それぞれの思惑
ミリアが結婚した翌朝のことだ。
元第二王子だったリチャードは地味な馬車に乗り、婚約者のリリアーナと共に北に向かっていた。
街道沿いの旅館に泊まっていた時に、風の噂でミリアのことを聞いた。どうやら聞いたこともない名前の子爵と結婚するらしい。
ミリア、君も私も早まったんじゃないか?
「この馬車、ひどくありません? どうして王子様が、こんなにみすぼらしい馬車に乗らなくてはいけないんですの? あたくし、都に帰りたい。ねぇリチャード様、騎士になるのなんかやめて、王都で商売でもしましょうよ」
リリアーナは王都を出てからずっと不満を言い続けている。
今までは可愛いおねだりに感じていた舌っ足らずの喋り方が、ひどく我儘な口調に聞こえるようになったのは気のせいなのだろうか。
側に付いている者がいない中、生活すべてを自分の力でやり遂げるというのは大変だった。
宿に泊まるのにも自分で交渉することが必要だったし、気を付けていないとよく食事を取りそこなう。今までは、折り目も鮮やかにプレスがかかり朝には綺麗に整えられていた服も、何日経っても汚れたままだ。宿の者に注意すると、どうやら洗濯カゴというところに出さなくてはいけなかったらしい。
こんな風にリチャードにしても、経験したことのない状況なのだ。妻になるというのなら、リリアーナも少しぐらい協力してくれてもいいんじゃないか?
ミリアだったら、何も言わずに手助けをしてくれたことだろう。
彼女は面白みのない女だったが、リチャードに向かって文句を言うのを聞いたことがないし、やるべきことは、あっという間にこなしてしまうようなところがあった。
かたやリリアーナは、お化粧と服のことにしか関心がない。
今朝も大きな声を出して部屋に飛び込んできたので、何事が起きたのかと思ったら、薬指の爪が宿の布団に引っかかって欠けたというのだ。
指輪をはめる大切な指の爪がこんなことになったのは、宿の者の管理不行き届きだと言って、訴えようとしたのであきれてものも言えなかった。
それはさすがに自分の不注意ではないだろうか。
リチャードは自分のことは棚に上げて、そんなことを考えていた。
**************************
王宮では、国王がため息をついていた。
貴族の間に新たに広まってきた噂に頭を悩ませていたのだ。
第二王子のリチャードを臣下に下した時には、そこまでするのかとリチャードに同情する者もあらわれた。
しかし宰相のペンデュラム公爵はやはり侮れなかった。
婚約破棄された娘をひどく格下の男に嫁がせることによって、より多くの同情票をさらっていったのだ。
それも公爵家には相応しくない質素な披露宴を、子爵家の代わりに開くことによって、よりインパクトの強いものにした。
出席した人は皆、同じことを考えるだろう。
―本来、この娘は王宮で盛大な結婚式を挙げて、近隣各国からのお祝いを受ける立場だったのに……
そんなこともあって、ミリアが結婚するとあっという間に、貴族の中にリチャードを批判する者、王家を批判する者が増えてしまった。
その数は、婚約破棄騒動の時よりも多くなったかもしれない。
今朝も叔父上のマール大公に苦言を呈された。
「国民の動向がどうなるかまでよく考えて、リチャードに沙汰を下すべきだったのではないかな」
確かに言われることはごもっともで、予測がつかなかったこちらとしてはぐうの音も出ない。
来春の結婚式の準備をしていた関係者から、今回の婚約破棄騒動の詳細が民衆に伝わったようで、早くも王都ではこの情けない不祥事が、赤裸々に劇場で演じられているらしい。
「世紀の恋物語 ~身分なんか捨てる!僕にはあなたしかいないんだ!~」
だとよ。
なんて大仰なタイトルなんだ。
「あの新進気鋭のタランティーノが脚本を書いて、リチャードの役は新人のアルドロンが演じるのよ~ キャーー、楽しみでたまらないわ。ねえ、国立劇場に観に行ってもいいでしょ?」
こんなアホなことを言ってきたのは、リチャードの母親のカプリースだ。
…………………………
どこの母親が、息子の恥をいそいそと観に行くなんて言うんだよ。
お前は、バカな方の当事者だろうが!
妻の首を締めたくなるのをなんとかこらえた私を、誰か褒めてほしい。
「ペンデュラム公爵家へのもっと手厚い補償が必要なのではないか?」
貴族の連中は、私の顔を見るとそんなことを提案してくる。
ああああ、そうだよ。
もう何でもかんでもやっちまえ!
ナイジェル・フォン・ロズウェル・ペンデュラム
お前の真の狙いは、そこだろう!