〜 鐘が鳴る 〜 第一部 第一話
☆第一話
◆鐘が鳴る
からん♪ からん――♪ からん♪ からん――♪。
「間にあったのかなぁ――?」
白銀の髪にブルーマールの映える少年が教室の扉を開き、飛び込んで来るなり間の抜けた声で呟いた。
「では、本日はここまで次回の授業は、雄蕊と雌蕊による自家受粉と他家受粉に関する豆知識とぉ――男と女のラブゲームの相互性、相対性について――」
やや横長の四角い教室には、扇状に広がる階段状に据えられた机と椅子が並んでいる。
生徒達が物静かに教壇に立つ人物の言葉に耳を傾けていた。
教卓の後ろには黒い板が張り付けられていて、その板の一部がやや灰色掛り汚れている。
「鐘も鳴ったばかりだし……間に合ったかなぁ?」
少年は、八面玲瓏の顔立ちに良く似合う碧眼が弓のように反れ微笑みを浮かべた。
「こほん! 本日の授業は終了」
教卓の前に立ち指揮棒を持った、縁なし眼鏡の四十半ばの男性が少年に授業の終了を告げた。
「あれ?」
「確かに鐘は鳴ったがね……あれは終業の鐘だ」
四十半ばの男性教師が縁なし眼鏡を親指と人差し指の間に摘まみ、ついっと持ち上げた。
教室は突然の乱入者に静まり帰っていた。
生徒たちの矢のような視線を弓のように反らした碧眼で返す少年の右眼には、包帯がぐるぐると乱暴に捲かれている。
一瞬の静まりが溶け教室がざわめき出した。
教室の入口から一番遠い窓際の一番後ろの席。
いわゆる特等席に少年の闖入に気付く風もなく物憂げに外をぼんやり眺めている少女がいた。
机に肘を立て小さな両の掌に桜色に染まる頬をのせ、細い桃色の髪を窓からやってくる風に泳がせ乱れる桃色髪を時折、手で押さえている。
紫水晶の瞳は瑞々しく潤ませ、窓の外に向けられていた。
「ねぇ、ねぇ……アウラ! ちょっと! ちょっとてばぁ」
金髪金眼の少女が振り向きアウラの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? ロザリア」
気の入らない声でアウラは答えた。
「新入生だって、あれ? 編入生かな? どっちだっていいか。この学園では珍しくもないし……、それより、ほら!」
ロザリアの顔は、にんまりと頬を吊り上げている。
「そうね。私もそうだったし……それがどうしたの?」
アウラはそういうと窓の外に視線を移し「はぁ――」と形の良い唇から溜息を漏らした。
「男の子よ! 新入生」
「そぉ――ぉ?」
「駄目だこりゃ……、これじゃお兄様も脈なしね……、アウラの想い人ってそんなに素敵なのかな? お兄様より……」
「……覗き魔」
アウラは、ぼそりと呟いた。
「はいっ!? 今何て?」
「へぇ? 何でもないよ……私何か言った?」
「覗き魔って」
「べべべ、別に覗き魔が好きとかじゃなくて……」
「そんな事聞いてないよ。あんたにそんな痛い性癖があるんだったら友達止めてるって」
「せ、性癖って……」
「で、アウラの想い人ってどんな人? お兄様より強くてかっこいいの?」
「ラ、ランディー様は……その……好意はあるの……でも、その憧れていうか……」
「で、どんな人?」
「な、内緒……」
「何処で出会ったの?」
「……内緒」
「アウラ? 顔真っ赤だよ」
アウラは慌てて両手で頬を隠した。
「ふぅ――ん。内緒ねぇ――。まあ、離れ離れになってもう一年だっけ? 何の音沙汰もないのにアウラも一途だね」
「……」
「アウラに言い寄って来る奴なんて山ほどいるって言うのにさぁ……その気になれば選り取り見取りだって言うのに……ずっと、その人を待ってる気なの?」
「……だ、だって、その人には夢があって、それは叶えてほしいから……」
「どんな夢見てるんだい? その罪な男はさぁ」
「……お、大きな船を手に入れて世界を周るんだって言ってた」
「はぁ? あんた……そんなに待つ気なの? その人の夢が叶う頃にはもういい歳になってるって」
「うっ……、でも、二人の使命と夢は交わってるって……他の誰もが築けない絆があるって、だから逃げないって言ったもん。戻ってくるって……だから必ず迎えに来るもん」
アウラは頬に一杯の空気を孕ませ一瞬、ロザリアを睨んだ。
「はいはい、アウラが一途なのは良く分かったから」
ロザリアがやれやれと肩を竦めた。
「じゃぁ、あの新入生にアプローチしてもいい? 私の結構好みなの」
ロザリアが少年の方に振り返った。
「す、好きにすれば」
アウラは頬を膨らませたまま窓の外に視線を戻した。
「諸君! 静かに! これから新入生の紹介をする」
教師が縁なし眼鏡を親指と人差し指の間に摘まみ、ついっと持ち上げた。
ざわめいていた教室に静寂が戻り、生徒達の視線が新入生の少年に集まり出した。
「それでは自己紹介をしたまえ」
教師の指が縁なし眼鏡を押し上げる。
アウラは、教師の声で窓に向けた視線を新入生へと移していた。
その視界に飛び込んで来たのは、決して忘れる事が出来ない顔。
陽の光を浴びると、ほのかにブルーが幻想的に浮かび上がる印象深い白銀にブールーマールの映える髪と何時も碧眼を弓のように反らしたやわらかい微笑み。
「包帯がなんだけど……なかなかの美形ね。私、あの子にアプローチするわ」
ロザリアが長い金髪を掻き上げた。
「だめ! 絶対だめっ!」
アウラの瞳に映った少年の姿。
間違いない。間違えるはずがない。
「えぇっと――。名前は――」
「覗き魔さん!」
アウラは思わず立ち上がり少年の下に走り出した。
――からん♪
アウラが机を押し退けた際、机にもたれ掛けられていた節くれた杖に括られた鐘の音色が軽い音を響かせた。
アウラは人眼も憚らず少年に飛び付き抱きついた。
「なに泣いてんだ? アウラ」
アウラは、懐かしい少年の胸を何度も叩いては顔を埋めた。
「だって……すごく逢いたかったんですよ」
静まっていた教室が再び俄かにざわめき始める。
「覗き魔なんだ……あいつ」
「そう言ったね。アウラ」
「アウラの着替えでも覗いたのか? それとも風呂場とか……まさか!」
「やめろ! やめるんだ! それ以上の妄想は危険だ!」
「……でも、アウラの奴、いきなり飛び掛っていって組み合ったまま、新入生の胸を何度も殴ってあんなにも泣いてんだ?」
「そりゃ――。よっぽど悔しい思いをしたんだろうさ」
「それ以上、我らのアウラたんで不浄の妄想を巡らすのは、やめろと言ってんだろうがぁぁぁ」
「お前が一番あぶねぇよ」
「なにぉぉぉ! あいつは、あいつは……俺だけの妄想エンジェルをぉぉおお――。直に拝んだんだぞ! あのにやけた眼で邪視したのだぞぉ! 例え神がお許しになっても、アウラたんが許していても、この俺がゆるさん!」
「誰が、お前だけの妄想エンジェルだ! アウラたんは俺の妄想メイドだ! 寝言は寝て言え、このやろう」
「ばかやろう。アウラたんは俺の妄想嫁だっうの! そりゃぁ毎晩、毎晩、あんな事もこんな事も……だな。あの控え目な胸で――痛えぇ、何しやがる」
教室は一部のアウラ崇拝者男子生徒の良からぬ妄想論が繰り広げられ修羅場と化していた。
妄想は暴走し留まる事を知らない。
こうなったら、怒り狂うドラゴンを素手で鎮めるのに等しい。
「諸君! 落ち着きたまえ! ここは教室だ。我々の恥ずかしい妄想を繰り広げる場ではない。こほん……全ての元凶は……あの男だ」
一人の生徒がそう言うと狂気の視線が少年に向けられた。
「アウラ? お前……なんだか馬鹿にされてるぞぉ?」
「な、何気に覗き魔さんも馬鹿にしてません? 私の胸……」
アウラは、アウラ崇拝論者たちの怒声に脅え少年にしがみ付き震えていた。
「アウラを馬鹿にする奴は俺が許さない。例え世界を敵に回しても、それが神様だろうが魔王であってもだ」
少年が懐かしい微笑みをアウラに向けた。
「の、覗き魔さん……そんな……ありがとう」
アウラは顔を赤らめ俯いた。
弓のように反れていた碧眼の眼が岩をも突き刺す程の眼光炯炯をアウラ崇拝論者に放った。
平然とアウラの前に立ちはだかる少年の凛とした姿に、半ば呆れて傍観していた他の生徒たちの視線をも集め出した。
――特に女子。
アウラの前に立ち、多勢を物ともせず亡者どもの視線からアウラを守るように立ちはだかり「アウラを馬鹿にする奴は俺が許さない。例え世界を敵に回しても、それが神様だろうが魔王であってもだ」なる、普段は耳がこそばゆくなるようなむず痒い歯の浮くような台詞でも、実際に言われてみれば嬉しい台詞を惜しげもなく口にして、鋭い眼差しで亡者どもを見据える姿は女子の視線をとろけさせた。
「貴様! 我らのアウラたんを……よ、よくも覗くという卑劣な行為をしてくれたものだな。羨ましい……いや、元へ、忌々しい」
「一つだけ言っておく」
少年は亡者どもを見据えたまま言った。
その眼光に亡者どもは無意識の内に後退りした。まるで見た事もない究極の魔物ドラゴンにでも睨まれているようだった。
「な、なな、何だよ……我々は、きみの脅しに屈服も従属も、え、選ばないぞ」
「脅しているつもりはない」
「……で、では、言ってみたまえ」
「アウラは着痩せする」
「「なっ!」」
白銀髪の少年に楯ついていた一人の少年が膝を折り床に着けた。
白銀髪の少年は、追い討ちを掛けるように捲し立てた。
「巨乳崇拝? 貧乳崇拝? 笑わせるなぁ――。真のおっぱい聖人の俺にはそんな壁など無い! 例え、アウラの胸が断崖絶壁であったとしても、抵抗に乏しい胸の起伏であろうと、真のおっぱい聖人は大きさで選びはしない! 俺は宣言する。形こそ美! 手触りこそ優! 美乳崇拝である事を! 俺は……ここに宣言する!」
少年は拳を硬く握りしめ、己自身に誓う様に一度胸にあてがってから天に向い衝き上げた。
「おぉぉぉおおおお――!」
男子生徒から地鳴りのような歓声が湧き上がった。
「“乳”在る故に我存在せり、我在るが故に“乳”存在す」
少年が更に拳を突き上げた。
「ちち神だ! ちち神が降臨し巨乳崇拝と貧乳崇拝の壁を取り除いたぞぉ――」
少年はその日からアウラ以外の者に“チッチ”と呼ばれる事になる。
アウラは、わなわなと震えていた。
机に戻り節くれた杖を手に持ち少年の前に立っている。
「どうかしたのか? アウラ。怖かったのか? でももう大丈夫だ。アウラの胸を馬鹿にする奴はもういないはず――」
「ばかぁ――」
からん♪ と小気味の良い鐘の音が少年の頭に落とした。
「痛えぇ」
アウラの形の良い唇が奴の名前を発しようとしている事が少年には分った。
「待てぇ、アウラ! その名は――」
一度、その名が呼ばれれば……。
少年の身体に異変が起きる。
「プ、プラムぅぅぅ――」
奴が来る……獣そのままに荒い息遣いで奴が来る。
窓の外から主の声を聞きつけた白と黒の矢が急速に距離を詰める。
窓際にいた男子生徒がその存在に気付くと引き上げ式に開く窓を持ち上げ窓を開いた。
「間一髪! 間に合った」
ガシャン! という凄まじい音を残し少年へに飛び掛かった。
「……」
少年の尻に毛並みの良い大きな尻尾が生えた事は言うまでもない。
からん♪ からん――♪ からん♪ からん――♪。
今、新たな物語が始まる始業の鐘が学園中に鳴り響いた。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
次回をお楽しみに!