〜 英雄に誓を 〜 第二部 第七話
☆第七話
◆チッチ、レース出場表明
アウラの一件以来、何事もなく時は流れ収穫祭を目前にして、シュベルクの宿は何処も祭りを見物に来た人でいっぱいになっている。
近隣の街や小さな村の旅籠も人で埋まり、教会も収穫祭に訪れた人々を受け入れ聖堂や孤児院など屋根のある所は勿論の事、広場も提供し簡易天幕が到る所に張られていた。
街の街道沿いや何も無い広野にも天幕が張られ、いよいよ始まる収穫祭の熱気に帯び出した街は一気に活気を上げていた。
今日は収穫祭の前々日、いよいよ明日からは前夜祭が始まる。
二日程、しっとりと雨が降ったり止んだり、ぐずついた天気が続いたが、本日は抜けるような青空が広がる青天に恵まれた。
「アウラ? 大丈夫なのかぁ」
陽の光を浴び白銀にブルーマールの映える少年が節くれた何時もの杖を支えに歩いてくる桃色髪の少女に声を掛けた。
「うん。大分いいですよ。痛みもそんなにないですし、もしかしたらチッチの看病が効いたのかも知れませんね」
「怪我したら、またしてやるからなぁ」
「遠慮しときます」
アウラは、顔を赤らめながらも微笑みを浮かべて、やんわりと断った。
ゆるりと流れる風が広野の牧草を揺らした。
その風の中を桃色の髪を時折、大きく持ち上げ遊んでいる。
アウラは乱れそうになる髪を時折、手で押さえ落ち着かせた。
チッチは屋敷の裏にある小高い陽の良く当たる場所にある盛り土の上に置かれた石の傍に寝そべると空を見上げている。
アウラは、その石の前にしゃがむと静かに瑞々しい紫水晶の瞳を瞼の奥に納めると胸の辺りで両手の平を組んだ。
「おはよ。プラム。ごめんね、なかなか来れなくて」
アウラはその後、祈りの言葉をプラムに捧げた。
「kano・of・raido。eihwaz・and・algiz・to・raido・teiwaz。raido・of・wunjo・gebo」
(旅の始めに守護と星の導きを。旅人に喜び満ちる旅の贈り物を)
暫くの黙祷の後、チッチの傍にアウラは一方向に脚を揃えて座った。
「レース出れるか?」
チッチが短な言葉でアウラに尋ねた。
「うん! 出るよ」
アウラは短く答えると言葉を続けた。
「今回のレースは私にとって、出れるか出れないかじゃないの。勝つか負けるかなの」
強い意志の籠った声でアウラは言った。
「そうか」
「……任せて! プラムの分も頑張って優勝して見せるから、それも総合優勝しちゃうんだから……プラムの為にも」
そう言うとアウラは眦に手をやり涙を拭い微笑んで見せた。
「チッチ……応援してくださいね」
「アウラ。……俺も出るから」
「えっ!? 今なんて言ったの?」
突然のチッチの言葉にアウラが声を上げた。
「レース、俺も出場する。エントリーも済ませてある」
「……全くレースに興味なさそうだったのに急にどうしたのです? もしかして……プラムの事があったから?」
「それもあるけど、違うかなぁ? ある画策を妨害するのが面白そうだからかなぁ」
「ある画策? シュベルクの事情を知って?」
「まぁ、そう言うところかなぁ」
「じゃぁ……チッチは味方? それとも……ライバルになるのかな? 別々にエントリーしたのなら」
「俺は何時もアウラの味方だ! 例の件は別としてだけど」
チッチの言葉に喜びと切なさ、寂しさを感じアウラの胸中に複雑な思いが巡った。
――例の件。
それは互いが仇同士であるかも知れないと言う事。
もしかしたら、何れ命の遣り取りをするかも知れない運命の悪戯。
アウラは俯きチッチに尋ねた。
「でも、このレースでは味方なんだよね? チッチがプラムの代わりをしてくれるの?」
「だから……俺は何時もアウラの味方だと言ったろ。それに俺はプラムの代わりに出るんじゃない。俺自身がレースの参加者だ」
チッチは何時もと変わらない様子で空を見上げている。
「レース……勝てるのかなぁ……、私一人で……プラムがいないのに……」
アウラは、拭ったばかりの涙が再び潤み出してきているの事を感じた。
「二人で勝つんだ」
「それって、どっちが勝ってもシュベルクの件には余り影響ないって事? それくらい……私にだって分かりますよ……分かるけど……」
がっくりと肩を落としてアウラは下を向いた。
「エントリー……、アウラの名前を取り下げ、俺の名前で出して来て貰った。山羊飼いとしてレースに出る」
「えっ! 私のエントリー外しちゃったの? それじゃ私、レース出れないじゃないですか!」
「言ったろ? 二人で勝つんだって」
「それどう言う……! 分かった私を牧畜犬や馬の代わりに私を補助として登録したのね」
「そう言う事だ。はい! これ、プレゼント」
碧眼の瞳をこれでもかと言う程、反らしたチッチが麦袋の半分くらいの大きさの茶色い布袋をアウラに手渡した。
「……? 何、この布袋……お見舞いの代わりにプレゼントくれるの?」
突然のプレゼントに戸惑いながらもアウラは嬉しいと思った。
――チッチからの初めての贈り物だ。
アウラは布袋を大事そうに胸元に抱え込んだ。
「ありがと……チッチ」
やわらかい感触と硬い感触を布袋の中に感じ取れる。洋服か何かだろうとアウラは思った。
「開けていい?」
満面の笑みを浮かべてアウラが尋ねた。
やわらかい感触と硬い感触から肩の部分の布地を型で整えた見栄えのするドレスか何かかと予想した。
「恥ずかしいから、部屋で一人で開けてくれ、開ければ分かる」
「うれしい……大切にするね」
アウラは幼い頃に初めて、母に買って貰った人形のように大事そうに茶色の布袋を抱き締めた。
「よし! 頑張るぞ! レース絶対勝とうね。チッチ」
アウラは立ち上がり、チッチがずっと見ている空を見上げた。
「ねぇ、チッチ? 風を読んでるの?」
チッチが軽く頷いた。
「天気……いいね」
雲一つ無い、遠い青い空を見上げてアウラが言った。
「いい眺めだなぁ――」
「いい眺めですね」
アウラは相槌を打った。
「苺」
「イチゴ?」
不思議そうな顔をしてアウラはチッチを見下ろした。
チッチを見下ろして、はたと気付く。
やわらかい風に淡い桃色のワンピースの裾が時折、風邪に煽られ大きく持ち上げられている。
アウラの顔は急激に赤みを帯びた。
「チ、チッチ! 見ましたね――!」
「見たんじゃない。見えたんだぞぉ」
「プラム!」
アウラは怒りながら、無意識にプラムの名を呼んだ。
もう、その名を呼んでもチッチの尻に尻尾は生えなかった。
急激に悲しみがアウラの胸を襲い苦しくて切なくて寂しかった。
チッチも尻の痛みの代わりに胸の痛みと寂しさを感じていた。
「このレース絶対勝ってシュベルクの買収を阻止する……ここには英雄が眠っているからなぁ」
チッチが強い口調で決意を述べた。
「……正直、シュベルクの買収までは阻止できないと思う……」
アウラはプラムの墓の方を見て呟いた。
「ごめんね……、でも絶対勝つからね」
アウラも強い口調で意志を表した。
「あっ! 苺」
「もう――! チッチ!」
「大丈夫だ。レースもシュベルクの街も……プラムの墓もみんな守る。そして、アウラもだ」
強く鋭い視線を放っている時のチッチの姿は、かっこいい。
アウラの控え目な胸が、ばくんと心臓が飛び出すかと思う程、大きく跳ねた。
一瞬、強い風が小高い丘を駆け抜けた。
「きゃっ!」
不意を衝いて吹いた突風が、いっそう大きくスカートの裾が捲って去っていった。
アウラは慌てて暴れる裾を抑え込んだ。
「苺パ――痛い、痛い」
からん♪ からん♪ からん♪
数回の鐘の音がチッチの顔面を襲った。
「痛いって!」
「こら! チッチ!」
こんなに何度も見られる事になるなら、もうちょっと大人っぽい下着を着けてくれば良かった、とアウラは思った。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
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