〜 炎のレース 〜 第三部 第四話
☆第四話
◆美少女台無し
険しい登りと違い下りの斜面は切り立ってはおらず、山肌ではなく緩急のある斜面が続いているチッチと山羊たちは一気に駆け下った。
山の斜面を駆け下り陽が沈む前にサインスの街に到着する事は出来た。
しかし、一頭の山羊の背中の少女は、かなり御機嫌麗しくない様子である。
それもそのはず、山羊の背に縛り付けられたまま急斜面を駆け登った揚句、斜面とはいえ山の中の低い雑木の生える場所を山羊と伴に飛び跳ねながらの到着だった。
いくらチッチが誘導してアウラの体に掛る衝撃の少ない所を選んで来たとは言っても、無事で済むはずもない。
チッチが山羊の背中からアウラを下ろし通過証明の手続きに向かおうとした時アウラが、むすっとした表情と声でチッチを呼び止めた。
「チッチ! 縄解いてください」
アウラは怒りを含ませた震える声で言ったが、チッチが振り向くと視線から逃げるように顔を背け俯いた。
「予定より少しばかり遅れてるんだよなぁ――、手続き直ぐに済ませてくるから、ちょっとだけ待っててくれるかなぁ」
「こ、このまま放って行く気ですか? ひ、人目もあるし恥ずかしいじゃないですか!」
チッチの呑気な口調にアウラは俯いたまま声を荒げた。
「どのみち、次のペグの街まで山羊に乗って行くんだから、そのままでもいいじゃないかぁ、縄は解くけど、手続き済ませたら直ぐに発つから、別のそのままでも俺は構わない」
「わ、私が構います! 縄が肌に食い込んで痛いし……それに顔を拭きたいです」
アウラは語尾に向かうにつれ、小さな声になると恥ずかしそうに言った。
チッチが、やれやれと肩を竦めアウラに近付くとアウラはより、いっそう顔を俯けた。
「ちょ! ちょっと待って! チッチ……でも……早くしてほしいかも……」
近付いて来るチッチをアウラは止めた。
「なんだ? どっちなんだ? 俺はどうすればいいのかなぁ」
「チッチ……顔覗いちゃ……だめですよ? 約束ですよ?」
「う――ん。分かった。で、どうすればいいのかなぁ」
「縄を解いてハンカチ鞄から出してくれればいいです」
チッチが少し考えてから返事を寄こした。
「まぁ、サインスの街には当分誰も到着する事なんてないからいいかぁ、込み合わなければ手続きも早く終わるだろうし、それくらいは頼まれてもいいかなぁ」
再び、チッチが近付き始めた足音が聞こえる。
「約束……覚えてます? 顔見ちゃ駄目ですからね」
「これからずっと? 見ちゃいけないのかなぁ?」
チッチの寂しそうな声がアウラに聞こえた。
「そんな事ないですよ? 見ても……好きなだけ見てもいいけど……今はね……」
「どうしてなのかなぁ?」
「えっと……! そう! 山を駆け登ったり下ったりしだから顔が誇りや土で汚れちゃって……こんな顔を大好きなチッチに見せたくないんですよ? でも、約束破ったら仇討ちの時まで見せて上げないですからね!」
そう言うとチッチは「分かった」と嬉しそうに声を弾ませ答えるとローブをアウラの上に掛けアウラと山羊の身体を繋いでいる縄を解き出した。
チッチが易とも簡単に結び目を解くと縄は、掛けられていた魔法が切れたかのようにアウラと山羊との戒めが解けていった。
アウラはローブの中から手を出すとチッチがハンカチを手渡してくれた。
少し身を動かしハンカチを手渡して貰おうとした時、掛けられていたローブが無情にも地面へと滑り落ちていった。
アウラの顔の正面には微笑みを浮かべたチッチの顔があった。
一瞬、表情を固まれせたが、慌ててハンカチで口元を拭った。
チッチの眼には、美少女アウラの凄まじい顔を映し出している。
チッチの微笑みが固まっている事に気付き、アウラは顔を拭うと顔を真っ赤に染め俯いた。
「み、見ました? し、仕方ないじゃないですか! あんなに飛び跳ねられたら……涎くらい出ちゃいます……拭けないし……」
美少女台無しの顔を恋心を抱き始めている少年の前に曝してしまったのだった。
チッチの微笑みは暫く固まっていた。
凍結状態から生還したチッチが、アウラを山羊の背中から降ろすとアウラを縛っているロープの結び目に手を掛けようとした時、一人の頭には黒い布を巻き顔全体を黒い三角布で覆い全身黒尽くめの服とズボン、漆黒のローブを纏った人物が、チッチの傍に音もなく近付き、まるで空気のように立っていた。
年の頃は、その風貌からは見て取れない。背格好はチッチと同じくらいか、やや小さいくらいの人物。
誰かが寄越した妨害工作員かも知れない、背中に緊張が走った。
チッチの縄を解きに掛ろうとしていた手が止まている事が分かる。
アウラはチッチの様子を窺った。
チッチが得物を突き付けられている様子はなかった。
それよりも当のチッチに慌てている様子は見られなかった……と言っても、何時もぼんやりしているチッチであるからして、余りあてにならない。
黒尽くめの人物が、チッチの耳元に口を寄せた。
チッチに慌てる様子はない。それどころか耳を近付けたようにも見えた。
「アウラ。縄解くの後。少し用が出来た」
「えっ! 少しってどれくらい?」
アウラは顔に焦りを見せ、小刻みに震えている。
嫌な汗が身体から噴き出してくる。
「う――ん。話は直ぐ済むけど、ついでに手続きの済ましてくるから、じゃぁ!」
「ちょと! チッチ――、先に縄解いてぇ! チッチてばぁ」
「直ぐ済むから待ってて」
そう言い残しチッチは黒尽くめの人物と手続き所のある方へと何やら会話をしながら、歩き出した。
アウラは、赤かった顔を青ざめさせた。
嫌な汗は何時の間にか、ひんやりした脂汗へと変わっていた。
「そんな……これじゃ……御手洗いに行けないよ……ズボン……失敗だったかなぁ? でも山越えだったし……チッチ、早く帰って来て……お願い間に合ってね」
アウラは身震いしながら天に祈った。
チッチが一刻も早く戻って来てくれる事を願って祈りを捧げるしか出来なかった。
チッチは黒尽くめの人物と歩きながら会話をしていた。
「お前! 報告が遅いから探してみれば、何を呑気に放牧レース何かに出場している」
黒尽くめの女性が、潰れたかすれた声でチッチに問い掛けた。
「アスカ・シリング。俺って、そんなにのんびりに見えるかなぁ? これでも急いでるんだけど、手続き済ませて次の街に陽が落ちる前には着けるように、本当に急いでんだぞ! 嘘じゃないぞ」
アスカが大きな溜息を吐いて肩を竦めた。
「はぁ……お前と言う奴は、まったく……わたしが言っている事はそう言う事じゃない。わたしが言いたいのはだな――」
アスカが文句を付けようとチッチに声を張り上げた時、黒尽くめの衣装に隠れた、たわわに実るやわらかい果実の谷間から蛇に四枚の透明な羽根を持った生物が顔を覗かせた。
「こら! リヴァ、人がいる時は出るな!」
アスカの言い付けで大人しく胸元にリヴァは潜り込み姿を隠した。
「心配性だなぁアスカは……あの情報ならランディーに報告は入れておいた」
「それで時期は?」
「恐らくレースが終わるまで奴らは動かない……が、レースが終われば、たぶん何らかの行動を起こすはずだ」
「冴える勘……てやつか? それとも確かな情報なのか?」
「不確かな情報だ。俺が引き金になるからなぁ――レースに勝てればの話だけどなぁ」
「お前が負ければ、行動を起こさないとでも?」
「そうかなぁ、俺が負ければ急いで行動に出る必要がなくなるって事だけど、俺は勝つからなぁ――このレース……いろいろ事情があって負けられない」
「相変わらず、へらへら笑っているくせに、自信たっぷりに言う奴だ……まぁ、そう言う奴は嫌いじゃない」
アスカが片方の唇の端を上げ僅かに笑みを見せた。
「そんで、旅すがら見た事を教えてくれないかなぁ? 東から来たんだろ? アスカ」
「まったく……お前には敵わないな。まぁ、見た事を教えてやるくらい構わない」
チッチの問いにアスカは苦笑で応えた。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
第三部 〜 炎のレース 〜 いよいよ開幕!
次回の更新もお楽しみに!