噂
朝、ミリアが教室に入ると、クラスメイトたちはあちこちでかたまって噂話に花を咲かせていた。
自分の机に座っても、話し声が追いかけてくる。
「ミリア様とリチャード殿下との間に、いったい何があったのかしら? あそこまで酷い扱いを受けるなんて、よほどのことがあったのでしょうね」
「でも、あの時のリリアーナの勝ち誇った顔を見た? 何があったとしても、あんなあばずれの男爵令嬢ごときに見下されていい方じゃないわ。ミリア様がお可愛そう……」
「そうよね。王家が決めた婚約問題に、リリアーナが口を挟めるはずがないでしょうに。どうせリチャード殿下にとっては、結婚前のいっときの火遊びのつもりでしょうし」
「あら、それならどうして殿下はミリア様との婚約を破棄されたの? まさか、他に気に入った方でもできられたとか?」
女生徒たちは、結婚問題が気になっているようだったが、男子生徒の間では政治バランスが話題になっていた。
「リチャード殿下は、何を考えているんだ??」
「それだよ、ペンデュラム公爵家の後ろ盾を失ったら、これから一生、日陰者として生きるしかなくなる」
「あの方はザカリー殿下とは違って、ちょっと考えなしのところがあるからな」
「側近候補になっていた先輩方が、ため息をついていたよ。まさか最高学年になる前に、内定していた就職口がおぼつかなくなるとはな。ペンデュラム公爵閣下は、国の役人に影響がある宰相だからなぁ。にらまれたら、怖いぞ」
「いえてる。そういやぁ、ミックの兄貴もリチャード殿下派閥だったろ?」
「うん、家の中は今、お通夜みたいだよ……」
パーティーの翌日、ミリアは朝からクラスメイトに囲まれて、さんざん慰められることになった。
でも入れ代わり立ち代わり慰めの言葉をかけてきたのは、もちろん親切心からだけではなかったのだろう。
周りの人たちにとって、今回の婚約破棄騒動は歴史上に残る一大スキャンダルだという認識だ。
クラスメイトにしてみれば噂の真相を探るために、当事者のミリアの口から婚約破棄の原因を聞き出したかったに違いない。
けれど、何が悪かったのか、どこに原因があったのか、ぜんぜん身に覚えのないミリアにとっては、みんなに破局の原因を聞かれても答えようがなかった。
ミリアに聞いてもらちが明かないと思われたのか、その後は、それぞれの意見を出し合い、友人同士で噂に興じているようだ。
ま、これはいい。こんな風になることは覚悟してたからね。
でも、ずっとザワザワした噂を聞き続けていると、気持ちがささくれ立ってくる。
ミリアは、ため息をつきたくなってくるのを、なんとかこらえていた。
「こんな噂などすぐに収まるのだから、気にせず顔をシャンと上げていらっしゃい!」
親友のセリーナはいつもの馬鹿力で、ミリアの背中を叩いてくれる。
口を開かなければ品のいい深窓の令嬢に見えるセリーナだが、三人いる兄たちに揉まれて育ったせいか考え方が男性っぽい。
ミリアの代わりに、薄情なリチャード王子に対して怒り、口さがないクラスメートたちには「あなたたち、噂話もいいかげんにしなさい」と大きな声で注意をしてくれている。
こういう時、友達というのはありがたい。
「ありがとう、セリーナ」
「フン、あなたも泣き寝入りしないで、王宮に直談判に行くべきよ! あまりにも不当な仕打ちだわ」
「まあまあ、ミリアが納得してるんだからぁ」
のんびりとした声で話に入ってきたのは、ビガード伯爵家のペネロペだ。
ペネロペがこんな風にゆっくりと話し出すと、いつもカリカリしているセリーナも意気がそがれるようだ。
ミリアには幼馴染のセリーナだけではなく、もう二人、味方がいる。
セリーナの宥め役になってしまっている癒し系のペネロペと、もう一人、そのペネロペの後ろで変顔をしている、タングステン子爵家のアーメンガードだ。
ペネロペとアーメンガードは、本人たちにその気はないのだが、皆にボケとツッコミの会話が楽しい凸凹コンビだと思われている。
ペネロペは四人の中で一番体格が良くて、父親のビガード伯爵によく似た四角ばった顔をしている。ちょっと見には商売人によくいる抜け目のない女将さんに見えるが、中身はほんわかした性格の素直で可愛らしい女の子だ。
彼女のやわらかな表情を見ているだけでホッとする。
今もミリアを元気づけようとしてくれているみたいだ。
「ミリアぁ、セリーナの言う通りよぅ。みんなすぐに噂話に飽きるわぁ。ねぇ、アーメンガード」
ペネロペに見下ろされて、アーメンガードは小さな肩をすくめた。
彼女は、こんな状況になってもセリーナのように激することもなく、他のクラスメイトたちのように、ミリアに過度に同情することもない。
しれっとした顔をして、今日も冷静に周りを見ている。
「うん、そーだね。みんなは面白がってるだけだから、気にしないほうがいいよ」
「そうよぅ、噂のことなんか考えないでぇ、こんな時はぁ、もぉっと楽しいことを考えなくちゃ!」
「へー、どんなことよ?」
アーメンガードが、即座にペネロペにツッコミを入れた。
ペネロペも具体的なことは考えていなかったらしい。
アーメンガードに問われたことを、素直に一生懸命、考えている。
「んと、んーとぉ……あ、そうだ! 夏の園遊会のこととかぁ」
「ペネロペ、それって王宮であるわよ」
「あ……」
ペネロペは気まずそうな顔をして、ミリアの方をチラチラ見てきた。
大きな身体を小さく縮こまらせて困っているペネロペの朴訥とした優しい所作が、ミリアの胸を暖かくしてくれた。
「ぷっ、クククク。あなたたち二人を見てたら、悩みもなくなるわね」
「ひっどぉーい! 私はミリアのことを思ってぇ……」
「はいはい、わかってるわ。ありがと」
ぷっくりふくらませているペネロペの頬を指先でつついて、ミリアは笑った。
笑いは、心を救ってくれるのね。
こんな人間関係があるから、人は生きていけるんだろう。
家では今頃、マール大公がやってきて父親と話をしているんでしょうね。
これから、どうなるのかしら……
ミリアがそんなことを考えていた時に、息せき切って教室に走り込んできた者がいた。
早耳のジェフリーだ。
小麦色をした髪はバサバサで、ズボンからシャツが飛び出している。
「ちょっと皆、聞いて!」
「まぁ、なにをそんなに慌ててるの? そんな恰好で、はしたなくてよ、ジェフリー・オバール」
クラスの女生徒にたしなめられたが、オバール子爵の嫡男は乱れた前髪だけを片手でサッと後ろに流すと、皆に向かって爆弾を投げつけた。
「たった今、庶務科の人間に聞いてきたんだけど、二組のリリアーナが、バラン男爵家から除籍されて、学園を退学になったらしい!」
「「「ええーーーーーっ?!!」」」
「それに、リチャード殿下は王族籍を除籍されて、臣下に下られた!」
「「「「「えええええええええええーーーーーーーーー??!!!」」」」」
「ちょっとちょっと、どういうこと?」
「そういえば、お二人ともこの二日間、登校されてなかったわ」
クラス中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「おい、とんでもないことになってきたな」
「ロブ、お前の妹が王宮に呼ばれて何か証言させられたんだろ? こうなると、関係あるんじゃないか?」
「……う、そうかも?」
「前に言ってたあの話をもう一度、聞かせてくれよ!」
いつもは目立たないロバート・サクラムの周りに、クラス中の人たちが集まっていった。
サクラム伯爵家の長女である一回生のナターシャ・サクラムが一昨日の下校時に、婚約者のラドン先輩と一緒に、王宮から迎えの馬車が来て連れていかれたという話をミリアも聞いてはいた。
確か、少し前に食堂であったことを聞かれたのよね。
セリーナがリリアーナに親切に忠告してやったことや、その前後の皆の様子を詳しく聞かれたらしいとロブが言ってたわ。
でもそれがリリアーナやリチャード殿下の処罰?に繋がるのかしら??
どうやら、それが繋がったのだそうだ。
ミリアは家に帰り、父親に事の次第を聞かされて、啞然とした。
「そんなことで……?」
「ああ、くだらん。ケンダルの野郎、私の怒りをかわすために、禁じ手を打ってきやがった」
「お父様、お口が汚れますよ」
「ふっ、そういう言い方をすると、お前は母親そっくりだな」
ケンダル陛下の叔父上にあたるマール大公からは、こんな陛下の言葉が伝えられたそうだ。
「悪女に惑わされ、長年の婚約者に対して信義にもとる行動をしたとして、心身を鍛え直して猛省を促さんと、リチャードを臣下に下し、辺境騎士団に入れることにした。ミリア嬢の経歴に傷をつけてしまい、誠に申し訳ない。公爵夫妻の心情を思うと、リチャードの親として夜にも眠れぬほど反省をしている。心よりの謝罪を述べたい」
ミリアとしては、ちょっとした勘違いから起きた婚約破棄の結果としては、いささかリチャードに厳しすぎるのではないかと思った。
それを父親に言うと、ムカついてたまらないという顔をして、こう教えてくれた。
「フンッ、当事者のお前でさえ、この沙汰を聞いてそんな感想を持つだろ? それが陛下の狙いだよ。これが厳重注意とかの甘い処罰であったら、貴族連中からは総スカンを食らうだろう。リチャードがやったことは、人の上に立つ王族の行いではない。そこから王家への疑念が湧きだしてくる。いったい王子たちの教育はどうなってるんだ? あんな常識のない王子が国の上部にいて、この国は大丈夫なのだろうか? 自分たちの生活はどうなってしまうのだろう? このまま国に忠誠を尽くしても、ペンデュラム公爵家のように酷い仕打ちを受けるんなら、真面目に働くのもばからしい。な、貴族社会はこんな風に考え始める」
「なるほど」
「それに私に睨まれたら、リチャードに将来はない。このまま別の人間と結婚して王都に残っていても、奴にとっては針の筵の上に座っているようなものだ。それくらいなら、人目の付かない辺境にやって、好きな女を嫁にもらい気楽に暮らさせてやりたいというのが、陛下の本音だ。まかり間違って隣国との小競り合いで奴が手柄でもあげた日には、いそいそと男爵、子爵と家格を上げてやるのではないか?」
「ふふ、お父様は陛下と兄弟のように育ってこられたので、心情がよくお分かりになるのですね」
「ああ、頭にくることにな。しかし……ん? ちょっと待てよ」
ペンデュラム公爵は口を閉じると、一点を見つめたまま何やら考えを巡らせ始めた。
様々な政治問題を解決していく至高の頭脳が、大きな問題点を見つけ出したようだ。
「これはまずいことになるかもしれない」
「え? 何がですか?」
「ミリア、お前は悪役令嬢になってしまう!」
「悪役令嬢??」
苦虫を噛みつぶしたような顔をした公爵は、戸惑っているミリアを放ったまま、解決策を考え始めた。