クマ。
誰かがおれを狙ってる。誰かはおれを捕まえる。誰かのメシに。おれはなっちまうんだ。
クマは背筋を震わせて怯えました。いつもの妄想です。
目の前で母親を撃ち殺され、いつの間にか弟が消えたクマは、いつも怯えていました。
その体躯は森で最大。筋力、攻撃能力も最強。完全な食物連鎖第1位なのですが、人間の前ではぬいぐるみのようなものです。
クマは恐れています。自分のように非力な者が殺される日を。
ガブリ
それはともかく昨日殺したシカを食べましょう。保存食として巣穴に置いておいたのです。偶然見かけたので狩りましたが、普段はこんな良い食料は手に入りません。どこから来たんでしょう?
そんなことを考えていると、巣穴の外からなんだか騒がしい音が。
カララ
鳥です。鳥の鳴き声が、まるで走っているように聞こえている。めーわくな奴ですね。
シカの小骨で歯磨きしながら、そろそろ日の落ちる世界に乗り出し、クマはキョロキョロと周囲をうかがいます。
・・・敵は、居ないようです。お腹はふくれたので、水でも飲みましょう。池か、それとも川。どちらが安全でしょう。
池にしましょうか。川で流されたら溺れてしまいます。池なら。
そこでクマは思い出しました。池のふちで水を飲む無防備な姿を。逃げる方向が限定されるので、池はクマにとって優良な狩り場でした。大型で居場所がバレやすいクマが狩りを確実に成功させるためには、こうした条件が必須です。そしていざ駆けっこなら、ウサギ以外には負けません。
池で水を飲むのが怖くなったクマは、結局川に向かいました。首だけ伸ばして飲めば、まあ大丈夫。そんな気休めを思いながら。
コーン
グビグビと水を飲んでいると、そんな鳴き声が。キツネがその辺に居るようです。周囲はすでに闇に包まれ、視認は出来ません。匂いをたどろうにも、風が吹かないので探知出来ません。
しかしクマは注意を払いません。オオカミの群れであれば危険ですが、この森のキツネは単独の個体です。あのキツネは脅威ではありません、が、容易く狩れもしない。無視すべき存在でした。
ザザザザ!!
今度はクマもびっくりして振り向きました。そこまで巨大ではない、しかし藪を大騒ぎさせる程度の大きさはある、そんな生き物がものすごい速度で突っ込んでくる。こっちに!
バチャバチャ
とりあえずクマは川を渡って逃げました。キツネ並みの生物であろうと推測出来ますが、この勢いで突っかかれられると、こちらもダメージを負います。野生動物の世界では、負傷イコール死です。可能な限り、ノーダメージで過ごしたい。
そうだ。吊橋に向かいましょう。あそこなら誰も居ない。獲物も居ないので。
そうしてクマは背後の音響から遠ざかり始めました。
ザッ!!
しかし後ろから来る者も、全く同じ発想のようです。クマに追い付かんばかりに追走して来ます。
一体、何者?
ここでクマは、恐怖というより好奇心で、振り返りました。人間では絶対にありません。人間は林の中でこんなふうには走れない。走れるのは動物だけです。そしてこの森の動物相手なら、クマは絶対に勝てます。
そして振り返った視界に入った生き物は、アライグマでした。
え?なんで?クマは純粋な疑問を持ちました。
アライグマの戦力では、何をどうやってもクマには勝てません。およそ天地がひっくり返っても不可能でしょう。
だからこそ、その追走はよりクマに恐慌をもたらしました。
理由が分からない。意味不明。なぜ襲って来るの?という未知という恐怖が、クマの背後に忍び寄っていました。
そしてクマとアライグマの2匹は仲良く吊橋にひた走りました。
クマは吊橋のある崖を背負う事により、集団での奇襲を防ごうと無意識に動いていました。頭で、ではなく、生き残ってきた野生がそう判断させました。
そしてアライグマは。久しぶりに見かけた己より絶対に強い個体に挑むため、クマを全力で追いかけていました。絶対に殺す。それだけを思って。
やはりクマには迷惑な話でした。
ザ
クマはとうとう吊橋を背に向き直り、迎撃の覚悟を決めました。カウンターで必勝。例えケガをしても、アライグマの攻撃が当たっている間合いなら、こちらは相手を一撃で倒せる。基本的な力が全く違う。絶対に勝てる。
クマは全力で自分に言い聞かせていました。必ず勝てる、と。
シカを狩った時など、自分が攻勢に出ている時ならイケイケで行けるのですが。追われると、超怖いものです。
その怖さの中、クマはゆっくりとこちらに迫るアライグマを見つめました。めちゃくちゃやる気満々です。なんで?と何度でも全力で問いたいぐらいです。
まあ、良いです。改めて見てもアライグマの体長はクマの片腕ほどしかありません。文字通り、片手で勝てる。
ちょっと余裕が出てきました。
ブン
そばをオオスズメバチが横切るまでは。
ギシ・・・
驚いてクマが後退り、吊橋に後ろ足を置いてしまう。それと同時でした。
アライグマがクマの顔面に突っ込んできたのと、キツネがクマの後ろ足を噛んで引っ張ったのは。
あっ、と声を上げる間もなく3匹は連れ立って橋を踏み折り。
ドボン
落ちました。
吊橋のかかったこの川こそが、この森で最も大きな川。その深さ、広さ、速さ、全てクマを余裕で押し流せるほど。
しかしクマは泳ぐのも上手です。いきなりの落水には驚きましたが、すぐさま全身の力を抜き、流れるに任せ、浮上、かつ呼吸を確保。死の危険から3秒で復帰しました。お腹の上に異物を載せて。