〜 炎のレース 〜 第三部 第二十二話
☆第二十二話
◆炎を包め
チッチの言葉にアウラは逆上し天を衝く程の声を上げた。
「チッチが、こんなに冷たい人だとは思わなかった……、食料不足に喘ぐ人々の姿をチッチは知らないから、そんな事を平気で言えるのですね」
アウラは、チッチと並んで腰掛けていた操作場の椅子から立ち上がるとグローリー号のの船首に向かい駆け出した。
――からん♪
アウラは、節くれた杖を一振りするとアウラの周りを取り囲むように風の渦がゆっくりと回り集まり出した。
アウラは魔法陣も言葉の詠唱もしていない。
――術式破棄の魔術。
渦巻く風の塊が次第に加速し回転は速度を増していく。
「アウラ! 待てぇて、慌てる事はない。風に流されて火は広がっているけど、幸い先日降った長雨のお陰で火が広まる足が遅い。今、グローリー号を止めれば火の海の起こす上昇気流で動けなくなってしまう。今吹いている北西の風は雨が降り、温度が下がって気圧が低くなった所に空気の場所に南の暖かい気圧の高い風が流れ込んでいるんだ。この風が乱されない距離にいる内に進路を変えないとゴール出来なくなってしまう」
「チッチにはレースの事しか頭にないの? 本当に見損ないました」
アウラはそう言い杖を炎の海に向け振り下ろした。
アウラの周りを回っていた風は蛇がとぐろを崩し得物を狙い動き出したかのように解け、風帯となって燃え盛る炎の海へと向かっていった。
「アウラ! なにしてんだ?」
「魔術で作り出した風で炎を吹き飛ばします」
アウラの魔術が作り出した凄まじい勢いの風帯が炎の海を直撃した。
燃え盛る炎が低く小さくなって風帯に押されている。
「もう少し」
アウラは魔術に魔力を上乗せした。
「hagalaz・uruz」
(突風よ。力を)
からん♪
アウラは言霊を乗せ杖を振り下ろす。
魔力の上乗せされた魔術の風帯は流れる速度を増していく。
強風に煽られた炎は薄く延び、千切れて消え掛っているように見えた。
――よし! いけるかも! もう一度、魔力を上乗せすれば。
「hagalaz・uruz」
(突風よ。力を)
からん♪――。
アウラが魔力を上乗せし杖を振ろうとした時、アウラの腕が掴まれた。
「やめろ! アウラ、よくあれを見ろ」
チッチの言葉にアウラは、燃え広がる炎の海を目怒らし良く見つめた。
千切れそうになって延びていた赤い炎が、青白い炎の色に変っている。
「中途半端な風を送って炎を煽ってどうするんだ。火の温度は高温に成る程、青くなり白に近付いて変化する」
「……し、知ってます! それくらい……でも! この方法しか思い浮かばなかったんです」
アウラが放った魔術の風を受け炎は更に勢いを増し燃え広がっていた。
「この辺りの水路の水だけでは、あれだけの炎の海を消せないと思って……」
アウラは表情を曇らせ紫水晶の瞳を潤ませながら下口唇を噛みしめた。
――自分には存在する水を魔術に利用出来ても、存在しない水を魔術で生み出す事は今の力量では出来ない。
勿論、理論もそれを行う為の魔法陣も知っている。
だからと言って、一長一短で身につくものでもはない。
いくら天才と言われていても、まだ若いアウラには絶対的に不足している事がある。
それは知識でもなければ魔力の大きさでもない。
いくら積んでも、いいくらいの努力とその先にある経験則が足りないのだ。
風は空間に偏在している。扱い易い触媒だ。
魔術に使う触媒としては事欠く事もなく扱い易い。
熟達の末、空気中に含まれる水分だけを分離させたり地中に含まれる水分だけを取り出し凍らせ氷の魔術に変換するなど、高度で緻密な魔術を行使するには経験が少な過ぎるのだ。
チッチがアウラの肩に手を乗せた。
アウラは我に返り、ある事に気付いた。
「操船は?」
「固定して来た」
――チッチの笑顔。
「炎の中に突っ込むつもり?」
「まさか」
「じゃぁどうするの?」
「火を消してシュベルクに向かう。進路は変えない。レースも勝つ! 英雄との約束だからなぁ」
「……チッチ、あのね……そのね」
アウラはそう言うと爪先立ちをしてチッチの耳元に唇を近付けた。
「……大好きだよ」
鈴に音が消え入るような小声で囁いた。
「アウラ? 炎の魔術を扱えたよなぁ?」
「はい。炎の魔術は今の未熟な私ですが、最も得意な魔術ですが」
「以前、魔物除けの小さな火を魔法陣の中に起こした時、牧草は焼けてなかった。その時何か言ってたよなぁ……詳しくは言ってなかったけど」
「うん、魔術の効力は、自分の指定したものにしかその効力を発揮しないからだよ」
「ふむ? 炎の魔術で炎を消そう」
チッチが荒唐無稽な事を言い出した。
「炎で炎を消す? どうやって? それに未熟な今の私が大きな炎の魔術を使うには媒介が必要なの……小さな松明くらいの火じゃあの炎には遠く及ばない炎しか作り出せないのです」
アウラは俯き肩を落とした。
「それなら、消して終いたい程あるじゃないかぁ」
チッチは燃え盛り広がる炎を指差した。
「そうか、あの炎を媒介にすれば……でも、どうやって炎で炎を消すの?」
「アウラの魔術で作り出す炎で、あの炎を包み込んで消すんだ」
血土の口元が、にやりと吊り上がる。
「……、あの炎が自然ではなく魔術によって作り出された物なら、私の魔術で作り出した炎に取り込み、魔術を閉じれば消滅される事が出来るかも知れません……、但し……炎を作り出した魔術師の実力を私の魔術の実力が超えられればの話です。もし、相手の魔術師の実力が上なら魔術で作り出した火は取り込めない……下手をしたら逆に私が魔術で作り出した炎を取り込まれ、相手の魔術師が自分の作り出した炎に上乗せされるかも知れません。それなりに高等な技術を必要とし要求されるのですが……」
アウラは表情を曇らせた。
チッチ、本人は魔術を扱う事は出来ないが、魔術の知識に長けている事をアウラは良く知っている。
恐らくチッチはアウラが魔力で作り出す炎で、野に広がっている炎を取り込み、アウラが作り出す魔術の炎の支配下に置き、魔術を終える事で消し去ろうとしているのだとアウラは考えていた。
――しかし。
「……自然界に発生した炎は、魔術で作り出す炎に取り込み支配下に置く事は出来ません……無論、自然界の火を魔術の媒体にする事はできます。魔術で作り出す炎を作り出すきっかけには出来ますが、炎自体を制御する事は出来ません。魔術によって作り出す炎は、魔法陣の法則と言霊を発する事で一種の精霊的、或いは自然界の力を引き出しますから、例えば地中を這う地脈にある竜脈なのですが、ですから魔術の炎は術者によって制御出来るのです」
アウラの言葉を気にした風もなくチッチは微笑みを崩さない。
「知ってる。アウラの言う通り、人が持つ魔力の根源は未だに謎が多いけど、魔法陣は精霊的、自然界の力を無理やり引き出しているか、魔法陣の術式に何らかの契約が結ばれていて魔術を行使する際、その精霊的、自然界の力を引き出し借りてある種、人工的に炎や水、氷、風などを作り出し、魔方陣を中心に意図的に術者の支配下に置いて制御するんだろ?」
チッチは、得意そうに笑みを増し更に唇の両端を吊り上げた。
「そうです。だから、誰の支配下にもない自然界で発生するただの炎を制御する事は出来ませんし、その炎を魔術で作り出した炎に上乗せする事も出来ないのです」
アウラは、チッチの笑みの意味が分からず不思議に思いながらも説明を終え力無く肩を落とした。
「でも魔術で作り出した炎も媒体と空気中の酸素で燃る事には違いないだろ?」
「あのね……チッチは魔術の事に長けてはいますが、媒体と魔力の源、そして魔術の深い相関性までは知らないのです。魔術を扱える私や長年の研究者たちにも、まだ分からない事が多いのですから、ソシエールさんにさえ、以前チッチが推論した事に対しての明確な答えは分からないようでしたから」
アウラは、チッチが魔術を扱えなくても魔術の事に長けているのはソルシエールとチッチの母、風狼が協力して魔術の基礎を組立魔術を生み出した時の話を聞いているのだろう、と思っていた。
その基礎を組み上げたソルシエールでさえ、特定の人物が持つ魔力と魔力の根源については不可解な事が残っているのだと言っていた。
アウラは、それでも消えないチッチの笑みを見つめていた。
――どうやって燃え広がる炎を消すのか。
「消せる」
自身たっぷりにチッチは満面の笑みを浮かべ、アウラに耳打ちをして炎のどう扱うかを耳打ちをした。
「……あなたと言う人は……本当に何時も驚かされます。そのような発想を思いつくなんて」
アウラは、やわらかい笑みを一瞬、浮かべ表情を引き締め節くれた杖に括りつけられた鐘を鳴らした。
からん♪ からん♪ ……からん♪
アウラは、術式破棄の魔術を行使し燃え盛る自然界の炎を苗代に魔術で炎を生み出し、間を置かず生み出した魔術の炎に上乗せをした。
「kano・uruz」
(火よ。力を)
魔術によって生み出された炎が地を這う蛇のように燃え盛る炎の海をぐるりと取り囲んだ。
「kano・uruz・kano・ansuz・uruz・gebo」
(火よ。力を! 焔よ。神から賜れし力の贈り物を)
からん♪ から――ん♪
アウラは、更なる言霊を乗せ杖を振り魔力を上乗せする。
魔術で作り出した炎は壁状の帯になり、燃え盛る炎の海を囲み始め魔術の炎は燃え盛る炎の海を天からも覆い囲み始めた。
以前、アウラが言っていたように魔術で生み出した炎は麦畑や牧草は、おろか地面さえも焦がす事すらしていない。
アウラが支配下に置いている魔術で作り出した炎は地面から半円状に膨らんでいるような形で燃え盛る炎の海を覆い尽くした。
To Be Continued
最後まで御読み下さいまして誠にありがとうございます。<(_ _)>
次回もお楽しみに!