葬儀
昌が買い物から戻ると、時刻は昼近い。
「沙耶香さーん、お昼、どうします?」
「一応、今日もお弁当、段取りしてるわよ。お汁大好きな昌ちゃんのために、今回はお味噌汁も。
永谷園の『あさげ』だけど」
「やったぁ。でも、私たちは合わせ味噌でもいいですけど、北陸の人は『ゆうげ』の白味噌の方が好みじゃないかなぁ。実は私もそっちの方が好きなんですけどね」
「そこまで考えてなかったわ。じゃ、次回は『ゆうげ』にしとこうかしら」
「どうせなら『醤油屋さんが作ったお吸い物』的な、フリーズドライのとかも、具がたっぷりで美味しいですよ。あと、北陸繋がりで、『宝の麩』とか」
「あー、あれね。随分前に聡子ちゃんから貰ったことがあるわ」
しばらくはお吸い物談義が続き。お昼時になる。
『知ちゃん』の姿を大っぴらにするわけにもいかないので、談話室でというわけにはいかない。
二人は病室へ移動した。
四人でテーブルを囲み「頂きます」
「昨日も思ったけど、貴女、食べ方はきれいね」
沙耶香は褒めて伸ばす方針に切り替えたようだ。彼女もはにかむような、すこし照れたような表情をする。この姿から、一ヶ月前の姿を想像できる者はいないだろう。
「それはね『知治』君が小さい頃に、両親から受けた躾だよ。そういうちょっとしたことが、貴女の内側にも受け継がれてるんだよ。
自分では気づきにくいけどね」
親子揃って、少し面映ゆい表情をする。
沙耶香は昌の方を向いて、二人に見えないように、口角を少し上げた。
「私の名前、どうしよう?」
沙耶香は「おや?」という顔で、片眉を上げる。昌はその仕草に、ちょっと高瀬先生が伝染ったみたいだ、と思う。
昨晩、両親は電話で相談をしたという。知治の『知』を使うことは、ほぼ決定事項のようだ。
沙耶香も昌も口には出さないが、それに賛成だ。普段から『知』と呼ばれているし、それを変えないことは、心理的な負担を小さくするに違いない。
「『知』はどんなのがいい?」
「それは、父さんと母さんが決めてくれればいいと思う」
名前は、生まれた子どもに両親が与える、初めての社会的なものだ。その意味では、本人でなく親が決めるべきだろう。
多くの神子は、両親に知られることなく自分で名前を決めるが、それでも文字か読みを残すことが多い。どこかで実の両親の想いや繋がりを残したいと思うのが人情なのかも知れない。
相談――と電話――の結果、『知子』に決まった。
安直で、当世風ではない――むしろ昭和な――名前ではあるが、それはそれで彼女らしい。そう言えば、神子は案外『子』がついた、あるいは少し古くさい名前が多い。
沙耶香と昌は、奇しくも同じ印象を持った。
その日は、入浴や髪の洗い方以外、行動についての訓練は見合わせた。それでも本人は意識しているのだろう、座り方や言葉遣いは、昨日までとは違っている。
二人はあえてそこには触れず、夕食前に病室を辞した。
「沙耶香さん、知子ちゃんは、お通夜、どうします?」
「正直、まだ難しいわね。
それに、心の状態の方が心配よ。今日は昌ちゃんのおかげで小康状態だけど、明日もそうかは分からないし」
「お母さんに、もっと甘えられればいいんですけど」
「過去の記憶がそれを邪魔するのでしょうね。それとどう折り合いをつけるかは、普通の神子にとってもハードルだし、知子ちゃんにはもっと高いハードルがある」
昌は目を閉じた。
自身はそれについて、ある意味では悩む必要が無かった。家族の生活と子ども達の将来のためには、自身が健康に生存することが最優先で、生き方や将来について考える必要は無かった。
しかし、知子の場合は、まず考えるのが自身の生き方と将来だ。少なくとも、一ヶ月前の自身の延長上からは選べない。
地域の進学校で学び、運動部ではレギュラーメンバー。リセットして人生やり直し、安易にそう思えるものではないだろう。
自分たちと『彼』の家族だけで、どこまで支えられるか。
その後数日、訓練は緩いペースで続けられた。基本の所作については、初歩の初歩といった段階で、言葉遣いは未だ不自然なままだ。一人称も、度々『自分』が入る。
月曜、通夜の当日。
着替えはホテルでも可能だから、今回はレクサスのお高い車での北陸行。
母親は土曜のうちに帰宅しているが、知子は当日の移動となる。そして帰宅できないので、宿泊は沙耶香、昌とホテルで同室だ。
ホテルで着替え、知子には黒髪のウィッグと素通しの眼鏡を着けてもらう。今後、両親と同居する以上、第三者に印象を残さないためにも必要なことだ。そして、外見が沙耶香より目立つ昌は、知子と行動を共にせずに車内で待つ。
亡骸の無い葬儀であるため、会場はこぢんまりとしたものだ。
クラスメイトと野球部員、中学時代の友人まで来ると、全員は入りきらない。交代で焼香とお参りに入る姿を、会場前のホールから見るだけになった。
少し離れた席で沙耶香と向かい合って座る。知子は沙耶香の肩越しに、弔問に来るかつてのクラスメイトや友人達の姿を、心に焼き付けるように見る。しかし、その目は涙で溢れている。焼き付けられた姿は、霞み、あるいはゆがんでいるに違いない。
弔問客の幾人かが知子の姿に一瞥を送るが、知治と繋がるはずもない。親類――従姉妹とか――だと思ったのだろう、座っている限り、その幼い顔立ちと相まって、小学生に見える。
弔問客は改めて知子を見ることなく、そのままセレモニー会館を後にする。
知子は沙耶香に連れられ、そのまま車に戻る。やはり、この土地では家族と顔を合わせるわけにはいかない。
彼女は、後部座席に無言で座った。俯いた肩は震えている。
昌はルームミラー越しにその姿を見ると、シートベルトを着けるよう促す以上のことは口にせず、そのまま宿に向かった。
その日、知子は入浴する気にもなれず、着替えだけをして床についた。
昌も入眠したのを確認し、沙耶香はコーヒーを一杯飲む。知子がおかしな行動に出ないよう、夜を徹しての監視だ。
翌日の葬儀は弔問客も少ない。さりとて家族と顔を合わせるわけにもいかず、途中で車に戻る。
三人はホテルで着替え、チェックアウトした。
葬儀の直後とあって、昼食は簡単に済ませる。
「昌ちゃん、私、明後日から夜勤だから仮眠するわね。
悪いけど、高速降りるまで運転ヨロシク」
「分かりました」
昌も、早朝に目を覚ましたとき、沙耶香がベッドで寝たふりをしていることに気づいていた。妊婦に対する配慮に感謝しつつ、気づかなかったふりをしてハンドルを握る。
慌ただしい北陸行は終わった。