けば私は、その場にひざまづいて両手をついていた。
するとそんな私を哀れに思ったのか、天道院会長は私の前にしゃがみ、私の肩にそっと手を置いて言った。
「あなたの苦労は痛いほどによく分かるわ。だからあなたに、一度だけチャンスをあげましょう」
「え?ちゃ、チャンス?」
私が顔を上げて問いかけると、天道院会長はうなずいてこう続けた。
「二週間後に、この学校の文化祭があるでしょう?それまでに、文芸部で一冊の小説を書きあげて、それを文化祭で発表しなさい。そうすれば文芸部はちゃんと活動していると認め、廃部の話は撤回するわ」
「ほ、本当ですか⁉」
天道院会長の言葉に、私の心はパァッと明るくなった。
さっきまでは天道院会長が冥界の女王のように恐ろしく見えていたけど、今は天界の女神様のように優しく見える。
やっぱりこの人は、とても優しくていい人なんだ。
そう思いながら天道院会長に見とれていると、天道院会長は「ただし」と、釘を刺すように続けた。
「それにはひとつだけ条件を出すわ。それは、
『文化祭に発表する小説は、文芸部の三人で共同制作する』
というものよ。三人でそれぞれひとつずつ作品を書いてもいいし、ひとつの作品を三人で書いてもいい。とにかく文芸部全員が参加して作品を作る事。これが条件よ。いいわね?」
「は、はい・・・・・・」
天道院会長の言葉にそう返事を返したものの、私の心はたちまちさっきの不安な気持ちに逆戻りしていた。
ど、どうしよう?
私は二週間で小説ひとつくらい書きあげる事はできるけど、トウ子やアカネにそんな事ができるんだろうか?
万が一書けたとして、それはちゃんと文化祭で発表できるような内容になるんだろうか?
不安だ。
そして恐らく不可能だ。
でも、それができないとなると、廃部は免れない。
例え不可能だとしても、この条件を飲むしか、文芸部が生き残る道はないんだ。
そう思った私は腹をくくり、力強い口調で天道院会長に申し出た。
「ば、ばがり、ばじだ・・・・・・文化祭までに、じょぐじぇつぼぉっ⁉」
自分で思っていたほど、力強い言葉にはならなかった。
そして、緊張しすぎて何が言いたいのかも自分でよくわからなかった。
とにもかくにも、我が文芸部は、その存続を賭けて小説を書く事になった。
もう、やるしかないんだ。