告知 一
『少年』の意識は微睡みから覚醒に浮上する。
自室とは違う白いパネルの天井が見える。あれ? 自分はたしか熱を出して……、そう考えていると、近くに人の気配。しかし、話し声がどんどんと遠くなる。
『少年』の意識は再び沈んで行く。
周囲りで誰かが話している声で、『少年』は再び目を覚ました。身体を動かそうと試みるが、力が入らない。
「自力では動けないでしょうから、ベッドを起こしますね。
ベッドに身体を固定しますが、北川さん、よろしいですか?」
それは良いんだけど、声もうまく出ない。どのみち、選択の余地は無さそうだ。そう考えている間にも、明るい髪色の看護師がベルトで固定を始めた。
看護師でも茶髪はアリなのか。それにしても胸でかいな。よく見たらすごい美人だ。ハーフかな?
男子高校生らしい思考を巡らせる。
沙耶香がペンダント――ベッドから伸びたコントローラ――を操作すると起き上がる。単にベッドが折れて背もたれになるのではなく、クランク状に折れつつ高さと角度を変える。
『少年』は、病室を見回した。
長身で筋肉質な男性はおそらく医師だろう。そして自分を見る母さんの目は涙で溢れている。
医師を挟んで反対側、先ほどの明るい髪の美女は、多分看護師、もう一人、細身の銀髪の少女は白衣を羽織ってはいるものの、中高生ぐらいだろうか? 病室には場違いだが、すごく可愛い。
「初めまして、北川さん。私は主治医の高瀬といいます。
こちらは看護師の竹内、そしてオブザーバの高橋さんです」
「初めまして、竹内 沙耶香と申します」
「初めまして、高橋 昌と申します」
病室で自己紹介というのも変な感じだ。「自分は……」と声を出そうとするが、やはり上手く声にならない。
「無理に話さなくてもいいですよ。まずは身体がもう少し回復するのを待ちましょう。
今日は北川さんの身体に起こったことを、少しお話ししますね」
優しげな声と口調は天使のような美貌の、口調と同様に優しげな表情の少女からだった。
『少年』はそれらに誤魔化されてはいるが、『彼』の身体の自由を一時的に奪う提案をしたのもこの『天使』だった。
「私たちは、比売神子と呼ばれる集団です」
「『ヒメミコ』と言っても、お姫さまじゃないし、神社の巫女さんでもないです。『ミコ』は、神様の子と書いて神子です。
この神子のなかで力を認められた者が、比売神子になります」
沙耶香が話し始め、それを昌が補足した。
沙耶香は説明を続ける。
性別の部分は巧みに避け、過去の比売神子の立場、今日でのそれ、現在の『彼』の肉体が十二歳相等であること、結果として北川 知治は死亡扱いとなり、別人として生きなくてはならないこと……。
「過去の自分を捨てるということは、それを誰にも口外してはならないということでもあります。
神子はその訓練のために、月に何度か寝食を共にしますが、神子同士でも、過去の話をしてはいけません」
「私の過去を知っているのも、比売神子では二人だけです。今は来ていないですが、当時の筆頭比売神子様と、そのときに次席で今は筆頭になっているこちらの沙耶香さ……、竹内さんだけです。
そして、私が過去を知っている神子も、一人だけ。
私が次席になって初めて指導にあたった女の子だけで、それ以外の神子の過去は一切知りません。
北川さんが二人目ということになりますけどね」
「神子の存在は、国によって厳重に秘匿されています。たとえ当事者であっても、互いが神子であること以上を知らされません」
『少年』の表情は硬い。
自分が特別な存在だと言われて、手放しで喜べる年齢は既に過ぎている。むしろこれまでの北川知治としての人生も、友人も、すべて捨てなくてはならないことの方が大きい。
「北川さんも、病み上がりにこんな話を聞かされて、疲れているでしょう。
私たちも今日はこれで下がります。お母さんも今日はこちらに」
そう言うと、沙耶香はベッドを水平に戻した。昌がベルトを外し、枕の位置を直す。
銀色の子も、意外と胸が大きいな。『彼』はどこかで現実逃避する自分を意識する。だが、身体は痺れたように感覚が曖昧で、やはり手足には力が入らない。
母の泣きそうな表情を見送った。高校二年になろうというところから、小六か中一だ。随分変わったんだろう。なんだか疲れた……。そう思うと、眠くなってくる。
『少年』は、目を閉じて微睡んだ。
眠りが浅いのか、夜半にも何度か目を覚ますが、やはり身体には力が入らない。別の人間として……。そう考えているうちに微睡みの底に沈むことを繰り返す。
次に目を覚ましたとき、窓は徐々に白み始める頃だった。
未だ点滴なので、空腹感どころか喉が渇いたという感覚も曖昧だ。トイレに行きたいという感覚も無い、と言うことは管かなんかで直接採られてるということだ。そう思うと羞恥で顔に血が上る。
そういうことを考えられるということは、昨日より一ランクは落ち着いてるってことか……、そう考えることにした。
九時頃になって病室に入ってきたのは、昨日の比売神子の二人、やはり母親を伴って入ってくる。
「お早うございます」
「お早う、知」
「お早うございます」
口々に挨拶をする。
「まだ、声が上手く出ない感じだね」
「お母さん、お水を少し飲ませましょうか」と、沙耶香はベッドを操作する。母親が吸い飲み――長い吸い口の着いた水差し――を持ってくる。
『少年』は吸い口を含み、二口、三口と嚥下する。咳払いを一つし、「ありがとう」と応え、やはり以前と違う声に戸惑う。
「まずは、自分の姿を見ましょうか」
沙耶香が向けた鏡に『少年』は見入る。
鏡に映った姿は、以前とは違っていた。
毎日の練習で浅黒くなっていた肌は抜けるように白い。元々坊主頭で短かった髪は、長さこそ五センチを超えるぐらいになっているが、色は淡く髪質もふわふわとした細いものになっている。
顔立ちは、どこか以前の面影を残しているものの、十二歳相当と言うには幼すぎる。大きく黒目がちな目のせいだろう。その色も明るい茶色だ。
美少年と言うしかない姿で、こういうのが好きという女性もいるに違いない。こういうの『ショタ』と言うのだったか?
むしろ、美少女にも見えるその顔立ちには、正直ちょっと萌える。
沙耶香は二人に目配せをした。
昌が少年の手を取り両手で包む。そしてじっと目を合わせる。
美少女に見つめられて、ちょっと照れる『彼』に母親が「知」と呼びかける。
「おまえがどんなに変わっても、私たちの大切な子どもだからね」
沙耶香がゆっくり口を開いた。
「昨日、一つ言っていないことがあります。
あなたが別の人間として生きなくてはならないのは、年齢が変わったからだけではありません」
一呼吸おく
「あなたは、性別も変わりました」