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ひめみこ 第二幕  作者: 転々
第二章 新たな生活
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日は巡る

 その日、知子はお風呂を最後にしてもらった。やはりこの最中に湯船を使うことには気が引ける。自分が最後なら使(浸か)ってもいいだろう。


 湯船で樹脂製の天井を見上げる。照明はLED、換気扇は乾燥や暖房を兼ねた多機能型だ。イトマキエイのエラにも似たフィンを見るとも無く見ていると、『知治』の葬儀が想い出され涙が溢れてくる。


 どうして自分は……


 湯船で膝を抱え込んで、独り、啜り泣く。


 あのまま、死んでしまっていた方が……。


 でも、それはきっと両親を悲しませる。

 私は、生きなくちゃいけない。

 でも、自分は……


 思考は堂々巡りを繰り返す。いろんな感情が同時に吹き上がる。その感情に紐付いた記憶が数珠つなぎに拡がり、吹き上がる感情も増えて行く。そしてそれが合流し……。


 辛い。けど……。


『記録』にあった比売神子は、良き『伴侶』と『子宝』に恵まれたらしい。けど。


 生きる、って……。

 伴侶や子宝って……。




 風呂から上がり、お湯を抜く。それと平行して身体を拭く。髪を乾かす前に。軽く浴槽をシャワーで流した。


 鏡の向こうには、亜麻色の髪を梳く少女。

 両親の――かつての自分の――面影と、年齢には幼い顔に不釣り合いな表情。目の周囲りが少し充血して腫れている。

 笑顔で少年誌のグラビアにでも載れば、人気は間違いないだろう。十人が十人とは言わないが、七・八人は可愛いと言うに違いない。残りの二・三人も好みの問題だ。


 しかし、表情は……。




 知子は、まだ暖かみが残る浴槽を洗い、壁に冷水をシャワーして浴室を出た。


 明日は一日、ヒマになるけど、どう過ごそう。




 翌朝、目覚ましの短針がアラームのリレーを踏んだかすかな音で知子は目を覚ました。その一秒後にアラームの電子音が鳴り始める。


 音を停め、例によって入院中からのルーティンをこなしてため息を一つ。ジャージをパジャマの上に羽織ってリビングダイニングへ行くと、今朝はエアコンが既に動いている。




「お早う、知」


「お早う、母さん」


 背後からの呼びかけに応えると、まだ顔を洗っていないことを思い出し、洗面所に向かう。

 母親はそれを見送ると、昨日買った鍋を取り出し、味噌汁を作り始めた。IHがスゴいのか鍋との組合せが良いのか、具材のワカメが戻りきる前にお湯が沸くことに驚く。


「知子、美貴を起こしてきて」


「んー」




 三人が食卓を囲む。明日も明後日も繰り返される日常が始まる。


「お母さん、出汁変えた?」


「あら、判る? 高橋さんのオススメだって」


「美味しいよ」


 その遣り取りを聞いた知子も、小皿にお惣菜を盛るのを中断し、一口啜る。確かに美味しい。


 知子は昌の姿を想い出した。

 美少女としか言えない姿。竹内さんによると、料理のウデは相当なものらしい。子育てをしながら受験勉強をして大学に合格。スポーツは大概こなせる。母さんとの会話は大人のそれだ……。

 あるいは、自分の人生で会った中では、一番、得体の知れない人かも。




 食事を終えた美貴は、父親にメッセージを送っている。知子は身分が明確でないため、未だ電話を持たされていない。知治の電話は既に解約、処分されている。


 知子は、父親へのメッセージを頼もうか少し迷ったが、結局送らなかった。




 母親が食事の後片付けを始めるのを、ぼんやりと眺めていると、美貴から声がかかる。


「知子ー、ヒマなら宿題手伝ってー」


 先日、中学校の編入手続きのときに、大量の宿題を持たされてきたようだ。四月早々の学力テストもそこから出題される。




 美貴の自室に連れられて入る。

 前の家でも入ったことはあった。当時は、美貴からはどこか距離を感じさせられたものだが、『年下』になったからか『性別』の問題なのか、以前より距離が近い。

 美貴の部屋は、荷解きはほぼ終わっていた。調度自体は知子の自室と変わらないが、デスクマットやペン立て、ベッド上にずらりと並んだクッション。そこはかとなく『女子』な空気だ。


「クッション、多いね」


「可愛いのがあると、つい買っちゃうんだ。

 こっちは昨日買ったの。可愛いでしょ」


 見せられたクッションには、耳と尻尾がついている。ちょっと眠たげな、気だるそうな表情のネコ。可愛いのだろうけど、知子には、ここまで数を揃える理由が解らない。


「知子もそのうち分かるよ」


 そうなのだろうか? 女の子だからといって、皆が皆、クッションを集めるわけでもないだろう。それでも、集めるということの意味を理解できるようになるのだろうか?


 知子が自問していると、美貴は課題をローボードに積み上げた。

 受験生の課題としては決して多くはないものの、新学期までの数日で仕上げるのは大変だ。




 美貴は、最も手強い数学からかかることにした。


「美貴、ここじゃ狭いから、ダイニングのテーブルにしない?」


「そうね」


 知子が、少し居心地の悪さを感じる部屋を出ると、美貴も数学と英語の課題を持って部屋を出た。




 美貴が黙々と問題を解き始めるが、知子は手持ち無沙汰だ。美貴が計算する様子を見るとも無く眺める。

 決して勉強が好きというわけでもなかったのに、自分にも課題があれば、と思ったことに苦笑すると、美貴が顔を上げた。


「何? 変な笑い方して」


「ううん、なんでも。

 ただ、頑張ってるなって」


「だって、田舎でそこそこ優等生でも、都会じゃフツーかも知れないじゃない。おにい、じゃなくて、知子とは違うんだから」


 美貴はそう言うが、中学校では優等生だった知治も、高校では凡庸な、科目によっては平均を下回る生徒だった。

 高校か……。『知治』だったら、今頃はグランドでアップしている頃か。あるいは『センバツ』の中継でも見ているかも知れない。


「美貴は部活、どうするつもり?」


「んー、どうしよっかな? 今度の学校、ハンドボール部無いし。

 かといって、今更別の競技ってのもさ。それにどうせ五月いっぱいぐらいで引退することになるから。

 まー、面白そうなのがあったら、混ざってみてもいいけど」


「それもそっか」


「知子こそどうする? 四月からじゃないけど、新入生なんだし」


 うーん。今更、女子スポーツはちょっと。

 知子は想いを巡らせる。競技にもよるが、成人の全国選抜チームですら、男子中学生にも及ばないという例は珍しくない。

 まして高校で部活をやっていた目で女子中学生を見たら。そして自分自身がその立場だということを突きつけられたら……。


「分からない。でも、運動部には入らないと思う。ほら、神子はスポーツ選手厳禁だし」


「そっかー。でも、合気道をすることは決まってるんでしょ」


「うん。合気柔術だって。合気道とどう違うか分からないけど」




 美貴は再び課題に視線を向けた。


「知子、これが分からないんだけど」


 連立方程式の、食塩水の問題だ。


「同じだよ。問題文に出てくる単位ごとに等式を作るんだよ」


 基本問題では、個数の『個』と値段の『円』で式を立てて解いている。それと同様だ。


「でも、こっちはgと%だよ」


「そんときは……、求めたいのがgだからそれで一つ。あとは作れるので一つ。あれ?」


 知子は思案する。食塩の重さに注目するのが定石だ。自分は『こういうもの』と定石と解法を憶えたが、説明するとなると難しい。

 割合という抽象的な値――量ではない――が入ったときは、知子自身も戸惑う。食塩の重さで式を立てることの説明に手間取ってしまう。


 問題を解けることと説明できることとは違う。

 クッションを可愛いと言うことは出来るけど、クッションの魅力を説明することが難しいことに似ているかもしれない。


 自分は、それを理解できるのだろうか? 知子は自問した。

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