買物のおわりに
服を選んだ後は、台所用の雑貨と、主に調理器具だ。父親の仕事や引き継ぎが残っているため、前の家に殆ど置いて来きたのだ。
「鍋とかはね、そこそこ良いのを選ばないと、調理に時間がかかるから」
そう言いながら、昌は鍋を選ぶ。IHは鍋が良くないと、極端な場合、お湯を沸かす時間が倍ほどになる。鍋選びは重要だ。
とは言っても、包丁はステンレス製だったりする。
確かに、手入れをきちんとすれば鋼の方が切れ味は良い。しかし、それはすぐに低下する上、そもそも手入れの手間もある。ステンレスなら研ぎ機を使うだけで良いし、錆の心配も無い。
結局、主婦としてはラクであることが重要だ。刃物はホームセンターでもいいけど、鍋とかは店を選ぶ。家電や車に詳しくても、こういったことを解ってない男性は多い。
「この辺が無難ですね」
昌が取ったのは一八センチの片手鍋。軟鉄をステンレスで挟んだ三層鋼だ。煮込み料理には不足だが、家族四人分の味噌汁を作るには十分な大きさだ。
更に、野菜の下ごしらえをするための寸胴鍋や、フライパンなども選ぶ。
「メイド・イン・ニイガタは伊達じゃ無い」
ニイガタが微妙な発音だったからだろう。知子は苦笑いを浮かべた。産まれる前の映画だが、この言い回しは知っている。
昌もついでに自宅用の鍋を選ぶ。少し重めの蓋で、簡易的ながら圧力鍋に近い使い方も出来る。結婚記念にもらったル・クルーゼは、四人分の煮込み料理には少し小さいのだ。
「鍋でそんなに違うんですか?」
知子と母親は不思議そうな顔だ。
「ガスだとそこまでじゃないけど、IHは、鍋の材質でかなり差が出ます。
内面をコーティングした鍋の方が手入れは楽ですけど、三層鋼の鍋の方が効率は圧倒的に良いです。IHなら焦げ付かせる心配も、まずありませんし」
価格差は千円強。
しかし、一鍋で沸騰にかかる時間が二分違えば、三十回で一時間。家事に時間チャージはナンセンスかも知れないが、毎回二分節約できると考えれば、一月もかからずモトを取れるに違いない。
そういったことを、昌は説明すると、三人は感心しきりだ。
「こう見えても私、製造業で稟議書も書いたことあるんですよ」
母親も仕事をしていたとは言え、基本的には雇われ薬剤師だ。自分の判断で設備投資について考えた経験は少ない。
鍋だけでなく、フライパンも買う。IHで調理する場合、カレーやシチューだけでなく、煮魚などもフライパンを使うと楽なので、使用頻度は高い。
フライパンも、鍋ほどではないが少しお高いものを選ぶ。どうしても空焚きすることが多いので、安物はすぐにコーティングが傷んだり、底が反って使い物にならなくなることがあるのだ。
知子は正方形のフライパンを見つけた。角から取っ手が出ていて、立てて置くことで水切りや保管がし易いらしい。
「これは?」
持って行くと、母親は即座に却下する。昌の方を見ると、彼女も同意見だ。
「丸くないと炒め物を混ぜにくいし、それに、洗うのが大変なんだよね」
そこから、母親と昌の主婦会話が始まる。
タッパの角も洗いにくい、『お子様ランチ』にあるような、窪みが複数ついたプレートも洗いにくい。あるいは、普段はガラス製のレンジ調理可なものを使うとラクだとか、
その後も母親と昌の二人は、お米を研ぐときに内釜をそのまま使うかどうかや、昌は泡立て器に似た『米研ぎ棒』なるものを使っているとか……。
「見た目は超美少女なのに、話してる内容は『おばちゃん』だね」
「昌さん、ああ見えて子持ちだし」
美貴と知子は、顔を見合わせて、変なところに感心する。
コーティングを剥がさないための、耐熱樹脂製のオタマやヘラを買って、本日のモールでの買い物は『とりあえず』終わった。
車から荷物を新居に移すと、姉妹はそれらを整理し始める。母親と昌は夕食の買い出しだ。
初めは「外で食事、あるいは店屋もので」と言っていたが、引っ越したばかりではこの辺の地理に明るくない。この辺で買物をするときのオススメの店を紹介がてら、改めて母親と昌だけで出ることになった。
今度は母親の車だ。
しばらく走っていると、信号待ちでエンジンが停まる。
「この車、新しくなってからアイドリングストップが不便なのよね。それに、エンジンを頻繁に停めたり回したり、傷まないかしら」
エンジンが停止するとエアコンも効かないしハンドルも重くなるのが不便だという。エアコンのコンプレッサや、パワステの油圧も停まるからだ。
彼女も多くの女性の例に漏れず、ハンドルの据え切りが多い。
昌はダッシュボードを見た。多分コレだろう。リアウィンドの曇り取りスイッチ横にそれらしいボタン。
「多分、コレを押せば、アイドリングストップはかからなくなりますよ」
押すと、エンジンが再始動する。今度は信号待ちでも停まらない。
「アイドリングストップ解除。毎回押すのが面倒ですけど」
その後、数軒の店を回る。
結局、汁物は作るものの、主菜・副菜は出来合のものになった。平日なので、昌も優乃を保育所に迎えに行く必要がある。さすがに、一緒に料理というわけにもいかず、マンションで姉妹と挨拶を交わして帰ることとなった。
簡単な準備の後、三人は食卓を囲んだ。
「昌さんのオススメだけあって、そこそこ美味しいわね」
「高橋さんが言うには、味が濃い目だから、具を足して薄める必要があるって。でも、具を足すんだったら、初めから自分で作るのと変わらないわね」
「確かに、ちょっと濃いかも」
「そう? お店のって、大体こんな感じだけど」
知子自身は気づいていないが、この身体になって味覚も少し変化した。スパイスなどの刺激物を知治ほど好まなくなっている。
母親はその辺に気づいてはいるが、あえてそこには触れない。
「ここで訓練って、何するの?」
美貴だけは具体的に聞いていないから、当然の疑問だろう。
「主に、女性としての立ち居振る舞いと、勉強とか……」
「思ったより、フツー」
知子にとっては『女性としての』という部分に、いろいろ思うところがあるが、美貴は完全にスルーしてしまう。
「あとは、『格』の制御」
「『格』?」
「ほら、昌さんがたまに出す、オーラみたいの」
「あぁ、あれね」
美貴は初めて『格』をぶつけられたときを思い出して、身震いする。あの瞬間、漏れそうになったのだ。いや、来客前に空っぽにしていなかったら、漏らしていたかも知れない。
「神子は皆、あれを持ってるらしいよ。あれの強さが比売神子の条件だって。昌さんが言うには、自分……じゃなくて、私は、強さ自体は十分らしいよ」
「ふーん。で、勉強?」
「勉強は、怠け癖がつかないようにって」
母親は、娘達の会話を黙って聞いている。今は知子も安定しているけれども、いつ揺り戻しが来るか分からない。そのとき、どこまで支えてやれるだろうか?