〜 炎のレース 〜 第三部 第十三話
☆第十三話
◆苦悩
アウラは、街の狭い路地を少年に手を引かれ走っていた。
「ちょ! ちょっと待ってください。はぁはぁはぁ」
息を切らしているアウラを見て少年が言った。
「少し休みましょうか? 急にすいません。勝手な事しちゃって……しかし、あの場所にいたら興奮した街の人たちに、きみのか弱い身体が潰されてしまいそうだと思ったので……つい」
少年がそう言いアウラから視線を外し走ってきた細い路地の方向に振り返った。
少年の顔は、陽に焼けている赤黒い顔に赤みを差しているようにも見える。
「ありがとうございます。でも、あの場所でチッチを待っていないといけませんから……戻ります、ね」
アウラは、やわらかく少年に微笑み掛け元来た道を戻ろうとした。
「えっ!」
戻ろうとしたアウラの腕を少年は咄嗟に掴み直した。
不意に腕を掴まれたアウラの身体は、後ろに引っ張られる形になり体制を崩し少年の胸に倒れ掛けた。
倒れ掛けたアウラの身体を少年の胸と両腕に、しっかりと受け止められた。
丁度、アウラが少年の胸に飛び込んだような形で支えられたので傍目から見れば、その光景は路地裏で逢引きをする恋人同士のようにも見えなくもない。
「あの人は?」
何時の間にか、少年の腕はアウラの細い身体をやさしく包込んでいる。
「あ、あの人って? チッチの事?」
「そう……そ、その仕事仲間とかなのかな? それで一緒にレースに二人で組んで出場したとか……、それとも……こ、恋人?」
アウラは、くすくす静かに笑い少年の胸板を、そっと押し戻し腕の中から離れた。
「どっちも不正解です。仕事仲間でもないし……ましてや、こ、恋人でもないですよ。強いて言うならイリオンにある学園の同級生です」
顎に小さな手を当て眉間に皺を寄せるとアウラは考えた。
チッチとは、仕事仲間では無論ない。
同じ学園で互いの先の夢や想いの為に一緒になってはいるものの、学園内で仲むつまじく休日を楽しむような、一部の生徒のように特別なお付き合いをしている訳でもない。
「でも、きみはあの人に特別な感情を抱いてる」
「えぇ……抱いています」
アウラは、にっこり微笑んなんの迷いもなく答え、顔を曇らせ言葉を綴った。
「……私と……チッチは、他の誰もが築けない絆で結ばれていますから……」
アウラの言う絆とは言うまでもなく“仇”同士であるかも知れない間柄であるという事だ。
チッチの記憶には、明確にグリンベルの街を焼き払った事の覚えはないようで風狼に銜えられ気が付くと焼けているグリンベルの街を見ていたとの事だ。
当時チッチの母、ドラゴンが与えた循鱗の破片がチッチという意志を持つ人間を寄り代にとして彼の身体を侵食し始めたのだと言っていた。
欠片程と言ってもドラゴンのような強大な人外の力を持っている循鱗という物質の一部が、新たな意志となって目覚め初めチッチの身体と精神を乗っ取ろうとしていたとしても、何ら疑う余地はない。
しかし、チッチにとってアウラは違う。
アウラが組み立てたと聞いているグランソルシエールが完成を成しえなかった禁術の魔法陣を組み上げ今も尚、魔法陣は健在し、その陣から創り出され続けている異形の魔物らが、チッチ親子の定住をし始めていたハングラードの街近郊を、ほぼ壊滅させてしまった事は紛れもない事実なのだ。
自分の知らぬ間に多くの人の命を奪ってしまったという罪の意識と罪悪感が、その事実を知ってしまった日からアウラの胸を締め付け続けている。
チッチの馬鹿な行動を見ていると何故か、その苦しみが和らいで行く気がする。
チッチが、自らグリンベルの悪魔であると豪語しているのは、自分もアウラと同じく多くの人たちの命を奪ってしまったと言っているようにも感じていた。
今、自分たちが成すべき事は苦しみ嘆く事ではなく、今も生まれる出る異形の魔物たちと北に封じられた魔物たちの活発化の阻止。
チッチの言動がアウラに、そう言っているようにも感じられた。
浮かない表情のアウラに少年が声を掛けた。
「僕がきみを守ります。何があっても今みたいに!」
少年の強くたくましい言葉にアウラはしっかり視線を合わせ少年の言葉に答えた。
「ごめんね……、貴方に私は守れない」
アウラは、明確な事実を少年に突き付けた。
「彼なら……チッチとか言う山羊飼いなら、きみを守れると言うのかい? 乱闘をする人混みの中に飛び込もうとしていたきみを止めようともせず、レースの事を優先させるような奴にきみを守る資格はあるのかい?」
「……正確に言うとチッチにしか、本当の意味で私を守る事の出来る人はいないのです……もし、私が誰かに守られる資格があるのだとしたら、そして彼を守ってあげられのも私にしか出来ない事なのかも知れません」
少年の真剣な眼を見据えてアウラは、はっきりと答え軽く杖を振り鐘を鳴らして魔術を使って見せた。
旋毛の辺りでリボンの布で束ねられたアウラの細い桃色の髪の毛が、ふわりと宙を踊った。
アウラの身体を弱い旋毛風が纏い肩に触れようとした少年の手を弾いた。
「……魔術師。 初めて見た」
少年は驚き短く呟いた。
「私たちの成すべき想いに必要な力です。驚きましたか?」
アウラの言葉に、二人がこれから何と対峙していく事になるのかを悟ったのか、少年は溜息を吐いた。
「はぁ――、一目ぼれだったのに……彼も魔術師なのかい?」
「チッチは魔術師ではありません……、普段の彼は普通の人ですよ。私にとっては……少なくとも今は……」
アウラの不可解な言葉に少年は眉を潜めた。
魔術師を守れる程の技量を持つ戦士なのだろうと思ったのか少年が、アウラに尋ねた。
「彼は、僕と然程変わらないあの若さで強い戦士なんだね……きっと」
「違いますよ。チッチは、ただの学生で、そして山羊飼いの少年です。あっ! それとシュヴァリエかな? だから戦士でもあるのかな?」
「シュヴァリエ?」
この辺りでは聞きなれない言葉に少年が問い返した。
「騎士ですよ。正真正銘、叙勲を授かった」
「……なっ! ナイト……あの歳で……、はぁ――」
少年は絶句した後、溜息を吐いた。
「あっ! アウラこんな所にいたのか、探したんだぞぉ」
間の抜けた声色が狭い路地に響いた。
「チッチ! 通過証明書の手続きはもう済んだの?」
「アウラのお陰で混雑する前に済ませる事ができた」
チッチは、満面の笑みをアウラに向けた。
「チッチ? ところで山羊たちは?」
「アウラを探す前に船に追い込んで柵に入れといた」
「そう、何時も段取りがいいですね。私を放っておいてねぇ――チッチ? 先に山羊たちを安全な場所に連れてったんだぁ――? ふ――ん」
少し怒った顔をしたアウラがチッチを覗き込んだ。
しかし、もたもたしている訳にもいかない。
船着き場には、荷揚げ場の男たちが大勢いるが、それを聞き付けた他の出場者たちがどんな手を使って山羊たちに危害を加えるか分からない。
荷揚げ場の者たちは、チッチたちを船主と思い、それに乗せられていた山羊たちは運ん来た単なる荷物だと思っているだろう。
船主の船や荷物に万が一の事があれば、船着場を預かる者たちにとって不名誉この上ない事だ。
そうは思うものの、やはり一時も早く船に戻るのが得策、自分たちの手の打ちを他の者たちに知られない内に次の街に向かわなければならない。
「船? きみ船まで持っているのかい?」
あきれた声の混じらせ少年が言った。
「……? 誰だっけ?」
「もう忘れたのかい? 騒ぎの始まった時に、きみが僕に何か頼みたい事があるって言ってたんじゃないか!」
チッチは、少年の言葉に何処か殺意の籠ったようなものを感じた。
「あっ! 思い出した! で、何を頼もうとしてたんだっけ? アウラ」
チッチはアウラに丸投げして寄こした。
「し、知りません! 私は……わ、私の護衛とか……じゃないんですか?」
むくれた顔をしてアウラが答える。
チッチは、掌に拳をぶつけ、ぽんと鳴らした。
「思い出した。この街の下水道の図面をどこに行ったら見れるか聞こうと思ってたんだ」
「「下水道?」」
アウラと少年がチッチの不可解な言葉を聞き返した。
「でもいいや、もう手続き済んだから、アウラのお陰で思い出したし」
チッチの頬笑みがアウラに向けられた。
――からん♪
「私を見て下水道思い出したですって――ぇ! どう言う意味ですかぁ! 失礼ね。ふん!」
「僕はベールングから南西にある街ジールから来てるんだ。隣の街に住んでいて漁夫を営んでいるけど、船着場は街から遠くにあるし、近くを流れる川も狭いから捕れる魚の数もしれていて収穫祭の時期は、捕る魚の量じゃ足りないくなるから川沿いのベールングの街まで仕入れに来ているんだ。ジールの街なら分かるから案内するけどね」
少年はそう答え自分の名前を名乗った。
「僕の名は、ノイル。よろしく! チッチ」
チッチの手を握ったノイルの腕には渾身の力が込められ何故か腕の血管が浮き上がり、ぷるぷる震えていた。
To Be Continued
最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!