〜 炎のレース 〜 第三部 第二十一話
☆第二十一話
◆炎の海
風に恵まれその風を上手く掴み、その日の陽が落ちる前にリスブル到着出来た。多少の混雑はあったものの、七か所目の通過書を手にしたチッチたちは一路東へと向かっていた。
激しい砲撃を受けたにも関わらずグローリー号に深刻な浸水は見られなかった。壊れた個所の応急修理を行ってシュベルク川を川上へと上った。
雨が上がった後、一番上に張られている横帆を縮帆しながらジグザグに上手回しを繰り返し風上に切り上がる。
途中、無風状態が一時あったものの、暫くして吹き返しの強風が南から吹き始めるとチッチは、帆を張り増し船足を上げた。
陸上の街道より広く、起伏がない川は丘や窪地を迂回しながら敷かれている街道より、次の目的地の街までの距離は短い。
シュベルク川はベールング川より、はるかに水量も多く川幅も水深も深い。思う存分グローリー号の性能を発揮する事が出来た。
チッチも操船に随分慣れて来ている上に浅瀬に座礁する危険を避ける為、アウラの知らない所でも右眼の包帯を外し使える限界まで目一杯、循鱗の力を使っていたベールング川では時折、チッチが見せた険しい表情は消え、右眼の包帯を外して循鱗の力を使わずに済み、何時もの笑みを絶やさない顔に戻っているチッチの表情にアウラは安堵した。
――チッチは笑顔が一番。
操作場の腰掛けに座るチッチの隣には、アウラは腰かけ薄い笑みを浮かべる。
「ふぅふぅふぅ、なかなかお似合いじゃないお二人さん? 何時も何か私たちの会話に誤解を招くような、如何わしい事でもしてるのか?」
腰掛の後ろから、にやけ顔でアスカが声を掛け二人を冷やかした。
「あ……あの! アスカさん? チッチが目覚めた時……なにか口走りませんでしたか」
アウラは、先程の失態を誤魔化しチッチが何時も口走る、あやしい言葉をネタに今の微妙に状況までも誤魔化そうと試みた。
「う――ん……、わたしの膝枕から起き上がった時、胸に頭をぶつけた反動で床に後頭を打ち付けながら、そいえばなにか言っていたな、確か……『岩盛りデカパイン伝説! あれ!』だったかな?」
アスカが、そう言うとチッチの頭の中では伝説とかになっている凶悪な胸をチッチの頭の上にボイン、ボインと乗せチッチの背中にもたれ掛った。
「なっ!」
アウラは思わず絶句した。
「アウラはいいな? 肩凝らないだろ? その胸なら。あぁ――! これ、楽でいいわぁ」
アスカの顔が幸せ一杯といった表情になった。
アウラはチッチの表情を窺がって見たが、何時もの微笑みを浮かべる。
気のせいか、その頬笑みが何時もより幸せそうに見えるのが腹立たしい。
――なんなの? 嫌がらせ? それとも嫌味?
アウラは、学園の授業中にチッチがロザリアの隣に座っていた時、居眠りから目覚めて時に口走った寝言を思い出した。
「チッチ? 何時か授業中にロザリアの隣で居眠りから起きた時になんて口走ってたか覚えています?」
「う――ん? 覚えてないなぁ?」
何時もより三割増しのの笑顔でチッチが答えた。
「メ、メメ……」
「メ、メメ?」
「メロンパイですよ……メ、メメ、メロンパイ!」
アウラの声が裏返り震え出す。
「そうだったかぁ? 覚えがないなぁ――」
チッチは動じる事無く笑顔も崩さない。
「わ……わわ、私の時は何時もなんと吠えて目覚めます?」
「桃!」
――即答だ……。
「な……なぜ即答?」
「なんでかなぁ? イメージ?」
「な、なななにのですか! い、いったいイメージかしら?」
「胸」
――またか! また即答か……。
からん♪
アウラは節くれた杖を握りしめた。
「さてと! 東の街のもう直ぐだし……、わたしはシュベルクに先に戻ってる。仕事もあるしな」
良からぬ殺気をアウラに感じたアスカは、そう言いチッチから離れると船の縁を掴むと飛び越え、川に飛び込んもうとしている。
「アスカ――! ここ川――! 岸に着けるから……遅かった、まあいいか」
「え゛っ! まあいいかって! チッチいくらなんでもそれは酷いんじゃ――」
その時、アスカが水面に向かいあの翼の生えた大蛇の名を呼び川に飛び込んだ。
「リヴァ!」
その呼び掛けと同時に川の水面が盛り上がる。
アウラの眼には、悪しき循鱗を自力解放したチッチを取り押さえた四枚の翼を持った大蛇が水面に浮かび上がった。
「死ぬなよ! チッチじゃあな」
からん♪ からん♪ からん♪ からん♪ からん♪
小気味良い鐘の音がグローリー号の船体を揺るがした。
「はぁ、はぁ、はぁ」
アウラの荒い息遣いがアスカの耳に届いた。
「折角、怪我が治ったっていうのに……可哀そうな奴だ。まったく……」
アスカはリヴァの背に乗り陸へと向かった。
東方面の指標街は三か所。
南からマキスの街、ヘスル、ギョスと川沿いに船着き場を持つ街が並んでいる。
レースは今日で四日目、東方面は大よそ一日だ周り切る事が出来る。
リスブルの街で通過証明書を受け取り、仮眠を取ってから出航した頃には雨も上がり空には星たちが踊っている。
月明かりとグローリー号に備え付けられている。航行灯の明かりを頼りに北に上ったチッチたちは、アスカと別れて間もなくマキスの街に到着すると東側の通過証明をその日の内に全て揃えた。
流石に手続きの時に混雑に巻き込まれたが、陽が沈む頃には、十か所の通過証明を手にする事が出来た。
後はシュベルクに戻るだけ、恐らく全ての指標街を周り通過許可書を手にしたのは、チッチとアウラの二人だけと思われる。
夜間航行をしている時には、回復した循鱗の力を存分に使い、万が一に備え座礁の危険を避けて来た。
そのお陰もあり時間に余裕が出来、ギョスの街の宿を取りゆっくり身体を休める事にした。
無論、二部屋取り別々に休む事にした。
アウラが御立腹だったからではなく、常識的な事の流れで二部屋取っての事だ。
旅の疲れからか各自の部屋に入りベッドに潜り込むと早々に二人は夢の世界へと船を漕ぎ出した。
翌朝、陽の昇る前から東方面最北端に位置するギョスの街をシュベルクの街に向かい船首を南西へと向けグローリー号を出航させた。
無論、最短距離を行く為に陸路を走る。
風は南東の風。
風上航には違いないが最適な風向きでもない。
何事もなく行けば、シュベルクには陽が天中に差し掛かる前に到着出来る予定だ。
シュベルクとギョスを間の広野をグローリー号は二つの街を結ぶ、ほぼ直線上で航行する。
南西の方角に向かう。
風の影響を受け船体は若干風下に流される為、時折進路を修正する必要がある。
水面を風上に切り上がる時、チッチは最新の注意を払い難しい上手回しを繰り返して来た。
風上に向かう際、風下に流された進路を上手回しで切り上がろうとすれば一度、風を真正面から受ける事になる。
帆船は風上に切り上がる限界の角度があり、それは船の性能や帆の偽装によって、切り上がり角度は変わるが、風に向かい真正面方向には絶対に進む事は出来ない。
上手回しは一度、帆の風を抜きマストを回し帆の張りの面を変える為、失敗して裏帆を打たせてり帆をバタつかせれば、船足は落ち最悪裏帆を打たせてしまった時には帆が破れ航行不能に陥る危険も孕んでいる。
チッチが設計したグローリー号の偽装は縦帆で風上に切り上がる角度を横帆船より深く取れる。
同じようにジグザグに航行しても直線状をコース上と考えるならば、コース上からの逸脱が少なく済むと言う事は、それだけ速い船であると言う事である。
コース上から風下に流される角度が大きい程距離が延びる為、切り上がり性能の良い船は結果的に目的地に早く着く事が出来る。
真正面から来る風に帆の角度を合わせながら風下に落ち、くるりと船体を旋回させる下手回しもあるが、大周りになる為、進路を修正する際、上手回しより容易な分若干時間が掛る。
地上を走る時には、履帯のお陰で少しの進路変更なら帆の張り替えをしなくても済み僅かな帆の調整と合わせるだけで済む。
風が強く大きく流されれば地上でも上手回しか下手回しを行うが、小回りの利く履帯の特性を生かせば無理に上手回しをしなくても下手に回って旋回する事ができ時間のロスも少なかった。
陽も昇り広野をひた走りシュベルクに向かう広野に突然、炎の壁が現れた。
「チッチ! 前方に火が!」
アウラは突如現れた炎の壁を指差し叫んだ。
「見えてる」
呑気な声でチッチが答えた。
炎のは壁というより広野に燃え広がった炎の海と形容した方がしっくりくる。
「酷い……あの辺りには牧草地だけでなく麦畑もあるというのに……、これも妨害工作なの? チッチ」
悔しそうな表情と言うよりは、何処かやるせないと言った感じの表情をアウラが見せた。
麦の収穫は、まだ始まったばかりで炎の上がっている辺りは航行中も麦粒が実った穂が黄金色に輝く美しい風景だった。
「チッチ! なんとか出来ないのですか? まだ炎は上がったばかり……、被害を最小限に食い止める手立てはないのですか?」
「う――ん……、言われなくても何とかしないと終着点のシュベルクに入れない。あの炎を迂回すれば大きく進路を西か東に取らないと駄目なんだけど……、生憎南東の風が吹いているから西に進路を変えざるをえなくなるなぁ、それに――」
チッチが何かを言い掛けたところでアウラの怒りの声が重なった。
「チッチ! この状況で良くもそのような事が言えますね! あの麦畑の大半が焼かれれば麦不足にこの辺りの街一帯が陥ってパンを食べられなくなる人たちが沢山でるのですよ!……見損ないました」
アウラは、何時もやわらかく輝く紫水晶の瞳を鋭い視線に変えチッチを睨みつけた。
「だから――、話は最後まで聞くもんだと何回も言ってるだろ?」
アウラは、チッチの言葉で怒りで煮えくり返っていた頭を冷やす。
「えっ……ごめんなさい……、何か良い策があるのですね? チッチ」
アウラは、チッチに飛び付き表情を一転させ嬉しそうな笑みを浮かべた。
「この風じゃ、西にも向かえない。火は風に流され北西に向かって走り出しているからなぁ」
「チッチ……あなた! まだレースを優先させるつもりなのですね……」
アウラは、一度言葉を切ると言葉を紡いだ。
「分かりました……チッチがその気なら、私はここで船を降りてあの炎を何とかします……まだ上手く使いこなせないけど、魔術を使って炎を消しますから船を止めてください」
アウラは節くれた杖を強く握り締めた。
「だめだ」
チッチがアウラの言葉に短く答えた。
To Be Continued
最後まで御読み下さいまして誠にありがとうございます。<(_ _)>
次回もお楽しみに!