〜 炎のレース 〜 第三部 第七話
☆第七話
◆英雄との約束
夜も更けた頃、当然出場者など誰一人として来ていない北方面を周る二人は、妨害にも合う事も無く無事にペグの街に着く事ができた。
山越えの前に出場者の誰かが用意した妨害工作者はいたが、運よく? ランディーたちのお陰で時間を大きく失う事もなかったのだから、危険な賭けをして山越えをした甲斐もあったと言うものだ。
チッチの読み通り北を最初の目的地に向っていた者がいなかった事も大きい。
世の中には、いろんな事を考える者や用心深く先手を打つ者もいるもんだが、その点で言えばチッチの方が一枚上手だったようである。
その結果。当然他のレース出場者から、ねちっこい妨害を受ける事はないし通過許可書の手続きもチッチたちだけなので混雑に会う事もなかった。
ペグの街でも当然、突然現れ通過許可書の手続きに来た一番乗りに通過書を渡す人たちは目を丸くして驚いている様子だった。
皆の様子は、山を大きく迂回して回らなければならない北方面には殆どのレース出場者らがこんなに早く訪れはしないだろう、と思っていたのだから、初日に訪れたレース参加者に驚くのは無理からぬ事だったのかも知れない。
迂回すれば一日半から二日の時間的ロスを背追う事になる。来るだけならそれでいいが、来たという事は帰りにも同じだけか、それ以上の日数を要する事になるからだ。
来る時には体力に余裕があっても帰りは疲れが徐々に現れ家畜を追う速さは落ちてしまう。
家畜の中でも馬を追う者なら作戦上北に向かっている者がいるかも知れないが、早馬を出す軍隊のように目的地まで、その馬が持てばいいなどと考える訳もなくレース参加者が家畜である馬を長距離駆け続ける事などできないのだ。
レースである以上、家畜のそれぞれの家畜に合わせ、一定数を失えば失格になるし家畜を失う事は下手をすれば、その後も無能の烙印を押されかねないのだ。
馬は機動力に優れている為、他の家畜より失う減点も頭数も厳しく、無事に連れ帰っても一頭当たりの得点も加点も少ない上に早く周った日数による加点も少ない、馬より高い得点が定められている家畜を連れた参加者がゴール時に同じだけの通過証明書を集めていれば、その時点で負けが決定してしまう。
もう一つ街の者たちを驚かせたのはサインス同様、山羊飼いであった事と牧羊犬や群れを追う馬も持っていない少年と少女であったからだった。
チッチは手続きを済ませると明日の出発の為に準備を始め出していた。
「アウラ――! ここに書いてある食料の調達を頼めるかなぁ」
「自分で行けば」
アウラは軽く頬を膨らませ、むすっとした顔で返事を返す。
――折角、自分の事を反省してチッチと伴に頑張ろうとしたのにあれじゃ台無しじゃない。
せめて、黙っていてくれれば清々しい気持ちで協力で来たのに……でも、と思う。レディに対する気使いのないチッチが悪いんだから……と思った所でアウラは思い直した、その時チッチから思いもよらぬ言葉が返って来た。
「アウラ……お前、誰の為に……何の為に放牧レースに出場したんだ? 俺が勝手にアウラをパートナーに登録したからか」
何時にないチッチの冷めた声色だった。
――怒ってる……何時ものんびりと微笑むチッチが怒ってる。
自分は、何処かでレースの事より領地に戻る何日も前から、顔を見ていなかったチッチが傍にいる事の喜びが大きく、気持の大半を占めていた事に今更ながら気付く。
チッチが屋敷を訪ねてくれた時、ベッドの中で涙を流した。泣く度に打ちつけた身体が痛んだが、チッチは……方法は、その……別にして介抱を一生懸命してくれた……方法は、その……なんだけど。
プラムの為に、わざわざソルシエールまで呼んでくれてプラムの遺体が傷まないように、なるたけ生前に近い状態を保つ為に魔法陣まで施して貰いプラムの姿を見る事が出来き埋葬にも立ち会えた。
もしあのまま、プラムを放置しておいたら使用人の誰かが埋葬してくれただろうが、あんなにも見晴らしの良い場所に埋葬し墓石に素敵な言葉を残しては貰えなかっただろう。
「俺はプラムの為にレースに出る事を決めた。プラムはお前とレースに向けて沢山訓練してたんだから、学園にいる時もお前と散歩に出る時も何時も……何時も……それにアウラが困ってると思ったからだ。アウラを山羊追いのパートナーにしたのはお前には、どうしても阻止したい事があって頑張っていたからだ。俺一人が出場したら、お前の思いは何処に行ってしまうんだ? プラムは何の為にあんなにもお前と頑張ったんだろうなぁ――? きっと、このレースにアウラと出て勝ちたかったんだろうなぁ」
アウラは、何も言い返す事が出来ず両膝を組んで腿に腕を回し膝の間に小さな顔を埋めた。
「ごめん……、チッチ」
アウラは蚊の鳴くような声で呟いた。
「じゃぁ! これ」
チッチが傍に来ると次の街まで行く為の食料と必要な材料が書かれた牛の皮で作られた羊皮紙を差し出している事が顔を上げていないアウラには分かった。
アウラは暫くチッチの顔が見れなかった。怒った顔のチッチは見たくない。
これまで何度かチッチの怒っているかも知れない顔や自分の為に怒ってくれている顔は見て来たが、自分に向けられている怒り顔を何故か見たくなかったのだ。
――もしかしたら近い将来、遠い未来、何れ本当に見る事になるような予感がしていたからだった。
アウラが顔を上げた時、チッチは何時もの微笑みを浮かべていた。
アウラは苦笑で返すと羊皮紙を受け取り書かれた物を見て眼を皿のようにした。
羊皮紙に書かれていたものは、次の街までの最低限の食料と細かい日常品。
それに裁縫道具、しかも絨毯を縫える程の物が必要だと書かれ大量の縫い糸とそれに大量のロープ、大量の厚手の布だった。
布の材質や糸の太さ、針の大きさまで細かく書かれていた。
そして最後に婦人用の洋服一着。
「この時間からだと大変だと思うけど品物は揃い次第、取りに行くと店主に言っておいてくれ、俺はこれからそれらを運ぶ荷車を調達してくる」
チッチが、そう言い残すと革の財布を投げて渡した。
養女とは言え、貴族の娘である自分でも見た事がないくらいに革袋の財布は、ごつごつ歪に変形している。
いつぞや、ランディーの副官がチッチに差し出した物よりも一回り大きかった。
「チッチ! このお金どうしたの? レースに出る前は持ってなかったじゃない。チッチまさか! あなた」
「その金は、まぁ、アウラが思っているような事をして手にしたもんじゃない。労働に対する報酬ってやつかなぁ――? サインスでアスカから渡して貰ったものだ」
「チッチ……いったい何してたの? いったい私の知らないところで何者になっちゃったの?」
「内緒だ……それとアウラの知っているグリンベルの悪魔て事になっている……今は違ったアウラのシュヴァリエだっけか?」
チッチはそう言い、おどけた様子で微笑んでいた。
アウラが買出しと手に持てない荷物の買付を済ませ、チッチを待っていると夜も遅くにチッチは荷車に揃えられた荷物を載せアウラが眠っている天幕の傍で荷車を止めた。
昨夜、ペグでも一番の商会に赴いたアウラが持っていた羊皮紙を見た商会の主が荷場の男に声を掛けると早々と準備させ、瞬きをしている間に注文の品を揃えたのだ。
アウラの持っていた革の袋を見て、にやけた表情を見せている商会の主は些か気に食わなかったが、店主はチッチの探し出ている荷車が見つかり次第持ってくるようにとアウラに告げた。
アウラは、商会を後にし天膜に戻り山羊の様子を見ながら仮眠を取っているとチッチが、ぼろぼろの荷車を引きながら天幕まで引いて来た。
アウラは、商会主の言葉を告げるとチッチと伴に商会に戻り、すぐさま積み込みを済ませた。
無論、荷揚げ場の男たちが全て載せてくれたが、ぼろぼろの荷車を見て修理と補強をしてくれると言って笑っていた。
荷揚げ場の男たちは荷物を盗まれないように、この場に置いて「荷車の修理が済むまで仮眠を取れ」と言い無償で修理と補強までしてくれると言う。
少し疑い、不思議な感じはしたが、レースの出場者の中でペグの街に一番乗りした二人へのサービスと言って喜んで様子だったので、そのまま商会の広場に天幕を張らせて貰う事も出来た。
無論、沢山の買い物をして貰った、上客であった事もあるだろう。
収穫祭で朝まで賑わう街中で金や沢山の荷物を持ったまま野宿をするのは、荒野で天幕を張るより危険かも知れない。
「さてと……出発だ」
チッチが、荷車を牽き街道に出るとその街道を外れ山の麓の方へと方向を変えた。
「チッチ! 次の街は街道を下って行けば一日でいけるのですよ――」
「そんな事は分かってる……俺の予定では、昼前に次の街ベールングとその日の夜までに出来れば残りの二つの街も周る予定だ」
「それは、いくらなんでも無理です。西側を周るだけでも二日は掛るのですよ?」
「まぁ、心配しなくていい。なんとかする名案があるから」
チッチがそう言うと何時もの微笑みをアウラに向けた。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
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