アライグマ。
しとしと。葉っぱを伝う雨粒が落ち葉につもって、大地をどろんこにします。
何日も降り続いた雨で、みんなの通る道までも小さな川になっています。
そんな肌寒い朝。一匹のアライグマが姿を現しました。普段ならまだ眠っている時間です。
その理由はアライグマの姿を見れば一目瞭然。泥まみれです。
彼の巣は連日の雨で浸水してしまい、眠ってもおられず、眠い目をこすってエサを探しにきたのです。
しかし雨の影響で、虫もネズミも姿を見せません。
このまま食べ物を得られなければ、下がった体温を上げられず、アライグマは死を免れません。
「・・・」
次、目にしたものを襲う。それがクマだろうがオオカミだろうが、やらなければ、死ぬ。
アライグマは決意を固めました。
次目に入ったものを食う。そして生きる。
己を動かす熱い血潮をそのまま、生き続けるために振り絞り、この窮地をしのぐ。
ガサ
この雨天の中で葉っぱのこすれる音。アライグマのように小川と化した道を歩いて足音を消す工夫をしない。絶対強者、食物連鎖の頂点の歩き方。
・・・食いでが、ある。
全身を緊張させ、筋肉に全力運動の予兆を走らせ、アライグマは敵の正確な位置を探ります。急所狙い、一点集中。
それがクマでもオオカミでも、頸動脈を抑えれば、勝てる!
己の命を賭けて、相手の命を食らう。
アライグマは純真で純粋な、野生動物でした。
ガサリ
微動だにせず気配を消したアライグマの眼前に姿を見せたのは、アライグマより大きな動物。キツネでした。伸びやかな体躯はそれに見合った瞬発力と持久力を持たせた、優秀なハンター。しかもその大きさは、アライグマより一回り上。つまり、勝てる相手ではありません。
ジャアッ!!
ですがアライグマはキツネの首元が見えた瞬間に飛び出しました。勝てる勝てないではなく。殺さなければ、生きれない。
ぬかるみを跳ね飛ばし、やわな大地を力強く蹴り飛ばし、アライグマは飛びかかり、キツネの首を狙いました。
コン
笑った?アライグマの聴覚には、そうとしか聞き取れません。
そして気が付いた時には、アライグマは地べたに這いつくばっていました。
ガウ・・・
唸り声を上げて威嚇しながら、態勢を整える時間を稼ぎます。しかしキツネはその間に悠々と起き上がり、堂々と立ち去っていきました。
あの瞬間。首元に一直線に向かってきたアライグマをその寸前で察知したキツネは、即座に避けられぬと判断、自分の体勢を崩しながらわざと転ぶ事により噛み付きを避けつつ、寝転んだ姿勢を取った事で蹴り足のリーチを確保、そのままアライグマを蹴り飛ばし、難を逃れました。
アライグマのダメージは打撲傷。全治3時間といったところでしょうか。
1メートルほど蹴っ飛ばされたのですが、落下地点は落ち葉の積もった柔らかな土面。それが幸いして、必要以上のダメージは負わずにすみました。
しかし。なぜ自分は殺されなかった?アライグマは心の奥底から湧き上がる疑問に答えられず、姿を消したキツネを訝りました。
ヘンな生き物。そう結論付けました。
そしていよいよ腹も減ったので、川で魚でも獲るかあ、と。気分転換がてらそう思い、川に向かいました。
この一帯には大きな川が一つ。小さな川が何十もあります。大きなのは川幅20メートルもありましょうか。逆に小さなのは、狭い所で30センチだったり15センチだったり。大きな川は流れも速く危険ですが、小さな川はアライグマにとっても良い水飲み場です。
そして川辺にはたいてい、獲物が居ます。たいていの生物はアライグマと同じく水を求めているので、水飲み場はオアシスであり戦場でもあります。ヒグマが鮭を獲るように、アライグマは小魚を狙います。
寒い朝でしたが、お魚さんは元気に泳いでいました。アライグマも元気に刈り取ります。小魚さんを朝食に平らげ、少しはお腹も落ち着きました。
次は木に登って虫でもとりましょうか。アライグマはずんぐりむっくりした体型で、オオカミやキツネと追いかけっこをしては絶対に勝てません。ですがその代わり、ネコのように木登りが上手なのです。文字通りアライ「グマ」。クマさんも木登りが出来ますものね。
なので野生下におけるアライグマの生存率はおそろしいほど高く、個体戦力のみが種の勝利条件を決定付けるわけではないという証左でありましょう。ずんぐりむっくりの体躯とはつまり、無駄な表面積を削り体温調節機能の最適化を図った肉体。省エネに成功した体でさらに雑食性という超環境適応能力。
正面から戦えば飼い犬にも勝てない。けれど生き残るのは、アライグマ。
しかしそれを踏まえると。ここに不思議な個体がありますね。キツネと正面きって戦おうという、愚かなアライグマが。
彼も生まれた時からこうだったわけではありません。生まれ落ちた森林は食べ物も豊か。両親ともに生存。兄弟たちも元気。恵まれすぎたほどの環境で生まれ育ち、そして別れました。山火事に出会ったのです。そうして生まれた住み家を離れたアライグマは、一人でこの森にたどり着きました。家族とは離れ離れになりましたが、健康状態は良好。ベストの結果です。
そして群れから離れた彼は、選択しなければなりませんでした。今までとは違う生き方を。
一人ぼっちらしく、こそこそ隠れるか。それとも。
孤独な王者を気取るか。
アライグマには資質がありました。
芋虫、羽虫、小鳥にネズミ。それらを貪りながら一人で見る夢がありました。
この森で伴侶を得て暮らす。
ちっぽけな夢です。夢というほどの事ですらありません。
ですが家族を失ったアライグマにとっては、二度と戻らぬ世界を取り戻すくらいには、重大な事でした。
ゆえにこの森を支配する。少なくとも、一定以上の勢力圏は確保しなければ、延々逃げ惑う羽目になります。それでは伴侶を得たとしても、子育てなど夢のまた夢。
夢を叶えるために、夢を実現するために。
アライグマは、この森の王者を目指すのです。