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ひめみこ 第二幕  作者: 転々
第一章 変わる日常
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退院に向けて

 知子と母親は、病室でマンションの間取りを見比べている。比較的高級な物件だ。設備にさほどの差は無いが、それなりにセキュリティを優先した、比売神子のコネによる斡旋だ。


 三月中の引っ越しというのは慌ただしい。大学生の新居ならともかく、家族向けをこの短期間にというのは、現実的にはかなり難しい。この辺りもコネあればこそだ。




 父親は、一度だけ現地を回ったきりで、母親に一任した。土地家屋調査士の目で見て、どこを選んでも問題ないと言うことらしい。

 もっとも、その日の父親は知子のことで気もそぞろ。それ以外のことは考える余裕がなかったかも知れない。


 その日、病室で彼女と対面したとき、じっと目を見つめた後、「知だ」と一言発し、頭を撫でた。しかしその後は、娘とあって、どう接するのが良いか、距離の取り方を図りかねていたようだ。




 新居物件を巡る間「知治の小学校の入学式を思い出した」と、昌に言う。そこまで幼い顔でも無いはずだが、父親にとってはそうなのだろう。昌もまた、昨年の春、更に二年前の春を思い出す。


「家庭内の男女比が変わるから、パワーバランスも今まで通りではないですよ。

 下着を一緒に洗わないで! って言われるかも知れませんね」


 そう言うと、父親は考え込んだ。


美貴(みき)が、自分の分だけを洗濯するんだよなぁ」


 よく聞く話だ。知子ちゃんはどうだろうか? 昌は考えた。

 男子高校生としての分別があるから、そういうことは無いと思うが、あるいは……。


「お父さん。仮に知子ちゃんがそういう態度を取ったとしても、怒らないでいて下さい。それは、女性としての自分を受け容れ、成長していると理解していただければ……」


「そうだな。うん、ありがとう」




 支度金もあるので、家財道具の多くは、現地で買いそろえることになる。持ってくるのは愛着があるものだけだ。

 今月中に引っ越すことになるが、父親だけは仕事の引き継ぎがあるため、早くとも五月の連休明けになる。当面は母娘三人の暮らしになるだろう。

 ただし、母親は緩めに求職活動、『末の娘』は病気療養だ。




 昌は父親を駅で見送り、改めて病院に戻る。意識を回復して既に二週間ほど。そろそろリミットだ。病院へ行くと、母親は一旦、宿へ引き上げているようだ。


「知子ちゃーん、ちょっといい?」


「はい」


「近々に必要なことで、一つ言ってなかったことがあるんだよね」


「なんでしょう?」


 小首をかしげると、肩口で切り揃えられた亜麻色の髪が揺れる。


「えーっとね、少し言いにくいんだけど、これから毎月のこと」


 知子は数瞬眉根を寄せるが、意味を理解したのだろう、頬を染めて少し俯く。


「分かったみたいだね、うん、あのこと。生理のこと。

 女の子だったら小学校でも少し習うし、基本的にはお母さんから教えてもらうことが多いけど……、多分、訊きにくいよね。

 どうする? お母さんから聞く? それとも、私が説明する?」


 知子は、昌から聞くことを選んだ。やはり男子高校生の意識は、母親からそれを聞くことに、抵抗を覚える。


 昌は概要を説明した。

 基本的なことは彼女も知っていたが、やはり具体的なことは知らない。排卵のタイミングや内分泌に関すること、個人差はあるけど、それに先立って気分の振れ幅が変わること。

 更に、その期間用の下着――無論、新品――を見せ、実際に用具を固定させる。そして、昼夜で道具を使い分けることも説明する。


「昼用で仰向けになったら、どうなるかは自明だよね」


 昌は自身の失敗を思い出す。そのときは誰にも見つかることなく自分で後始末を出来たから良かったが、彼女がそれを家族に発見されでもしたら、いろいろと差し障りがある。出来れば、初回は退院前の方が望ましい。


 彼女は神妙な面持ちで聞いている。




 翌朝、母親にそのことについて本人に伝えたことを話す。


「やはり、息子という記憶や人格がある以上、お母さんにこういうことは訊きにくいと思います。

 事後報告になって申し訳ありませんが……」


「いえ。むしろ、ありがとうございます。

 正直なところ、今の今までその件について失念していましたし、冷静に考えて、私がそれを知に話せるかというと、多分、お互いに気まずいと思います」




 新居は、全くの偶然だが、過去に昌と慶一が過ごし、今は義姉の持ち物になっているマンションと隣接していた。

 エントランスは共通で、昌が住んでいた棟は3LDK以下、北川家の新居は4LDK以上のファミリー向けだ。

 引っ越し準備自体は、かなり進んでいる。以前の家もあと二月ぐらいはそのままなので、移動の時間や費用に目を瞑れば、作業はそこまで急がない。

 作業は、四月から中学校に通わなくてはならない妹――今後は知子の姉となる――を優先に進む。


 引っ越しが終われば、知子も一緒に暮らすことになるが、養子縁組は不自然さが出ないよう夏まで待つ。それまでは書類上、元神子の夫婦が後見人を務めている体裁が採られる。




 三月も終わりに近づき、知子の退院が近づく。

 二日後に退院を控えた日、知子にそれが訪れたが、沙耶香のフォローもあったおかげか、昌の予想に反して、取り乱すことなく対応していた。




 退院前日、病室に家族が初めて揃う日。

 妹改め『姉』の美貴が、姿を変えた『妹』と初めて会う。守秘ということもあり、撮影などは禁じていたため、初めて見たその姿に固まる。


 次の瞬間、「かっわいぃー」と走り寄る。


「知ちゃん。私のこと『おねえちゃん』って呼んで」


「み、美貴……」


「『おねえちゃん』だよ」


 人差し指を立て、鼻の頭をつつく。

 これまで妹だったからか、お姉ちゃん風を吹かせる。


「おねえちゃん、はい、リピート、アフタ、ミー」


 沙耶香はその様子を苦笑いで見るが、知子の胸中は如何ばかりか。

 昌も『お母さん』に照れたことを思い出す。


 当の知子は、昨日からの不調でかなり疲れている。正直、面倒くさい。『姉』の態度にイラッと来ていて、癇癪を起こしそうなところを、深呼吸でぐっと堪える。


「お、お姉ちゃん……」


「大変よくできましたぁ!」


 美貴は満面の笑みで知子の頭を撫でる。

 知子は、負けた気分だ。

 いや、不慣れなこの姿で、新しい環境で生活するためには、美貴の協力を取りつけなくてはならない。そのために必要なことだ。今は雌伏の時……。いや、雌伏という漢字は良くないな。他にいい言い換えはないだろうか?

 思考が現実を直視しない方向へ動く。




 彼女の新生活は前途多難である。

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― 新着の感想 ―
[一言]  楽しく読ませていただいています。  作者様、お疲れ様です、ありがとうございました。  次章も楽しみです。
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