〜 炎のレース 〜 第三部 第十四話
☆第十四話
◆逆風に向かえ!
ノイルは、眼を点にしてチッチたちの船に見入っていた。
船体自体は然程、新しくもない物だったが、至る所に見慣れない奇怪な物が取り付けられ小型船には珍しいメインマストが二本、そのマストの高さは他の小型船の一本マストより低かった。
通常マストが高いのは帆を沢山張りたいと言う単純な事だけではなく、索敵などの周囲警戒をする為には、より高い方が遠くまで見渡せるからだ。
何より驚いたのは帆の艤装だった。
本来、多くの船は横帆を何枚か張るように作られているが、チッチたちの船のマストはメインマストの一番上に、二枚の横帆が張れるようになっているだけで、その下に大きな帆が縦に張るようになっている。二本目のマストには縦に張られる帆があるだけだった。
「こんな船見た事ない」
ノイルは大きく口を開け、ただただ呆気に取られていた。
この船着き場に着いた時も人集りこそなかったものの、遠巻きから注目を浴びていた。
「ねぇ? チッチ? 船に取り付けた、からくり何時用意したのですか?」
アウラは、準備の良過ぎるチッチが不思議でならなかった。
何時も人とは違う物の見方と行動で驚かされてはいるが、まるでこのレースに間に合うように整えられているように思えた。
「うん? 前から――」
気のない返事でチッチが答えたその言葉で、チッチの純粋な『夢』を思い出した。
「前からって、何時から?」
「学園に入って間もない時に錬金技術科のエリシャに図面を見られた。それを取り上げられて『造って』みたいと言ってたから、そうしてくれと頼んでおいた。でも、これは有り合わせの物を使って急ぎで作った試作品だそうだけど……」
出航準備が忙しいのか、淡々と素っ気ない言葉が返ってくる。
「そう言えば、私がレースに出場する為にシュベルクに戻る随分前から姿を見せなかったけど……これを錬金技術科のエリシャと作ってたのですね? 私の見送りにも来ないでエリシャと研究塔に籠り切ってたとか」
アウラは、じっとりと湿っぽい紫の視線をチッチに送った。
「内緒」
素っ気ない短い返事が返って来た。
「ふぅ――ん……、内緒ねぇ――」
「……」
チッチは一瞬、出航準備の手を止めた。
「それを聞いてどうするんだ? アウラ」
「別に何も」
御立腹の様子が明らかに窺える返事がチッチの背中に突き刺さった。
「アウラ? 俺が内緒って言う時、必ずしもアウラの期待している答えを返すとは限らないんだぞぉ?」
さっきまでとは、違った冷たささえ感じる声でチッチの言葉が返って来る。
「期待? そ、それ……どう言う意味? ですか……」
アウラは動揺し紫水晶に瞳を落ち着かない様子で彷徨わせると眦が潤み始めている事に気付いた。
もしかしたら、チッチは錬金技術科の栗毛に琥珀色の瞳の美少女エリシャと只ならぬ仲なのではないか、と言う思いがアウラの胸中に広がった。
錬金技術科のエリシャなら、チッチの純粋な夢を叶えてくれる船を造ってくれるかも知れない。
自分とチッチの成し遂げたい想いは同じ……二人の想いが成し遂げらる事、自分がチッチに叶えさせてあげられる事。
――それは悪夢。
アウラは、小さな手の平で顔を覆った。
次に向かうジールの街は、放牧レースで周る西方面の街の中では直接川に面してない平原にある街でシュベルクから西側では、一番離れている場所に位置している。
サインス川に流れ込んでいる支流があり、遥か西に聳える山脈から細く長く流れ込んでいるのだが、支流の船着場からジールに向かえば街まで陸に敷かれた街道を往くより山羊を追う距離は少なくなり、半日程度で済む事が地図からも見て取れる。
そのまま街道を南下しイマルクの街に向かえば、丸一日で二つの街を周れるが、支流を西に上れば船まで戻る事になるのだから、ジールに半日で行けたとしても復路が発生し結局一日掛る事になる。
しかし、ジールの南に位置するイマルクには船着き場が街の中にある。ベールングの時のように直接街の中に入る事が出来き混雑を避けられるが、支流に入り船まで戻る時間一日と川を下って支流を上り下る時間と出航準備などを合わせると大よそ一日程度の時間を費やす事になる。
シュベルクを南下したリスブルの街との間に位置するナーンの街以外の他の街は川沿いか近い場所に位置しているが、もしかすると、船を捨てて後のレースを乗り切るつもりでいるのだろうか? しかし、チッチは全ての街を周ると言っていた。
船を乗り捨てその後、残りを周り切る事が、困難になる事は明明白白であった。
チッチは、いったいどうするのだろうか? と先程の事と併せてアウラが考えていると……。
「冴えない顔をしているね。彼と何かあったのかい?」
ノイルの言葉で先程のチッチとの会話のやり取りを思い出したアウラは顔を曇らせた。
ベールングからチッチたちの船に半ば強引に乗り込んで来たノイルが寂しげな表情を浮かべ、物想いに耽っているアウラの顔色を窺った。
「……」
「あいつと何か、喧嘩してたみたいだけど」
「喧嘩? ……してませんよ」
気のない返事をアウラは返し紫水晶の瞳は遠い眼をしていた。
「もう直ぐ支流が見えてくる頃だけど、あいつどうするのかな? 漁船なら兎も角、川の流れに逆らって備え付けられた櫓を漕いで上るつもりなのか? この大きさの船で……それとも何処かに接岸して街道を行くのか」
ノイルが船首のデッキに立っているチッチを見た。
舵はアウラの代わりにノイルが取っている。
支流に近付くとチッチが振り向き笑みを浮かべた。
「風が強くなってきた。いい風だ」
現在は、順風に近い北西の風。
「支流を上る」
「はぁ? 本気か? 支流を上れば風は逆風になる。この船は櫓が備えてあるみたいだが、この風の中、小型の漁船なら兎も角、荷を載せた小型船で風と川の流れに逆らって上るのは無理だ! 縮帆して櫓で漕ぐとしても漕ぎ手が二人しかいないんだぞ」
ノイルが声を張り上げた。
「心配ない。出来ないと思うなら黙って見ていろ! アウラ。こっちに」
チッチの呼び掛けにアウラは反応を示さず、考え事をしていた。
「アウラ!」
チッチの怒鳴り声にアウラは、現実に引き戻される。
心の中に戸惑いを感じながらも、からくりを操作する物が集まっている場所に陣取ったチッチの傍に行こうとした。
どうやら、チッチは支流を上る為に微妙な風を読む事と展帆作業に集中する様子だ。
本流と支流が交わる分岐点が見えて来た。後、少しで支流に入る。
川の流れが、ぶつかり会う場所には緩い渦が数か所出来ている。
たどたどしい足取りでデッキを歩くアウラの身体が船の揺れでよろめいた時、腕を掴まれ引き寄せられ倒れる事はなかった。
「舵離れるな! 少々忙しくなる気を抜くな! アウラ」
チッチの何時にない苛立った声が乱れ飛んだ。
操船に集中するチッチ。
アウラを支えたのはノイルだった。舵を放しアウラの身体を支えたのだ。
「あ、ありがとう」
「あいつ! 何怒ってるんだい? 俺も船乗りの端くれだけど、あいつのやろうとしている事は無謀だ! 小さめの漁船なら兎も角小型船で逆風の中、川を上るなんて」
ノイルがそう言う舵を片手で握り直しアウラの腰に一方の腕に回すとしっかり支えた。
「俺の指示で舵を取れ!」
厳しい口調のチッチは珍しい。
アウラは気付いていなかった自分でも気付かぬ嫉妬の気持から、チッチがエリシャといたのではないかと勘ぐってしまい、レース中だという事も忘れ、プラムの墓前に誓った事も蔑しろにしてチッチを怒らせてしまった事に。
そして、チッチが『内緒』と言ってアウラを気遣った事に……。
支流の流れ込みに差し掛かっているノイルは、アウラの身体を離し手すりにしっかり掴まっているよう促すと舵を握る手に力を込めた。
この船で逆風に向かい川を上るには、もうチッチの指示に従うしかない。
「面舵一杯だ」
チッチの声にすぐさまノイルが面舵を切った。
風の向きに合わせ、チッチは指示と同時に素早く帆を畳み入れ、マストを回す。
「舵戻せ」
帆がバタつきを見せ始める。
チッチは手元の陀輪を回し帆のトリムを合わせた。
船足は衰えない。
船首が支流を向くと船は支流を上り出した。
本流より狭い支流では川岸が直ぐに迫ってくる。
「面舵」
チッチは支持と共に張られていた帆から風を抜き、帆を素早く畳んだ。
船は急速に方向を変える。
「舵戻せ」
チッチは畳んだ帆を素早く出し、帆に風を張った。
バフ、という音を立て張られた帆は風を孕んだ。
それに伴い次第に船の傾きが変わっていく。
船足は衰えないどころかチッチがトリムを合わせると風上の向かい船足を上げた。
「すげぇ……」
ノイルが呆気に取られ呟いた。
「上手回しだ。これを繰り返し風上に切り上がる。この船の喫水は浅いから、無理はさせられない気も抜けない」
何度も上手回しを繰り返しジグザグに川を上った。
ジールの船着場が見えてくるとチッチがノイルに尋ねた。
「あれなんだ?」
「ああ、あれは船を傷ませない陸に上げるスローブだ。ジールは船着き場が遠いからな。馬で牽いて船ごと荷馬車に載せて荷物を街まで運ぶんだ。船を水面に浮かべたままにも出来ないからさ」
それを聞いたチッチは満面の笑みを浮かべた。
「地図には載ってなかったけど、俺が旅をしていた時船着き場の遠い街は、こう言うのが付けられていた事を思い出した。もしかしたらジールにもあるかもと思ってたんだ」
「お前……それで支流を?」
「そうだ」
「しかし、漁船のような小船とは違うぞ!この船は」
「心配ない。ちゃんと付けてある、この船にはな」
チッチは、そう言うと何かしらの準備をする為、船底に入り何かの準備を始めた。
To Be Continued
最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!