告知 二
「は?」
その、気の抜けた返事に、昌は「そうだろうなぁ」と思う。
普通は「どういう意味ですか?」とか「どういうことですか?」とか、あるいはその衝撃に憤るか泣き崩れるか……。こういった反応を予想するだろうか。
昌が想定していた反応でも上位にある、呆然とするか、あるいは「言ってることの意味が判らないんだけど」これに近い。
昌は一歩近づき、とった右手を胸元に寄せる。沙耶香は繰り返した。
「あなたが神子となったとき、同時にその身体は女性へと変化しました」
「知が男でも女でも、知は知よ」
母親も繰り返すと『彼』――彼女――は身体を起こそうとする。投薬を止めて既に数時間。既に薬の影響はほぼ失われている。
「無理に起きようとしないで」
昌はその動きを止めようとするが、彼女はその手を押しのける。無論、止めるだけの技も力もあるが、昌には出来なかった。
「待って。起きるなら、いろいろ管を外さなきゃ。その元気なら、点滴もすぐ要らなくなりそうね。
北川さん。一度、横になって。管を外します」
『格』を乗せているわけでは無いのに、沙耶香の口調には有無を言わせぬ力があった。
「お母さん、昌ちゃん、少し外していただけますか。他の人には見られたくないでしょうから」
意を察した昌は母親を連れ、カーテンを閉める。
沙耶香は、オキシメータ――血中酸素飽和度を測定する器具――と、心電計を外す。通常なら前開きできる入院着を着せたいところだが、今回は本人がショックを受けないよう、上下セパレートのそれを、下からたくし上げて電極を外す。
そして、掛け布を更に寄せ、尿を採るための管も外した。
「頑張ったわね。
お母さん、昌ちゃん、もういいわ」
「改めて、本人の意思を確認だけど……」
沙耶香は、彼女に家族と暮らしたいかどうかを訊く。彼女は俯いたまま、母親の表情を何度か窺っている。
昌は彼女に寄り添い、手を取った。
「お母さんが、悲しそうなのは、貴女が女の子になったからじゃなくて、貴女がそれでどれだけ辛いか、苦しいかを想ってよ。
そしてそれを代わってあげることも出来ないから、だから辛くて悲しいの。
さっきも言ってたじゃない。姿が変わっても家族だって。母親にとっては、息子だろうと娘だろうと、関係無いの。それがお母さんだよ」
彼女は昌を見上げる。
「だって、私もお母さんだもん。家に帰れば小さな子がいるし、お腹にはもう一人いる。
だから、お母さんの気持ちも分かるの」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
「母さんと、家族と、一緒に、暮らしたい、です」
それは、十二歳と言うには幼い顔立ちに、相応の姿だった。
病室に親子を残し、沙耶香と昌は控えの部屋へ。
「なんとか、第一段階クリアですね」
「まだまだ。長いのはここから。
一応、打合せ通り続けるわよ。
私がメイン、昌ちゃんにはバックアップに回ってもらうわ。私はビシビシ行くから、その分、貴女が大きな母性で包んであげて。
これも、適材適所。
とりあえず、お昼を食べたら、お風呂と着替えからね。下着は、上はスポブラで良いけど、下は?」
「女性用を準備しました」
「いきなり?」
「男性用はちょっと……。
まぁ、ビキニでもボクサーでもブリーフタイプならまだマシですけど、トランクスだけは止めた方が良いです。
割と、笑えないレベルで、シャレにならないことに……」
「?」
「男性用は、ほら、クロッチが無いので……。縫製にもよりますけど、真ん中に縫い目があったりすると……」
昌は頬をそめる。
「経験者は語る、と言うわけね」
沙耶香は何が起こるか、或いは起こったかを、ほぼ正確に予想出来たようだ。それを見て昌は耳まで赤くする。
「そういう表情やプレイは旦那さんとね」
「そんなプレイはしません!」
病室に戻ると、二人は目元を腫らせていた。
「少し早いけど、お昼にしましょうか。お弁当を取ってあるわ。
北川さんは胃袋がびっくりするから、病院食になりますけど。ここのは案外、美味しいのよ」
運ばれてきた食事は控えめだ。
献立は昌のときとほとんど同じだが、副菜が一つ多い。湯豆腐の鶏挽肉と卵とじの餡かけだ。タンパク質を多めにと言うことだろう。
そして味噌汁の代わりに、淡い色のコンソメ風野菜スープ。細かく刻んだ野菜が入っていて、病院食と言うより離乳食にも見える。弁当には汁物が無いので、昌は少し羨ましく思う。
「頂きまーす」
まずは昌が見た目相応の明るさで、弁当に箸をつける。それに促されるように親子が箸をつけたのを見て、沙耶香も食べ始めた。
食事中の会話は、あえて今後のことは外し、専ら食べている物の内容だ。
「これは何でしょうか?」
お母さんが箸でつまみ上げたのは、卵ボーロ程のジャガイモのような物体。
「小さい、おイモ? 昌ちゃん、知ってる?」
「ん? あ、これは零余子ですね。ヤマイモの茎とかに出来る実みたいなものです。花から出来るわけではないですけど。
でも、こんな時期に珍しい」
「普通は、いつ頃?」
「秋の後半ぐらい。これは塩茹でにしてますけど、素揚げにして塩を振ると、お酒にも合いますよ」
「お母さん、この子、こう見えて博識で料理も上手いのよ。お嫁さんに欲しいぐらい」
「『こう見えて』って、ことは無いでしょ? 女子力は自分でも結構高いと思っているんですから」
食事を終え、落ち着いたところで、今後の話をする。
「貴女にはまず、女性としての言葉遣いや立ち居振る舞いを身につけて貰います」
彼女は、現在の心の在り様はともかく、客観的には美少女だ。女性としての振る舞いを身につけないと、最終的に自身に跳ね返ってくるだろう。
そして、退院後は検診のこともあるので、家族共々病院の近くに引っ越して貰うこと。両親の仕事が軌道に乗り、生活が安定を得るまでは、国から経済的に援助があること。
また、彼女も比売神子となることが確実視されている上、研究の対象ともなっていることに対して、家族とは別に経済的支援があること。
「こういう言い方が良いとは思いませんが……、貴女は希有な存在なのです。我々としては、健康な生活を優先して欲しいのです」
親子とも、神妙な顔つきで聞いている。とりあえず、当座の生活に心配が無いことに、お母さんは安心したようだ。資格があるとは言え、家族がこの状態で、しかも知らない土地での求職活動は難しい。
「さて、それじゃぁ、しばらくは貴女のこと『知ちゃん』って呼ぶことにするけど、いいかしら? それとも、呼び方に希望はある?」
『知ちゃん』は「それでいい」と一応、首肯する。
「じゃぁ、早速レッスン・ワン。お風呂と着替え。
訓練をするにしても、その検査着より普通のがいいでしょ?」
「病室を換わりますので、お母さんは荷物と共にそちらに移動していただけますか? こちらです」
昌はお母さんを連れ出した。
「さすがに『元息子』としては、今の姿をお母さんに見せることには抵抗があるかと思います。
今しばらくは、私たちに任せていただけますか?」
廊下での道すがら、母親は昌の言葉に頷く。
そして「しばらく、こちらの病室でお待ち下さい」そう言い残して浴場に向かう昌を見送った。