〜 鐘が鳴る 〜 第一部 第六話
☆第六話
◆油断! 助けて! チッチ
アウラは、気が気じゃない気持ちの中、手にしている禁術書のページを乱暴に捲った。
気持ちが落ち着かない……そりゃ落ち着かないのである。
不安と苛々する気持ちを鎮めようと禁術書を開いたものの、内容は一向に頭の中に入ってこない。
頭に浮かぶ事と言えば、水車小屋で話をした少年の話もさる事ながら、そんな事より今頃チッチとロザリアは何をしているのだろうか? という事ばかり頭の中に浮かんでくる。
逢引きスポットとして名高いアレシアン湖には、通常のボゥトの他に二人乗り用のペダルを踏んで漕ぐ船首にユニコンの頭が付いた馬車と巨大蛙の形をした奇怪なボゥトが、愛嬌たっぷりにまったりと肩を並べて浮かんでいる。
ペダルの位置は前方にあり、腰の位置よりやや高い場所にあるので漕ぎ出す際、女の子が短いスカートなど、履いていようものならそりゃもう際どい事になるのだが……。
そういえば……ロザリアは今日、自分が履いているスカート丈より随分短いタイトなスカートだった気がする。
自分も女の子なのだから、一応、流行りや友人のファッションはチェックしている。
――嗚呼! 苛々する……。
それとも今の時間帯なら、学園の街で今頃アフタヌーンティーでも楽しんでいるのではないか? それとも綺麗なテーブルクロスの敷かれたレストランで時間を掛けて豪華なランチを楽しんでるのではないか、と思う。
しかし、チッチにそんな甲斐性がない事に気付く。
良くてパンにベーコンや腸詰のソーセージに野菜を挟んで香辛料を掛けマスタードを塗った持ち帰りが出来る軽食でも買い込んで近場の綺麗に刈り揃えられた芝の上で噴水など見ながらパンに噛り付いているのだろう。
お互いに違う新作メニューを頼み、半分食べて交換して食したりしている姿が脳裏に浮かぶ。
――忌々しい……。
自分と言えば、人気のない小高い山の裾野に、小じんまりと広がる牧草地で自分が連れてきた羊など眺めて味気ない昼食を摂っているというのに……忌々しいたらありゃしない。
餌をねだりに来ているプラムが太腿の上に、ぷにっぷにの肉球を載せている。
今日は何時もより短めのスカートを履いて来ているせいで、露わになっている太腿にプラムのぷにっぷにの肉球がひんやりと直に伝わってくる。
何故、何時もと違う服装で放牧に来ているのかと考え、顔が赤らんで来る事に気付く。
今の状況を考えると、放牧デートを期待していた自分が腹立たしい。
昨夜から下拵えをしておいたお弁当は、二人分。
捨てるのは勿体ないと思い食べ切れない分をプラムに食べさせる事にした。
何時もより多めの餌を貰って食べ尽くしたプラムは、眠気が差したのか大きな欠伸をすると膝の上に顎を乗せて瞼を閉じている。
プラムの重みを腿に感じていると、何時ぞやの膝枕の事を思い出す。
確かあの時……。
思い出して顔から火が出そうな程、熱くなっている事が分かると同時に今頃、お腹も膨れて睡魔に襲われたチッチがロザリアの太腿の上に頭を乗せ惰眠なんぞ貪っているのではないのだろうか。
むかむかが収まらない。
まさか! その後……想像など出来るはずもない、したくもない……と言うか、その手の知識に疎い自分には想像すら出来ない……。
でも、何故? こんなに苛々したり、もやもやしたり、むかむかするのだろう……。
まだ小さくて自分でも良く分からない程の憧れとは違う好意。
淡い気持ちのはずなのに……どうして、こんなにも胸が苦しいのだろう、とアウラは首を傾げた。
アウラが、ふと空を見上げると陽は大きく傾き始めていた。
「プラム」
アウラは、節くれた杖に括りつけられている鐘が、からん♪ と音色を響かせた。
何時もなら鐘の音に反応し主の命令を迅速に、こなすプラムが動かない。
森の一点をじっと見詰めていたが、唸り声を上げ出し吠え出した。
「グルルルゥ、ウォン、ウォンウォンウォン」
「どうしたの? プラムぅ?」
アウラは、プラムの見詰めている森の方に眼を凝らした。
森の木々がわさわさと落ち着かない様子を見せていた。
アウラは風を探った。
風は微かに吹いているものの、強くはない。
森の木々をざわめかす程の風ではない。
アウラの脳裏に水車小屋で少年が言っていた言葉が過ぎった。
山賊、盗賊などは白昼堂々商隊などを襲う事は余りない。
腕に自信のある傭兵は何時襲ってくるか分からない。
街道沿いには、騎士や軍の兵たちが監視をする屯所が一定の距離に置かれているからだ。
見通しの良い昼間から襲えば、あっと言う間に見つかり増援を呼ばれ囲まれてしまう。
陽が大きく傾いているとはいえ、まだ辺りは明るい。
魔物などは夜行性のものが殆どだ。
羊を狙う狼などの獣も殆どが同じ夜が狩りの時間だ。
森のざわめきは近付いて来ているの事が、木の揺れ具合の様子から見て取れた。
水車小屋で会った少年の言葉が真実味を帯びてくる。
――深刻な軍の人材不足。
「プラム」
アウラは、プラムに羊たちを纏め移動させるよう指示を出し節くれた杖を構えた。
森を方向を警戒しながら、アウラは動き出した羊の群れを追った。
アウラたちが動き出した気配を感じ慌てたのか、森の中から大人数の偉丈夫たちが群れを成し武器を掲げアウラの方へと向かって来る。
「プラム!」
アウラは、気丈にも偉丈夫たちに向き直り節くれた杖を構えた。
これでも魔術師の端くれだ。
その前に、一頭でも羊の頭数が足りなければ見つかるまで探す程、慈悲深いと言われる羊飼いである。
羊飼いは、決して羊たちを見捨てたり、見放したりはしない。
魔法陣短縮の法は、まだ完璧に使いこなせる訳でもないが、何時も羊を連れ放牧する場所には必ず魔除けの陣を敷いている。
魔法陣さえ敷いてあれば短縮の法と合わせて有効かつ、迅速に魔術を行使出来るはずだ。
アウラは節くれた杖を構え足を止めた。
逃げても追い付かれる事は分りきっている。
なら、少しでも自分に有利な場所で戦うのは定石だ。
男たちがアウラと一定の距離を置き足を止めた。
甲冑を着け、なかなかの得物を持っている。
――傭兵だ。
「ほほぉ、今日の御馳走とお宝は羊とかわいい子羊か」
男が薄い笑みを浮かべた。
アウラは紫水晶の瞳を鋭く細め、節くれた杖を構えた。
余りのアウラの余裕に偉丈夫たちは一瞬、たじろいだ。
フード付きの長いローブに節くれ年季の入った杖を構えたアウラの姿は語り草としては余りにも有名な遠い昔、極北に魔物たちを閉じ込めた魔術師そのものだった。
アウラは、短縮の法を用いずに杖に括られた鐘を鳴らし予め描いて置いた魔法陣を発動させた。
からん♪
小気味良い鐘の音色に乗り描いた魔法陣から魔術が発動……するはずだった。
「あれ! ……魔法陣、描くの忘れてた……」
「驚かしやがってぇ――。このあまぁ――」
男がアウラに掴み掛かった。
アウラの纏っていたローブを易とも簡単に破き剥ぎ取られ、地面に突き飛ばされた。
傭兵の男たちが、好色な笑みを浮かべ距離を詰めてくる。
「いやぁぁ――」
倒れた拍子にアウラの細く太腿が露わになっていた。
「おいおい、誘ってんのか? お譲ちゃん」
男たちは薄い笑みを浮かべ、にやにやとアウラを舐め回すように見ている。
アウラは、慌ててスカートの裾を下して隠したが、何時もより短いスカートの裾が握った手から離れ伸ばした力の分だけ捲れ上がった。
「もったいぶるんじゃねぇよ。かわいがってやるからよぉ」
それを見ていた男たちは興奮を露にし、アウラの身体にじわりじわりと手を近付けた。
アウラの顔が恐怖に歪み、紫水晶の瞳が潤み出した。
アウラは、倒れた際に落としてしまった杖を必死に探した。
魔法陣もない。短縮手法を使う為にも鐘を括り付けた杖は必須だ。
「いやぁっ、こないでぇ――」
いくら魔術の才能があると言われていても戦闘経験などないアウラは普通のか弱き女の子に過ぎない。
まして魔術を発動させる触媒となる杖を手放しているとなれば、極々普通の女の子だ。
男の手がアウラに延びた時――。
獣の放つ荒い息ず使いで白と黒の矢が男の腕に噛み付いた。
「プラムぅぅぅ」
アウラの安堵も束の間。
わらわらと男たちがアウラを取り囲んだ。
プラムも善戦しているが、多勢に無勢は分りきっている事だ。
「たすけて……チッチ……お願い……チッチ」
アウラは無意識に山羊飼いの名を呟いていた。
「チッチ――! たすけてぇ――」
アウラは、声が潰れそうになる程大きな声で少年の名前を呼んだ。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございます。<(_ _)>
次回をお楽しみに!