相談
毎週水曜日、光紀は道場で小学生と女子中学生を教えている。彼女の丁寧な教え方は、保護者からの評判も良い。
稽古は午後九時まで。小学生にはやや遅い時間なので、保護者が迎えに来ることになっている。児童を迎えに来るのは、大多数が父親だ。その多くが八時半には姿を見せる。
稽古を終えた光紀と中学生が道場の掃除をしていると、保護者たちにどよめきがあった。視線を集めているのは沙耶香と昌だ。
「こんばんは。お二人とも、どうしたんです?」
「ちょっと相談事。ロビーで待ってるから、終わったら来てくれるかしら? 慌てなくてもいいわよ」
沙耶香が応じると、光紀は中学生の四人に掃除を引き継ぎ、更衣室へ向かった。
光紀が着替えてきたのは十五分ほど後だった。かなり急いだのだろう。髪が十分乾いていない。
「ドライヤー、あててきたら? 風邪をひくって季節でもないけど、湿ったままだと、後が大変よ」
「構いません。どうせ、家でもう一回お風呂ですから。
いつものことです」
三人には、遠目から保護者たちの視線が集まる。化粧せずとも十代にも見える光紀の美貌は、大卒の県職員には見えない。そして、彼女の知り合いであろう二人も、美女と美少女だ。
三人は場所を替える。道場から棟続きの会議室だ。既にエアコンが効いている。
「お二人がってことは、神子の指導について。……多分、知子ちゃんのことですね」
「正解です。相変わらず、光紀さんは話が早いです」
「じゃ、正解ついでに。
もしかして知子ちゃん、昌ちゃんと似たパターンかしら? 精神的には高校生ぐらいだと思うけど」
沙耶香は小さくため息をつくと「ホント、話が早いわね」と応える。
沙耶香はこの件について話すかどうかを迷ったこと、その上で、知子の精神的成長のためには、ルールを脇に置いても、情報を共有するべきと判断したことを話す。
「そこまで悩む必要ないと思うんですけどね。
ルールが現実に対応しきれないときは、そのルールの目的に戻って考えれば、結論は一つですよ」
「昌ちゃーん、それはちょっとどうかしら? 私も就職するまではあまり意識しなかったけど、法令遵守は大切よ。
大抵の人は、良かれと思って踏み越えちゃうんだけど、それが後々大変なことになったりするんだから。
まして沙耶香さんは、決定に責任を負う立場だし」
「とりあえず、今回の件については、私の責任において、現実を追認するという形で行こうと思います。
比売神子として、それに報いることは出来ませんが、私と昌ちゃんから個人的にお礼をさせて貰うわ」
二人は知子の出自については概要に留め、『設定』の詳細を話した。
「そういうことなら、私は『知らない』という体裁で接した方が良さそうね」
その後もいくつか相談するが、光紀の判断は、沙耶香、昌の両比売神子のそれとほぼ同じものだった。
「今回のみたいなケースは、『定』がつくられたときには想定されていなかったと思います。仕方ないですよ」
そもそも比売神子の存在自体が、法的にはかなりの綱渡りだ。
本来なら、戦後すぐに無くなっていたはずだが、その『異能』が連合国に『接収』されないよう、当時の比売神子と彼女たちを知るごく一部の者たちが、秘密裏に動いたらしい。
その背景にどのようなことがあったかは、沙耶香や昌には想像することしか出来ない。当時の神子たちに、高橋翁の前筆頭比売神子に対すると同様の想いを抱く人も居たのかもしれない。
現代において神子や比売神子の立場は、極論すれば研究対象だ。
神子全員が、検査と遺伝子サンプルの提供をしている。私権もある程度制限されるが、それは神子の存在が露見しないために必要なことだ。
昌は卵細胞の提供も求められたこともあるが、一度断ってからは、求められてはいない。総じて、かなり配慮された立場と言えるだろう。むしろ羨む人も少なくないに違いない。
「出来れば、水曜は一緒に稽古して、他校の女子中学生と交流を持たせられれば」と光紀は言うが、こればかりは知子の都合だけでは決められない。
本題は初めの二分で終わり、しばらくの雑談後、光紀は帰宅した。
「光紀ちゃん、やっぱり気づいてたわね」
「多分、初日でほぼ気づいてたんだと思います。
編入を先送りしていたり、私が専属に近い形で付いていましたし。他の神子たちとは、明らかに対応が違いましたから。
と言うより、これまでも泊まりでない形での参加は私だけでしたから、初めからその辺を疑っていたのかも知れません」
言質をとられてはいないものの、傍証をつなぎ合わせ、不可能なものを排除して残った結論の一つがこれだったのだろう。
話し合った結果は、全会一致に近い。
沙耶香は、自身が考えに考えた結論と、昌や光紀が出した結論が一致していたことに幾ばくかの安心感を覚えた。しかし一方で、全く異なる立場の人だったらどう判断しただろうかとも考える。
判断が一致したのは、概ね近い立場、そして互いに信頼できる間柄だからと言うことも出来る。それは同時に、考え方が比較的近しい『仲良しグループ』だからとも言えるのではないか?
相反する意見がほとんど無かったことについて、何か見落としてはいないかという不安感も覚えていた。
その週末、昌は知子と両親と話す時間を持った。
挨拶もそこそこに本題に入る。
「これは知子ちゃんだけじゃなく、お母さんの都合も大きいんだけど……」
改めて、光紀との稽古に誘う。稽古そのものよりも、同年代の少女と交友を持つことで、九月からの編入をスムーズにすることが目的であることも説明する。
お母さんは乗り気だが、肝心の知子は迷っている。
やはり、女子中学生の中に入ることへの躊躇いがあるのだ。
「いきなり中学校生活は、今の知子ちゃんには、正直キツいと思う。かといって、これを伸ばしても良いことはないし。
失敗が大きなダメージにならない練習機会を持った方が良いと思うんだ。それに、光紀さんなら上手くフォローしてくれると思う」
昌は少し迷ったが、光紀が知子の出自に薄々気づいていること、その上で知子をフォローし続けていることも話した。
「気づかれていたんですか?」
「初めて会った日に、ほぼ。
そして二回目の合宿でも、いくつか確認されてる」
光紀が気づいたであろう根拠を、昌が分かる範囲で挙げた。
「多分これだけじゃなくて、普通の人には気づけないようなことも併せて推理したんだと思う。その上で、他の神子たちとの会話でも、光紀さんはフォローし続けてくれていたんだよ」
「……すごい人ですね」
「うん。すごい人。
私が人生で出会った人では、一番信用できて心を許せる人の一人だよ。だから、知子ちゃんも光紀さんに頼ってほしいんだ」
彼女の比売神子としての資質は、特に後任を育てるという部分は、現役の誰よりも優れている。
この点については、沙耶香も昌も同じ意見だ。だからこそ昌が妊娠したとき、沙耶香も彼女を頼ったのだ。
次の水曜日から、知子も稽古に参加することになった。