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「どうしたの?」
「い、いえ、なんでもないです。良い天気ですね、とかそんな感じです」
「いや、めっちゃ曇ってるけど……」
窓の外はどんよりした灰色が広がっている。今朝のニュースでは、降水確率八十%らしい。今のところ降ってはいないけど。
鴨居さんはすごく取り乱している様子だ。普段の彼女ならキレキレの頭でジョークの一つも混えた最適な返答を導くのに、そのキレが感じられない。
「鴨居さん、体調でも悪い?」
「気のせいです」
「でも、顔なんか赤いし、返事の切れも悪いし、いつもの鴨居さんらしくないよ」
「誰かさんが鈍いせいですかね(ボソ)」
「ん、なんか言った?」
「……これは、風流以前の問題なのでは?」
ん、どう言うこと?
見ると、鴨居さんは呆れた顔でプクッと頬を膨らませた。可愛い。
「まあいっか。それで、今日の活動内容は?」
「そんなの自分で決めてください。私は執筆します。ちなみに執筆中は話しかけられても返事は虚になると思いますのでご了承ください」
「知ってる、邪魔はしない」
「心遣い感謝します」
「久しぶりに、俺も書こうかなあ」
「……」
「ん、どうした?」
「いえ、珍しいなあと思いまして」
鴨居さんは俺の顔をまじまじと見つめてくる。
そういえば、最近ずっと読書ばっかりで、筆を撮るのは何ヶ月ぶりか。
そんなに驚くほどのことでもないと思うのだが。
「先輩、もっと書いたらどうですか? せっかく文章書く才能だけはあるんですし」
「すみません、新人賞金賞とった人に才能あるとか言われれも、皮肉にしか聞こえないんですが」
「先輩の応募作品は、気張りすぎているんです。普段どうりに書けば、そこらへんの作家よりよほど面白いですよ」
鴨居さんはニコッと微笑む。後輩に励まされる先輩ってどうなんだ。
そういえば、そんなことを前の部長にも言われた。でも、賞に応募するとなるとどうしても肩に力が入ってしまう。それは仕方がないことではないだろうか。
「まあ、どっちにしても、鴨居さんの方が才能は上だよ。比べるまでもない」
「私はそうは思いませんが」
「ありがとう。慰めてくれているんだな」
「絶対わかってませんよね」
鴨居さんは本日二度目の息をついた。
「まあ良いです、集中モードに入りますね」
「りょ」
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気がつけば、日はすっかり暮れていた。かれこれ2、3時間くらい集中していたみたいだ。飽きっぽい俺としては珍しい。
「終わりましたか?」
俺より先に執筆を終えて何やら読書をしていた鴨居さんは、俺がシャーペンを置いたのを見て読みかけの本を閉じる。
俺は大きく伸びをした。肩が凝っている。
「久しぶりに書いてみると楽しいもんだな」
肩を揉み揉みしながら言った。
「文章はその人の根源を映し出すものです。その根源が言葉になっていく喜びは、作家にしかわかりませんよ」
「お、なんかそれっぽいセリフ」
「私が言うからそれっぽいんです」
「そんなもんかね」
ふふふ、と鴨居さんは不敵に笑う。
「先輩の作品、読ませてもらえませんか? 気になるんですけど」
「え。やっ、ちょっとそれは」
「何ですか、いかがわしいことでも書いてあるんですか?」
鴨居さんが原稿用紙を奪おうとした手を、俺は慌てて止める。
「男のロマンが多分に盛り込まれてるからな」
「なるほど、余計見る必要がありますね」
抵抗虚しく原稿用紙が奪い取られる。
「待てっ。 だめだっ、鴨居さん!」
「えっと、タイトルはーーーーっ!」
原稿用紙を見るなり、みるみる鴨居さんの顔が赤くなっていき、俺は頭を抱える。
原稿用紙三十枚という二、三時間で書いたにしては大作のタイトル、その題名はーーー『向かい側の席の後輩が可愛すぎる件について』だった。