〜 英雄に誓を 〜 第二部 第六話
☆第六話
◆チッチの介抱
窓から差し込むやわらかな日差しが、幾分か部屋の空気を暖める。
初夏と言っても山脈に近く標高も高めの場所にあるシュベルクの街は学園がある王都より涼しく過ごし易い。
何時の間にかベッドに潜り込んでいたチッチが、おもむろにベッドから出ると薄いレースのカーテンが遮っている大窓の方へと歩き出した。
「ちょ!……痛ぁ、何を! それにチッチ……裸! 何か着るかせめて腰に何か捲いてください!」
「俺……小さい頃から……寝る時……裸だから気にしなくていい」
「わ、わわ、私が気にします」
寝ぼけながら、ふらふら歩くチッチの姿に視線をやった。
アウラは熟れた林檎のように赤らんだ顔を両手で覆った。
「何処行くの? きゃっ! チッチ振り向かないでください……」
両手の平の隙間からチッチを覗いては指を閉じ、またちらっと覗いては顔を赤らめる。
以前、北の神殿に向かう途中の宿で雷鳴轟く雷光の中でチッチの裸を見てしまったが、あの日から約一年強の時が経ち、一目で分かる程、チッチの身体は無駄のない筋肉が盛り上がり、まだ線の細かった身体は一回り大きくなっていた。
アウラは、片手を顔から離し身体を覆っている毛布を、ちょっとだけ摘んで隠れた部分をそっと覗いて直ぐに戻した。
自分は……然程、成長が見られないような気がして首を横に振り思い直す。
私だって成長している……はず! ……だもん! きっと、と思い込んでいるとチッチの声が飛び込んできた。
「窓を開けて部屋に風を入れる……」
「暑いの?」
「うん……寝苦しいから、ぐっすり眠れない」
相変わらず寝ぼけた声でチッチが答えた。
「もう朝だよ? チッチ……? それより何時どうやって部屋に忍び込んだの? 屋敷にはランディー様の騎士団さんたちが警備にあたって下さっている中を……」
アウラは時折、指の間からチッチを覗き見ながら聞いてみた。
チッチが大窓を適度に開き固定するとアウラの方に振り返り答えた。
「俺、あいつらから半年以上逃げ回ったんだぞぉ? 警備の隙が出来易い頃合いを見計らってこっそり、ひっそり忍び込むなんて事、俺にしてみれば容易い事かなぁ」
チッチが碧眼の左眼を一杯に反らしながら、腰に両手を置き胸を反らして、アウラに微笑み掛けた。
――無論、全裸。即ち生まれたままの時より立派に成長した姿で。
アウラはチッチの姿を見て慌てて毛布を頭から被った。
「きゃっ! 急に振り向かないで、て言ってるのにチッチのばかぁ――!」
「お嬢様の部屋から悲鳴が聞こえたぞ! 何者かに侵入されたのか」
アウラの悲鳴を聞いて部屋の外が俄かにざわめき出した。そのざわめきを瞬時に聞き付けた優秀な名も無き赤の騎士団たちが得物を構え部屋の周囲へと集まり出した。
扉の両脇で警備していた騎士が声を上げると悲鳴を聞いた騎士によって直ぐに数回部屋の扉が叩かれた。
アウラは直ぐに返事を返さなかった。
全裸のチッチが部屋の中にいるからだ。
アウラは、毛布の中からチッチに向けて手招きをする。チッチはそれを見てベッドの方に歩み寄った。
「どうしたのかなぁ? なんか外が騒がしいみたいだ」
呑気な事を飄々と口走っているチッチにアウラは言った。
「私が悲鳴を上げちゃったから警備の人たちが騒いです」
「そうなの?」
チッチがと寝ぼけた事を言っていると、再び扉が叩かれ騎士や集まった使用人たちが、いっそうざわめき、慌しく部屋のノッカーを叩き出した。
「お譲様! どうなされたのですか?」
次に扉の取っ手を乱暴に回す音が聞こえ、トリシャの慌てた声が聞こえてくる。
「私、お部屋の予備の鍵を取って来ます」
その声を追うようにテラスの下からも騎士たちの声が聞こえた。
「窓が開いてるぞ! 誰か縄梯子を持って来い」
そうこうしている内に鍵を持って来たのか、鍵穴に鍵を入れ回している金属が擦れ合うような音を扉が立て出した。
「チッチ! こっちに! 早く」
アウラはチッチの手を掴むとベッドに引き込み、毛布を被せた。
「じっとしてて」
紙一重の差で扉が開き、トリシャを始め騎士と他の使用人が部屋の中に飛び込んだ。
ややあって、テラスにも騎士が登りつき部屋の様子を慎重に窺がっている。
アウラは胸の辺りを毛布で隠し上体を起こして微笑んで見せた。
「すいません……怖い夢を見て……自分の悲鳴で眼を覚ましたら外が大騒ぎになってしまっていましたので、驚いてしまい悲鳴を上げて、おろおろしてしまったのです」
アウラがそう言うとその場の全員が、ほっと溜息を吐き胸を撫で下ろした。
「しかし、窓が開いておりますが」
目敏い騎士が抱いている違和感を尋ねた。
「眼を覚ましましたら、少し寝苦しかったものですから空気の入れ替えを……」
アウラは俯いて恥ずかしそうに言葉を続けた。
「寝汗を掻きましたので夜着を着替えようとしたら……騒ぎになってしまって……その……えっと……」
恥ずかしがるアウラの姿にトリシャが気づき周りの男たちを睨みつけた。
「うん! 幸い何もないようだし……男どもはさっさと出てく! さあさあ、出てった出てった」
部屋に飛び込んで来た騎士、テラスに登りついた騎士、それと男の使用人はトリシャに捲し立てられ、そそくさと部屋から出ていった。
「お譲様。御召し替えをなさるなら呼び鈴を鳴らしてき出されば、直ぐに参じて手伝いますものを……理由はともあれ、お譲様は貴族のお方です。下僕を従える貴族の方は、皆自分で御召し替えをなさいません。お譲様はそれを嫌がり、嫌いますのでそこまでは言いませんが、お身体の事もありますから、このような時くらいは手伝わせてくださいませ」
トリシャが心配そうにアウラを見詰めた。
「ごめんなさい……トリシャ。ありがとう、でも随分痛みもやわらいで来ていますから、着替えくらいは一人で大丈夫ですよ。本当にありがとう」
アウラは微笑みでトリシャに感謝の意を伝えた。
トリシャはアウラに一礼をして部屋を出て行き扉を静かに閉めた。
静けさの戻った部屋にチッチが開けた大窓から心地良い風が吹き込んで来る。
「はぁ――、……もう出て来てもいいですよ」
アウラは、かわいらしい溜息を形の良い薄い小ぶりの唇から漏らした。
「痛ぁ――」
次いでかわいらしい顔を歪めると無理をしていた身体に痛みが走り、そのままベッドに倒れ込むと細い両腕で華奢な身体を抱き締め、痛みに耐えた。
「傷、痛むのか?」
チッチが毛布の中から、心配そうに顔を覗かせアウラに尋ねた。
「少しだけ……。チッチ、ありがと、心配してくれているのですね」
「じゃぁ、俺が治してやる。アウラを傷付いて苦しむ姿は見たくない。早く元気なアウラに戻って欲しいんだ」
「チッチが? ……でもどうやって? チッチは医者でもないし、治癒の魔術も使えないのでしょ?」
アウラは苦笑を浮かべチッチに返したが、痛みからか嫌な汗が噴き出させて痛みに耐えていると身体に、ぞくっとする感覚を覚えた。
「ひゃう! くすぐったい! くすぐったいですってばぁ……チッチ? 聞いてる?」
苦痛に歪めたアウラの顔が驚きの顔に変わった。
チッチがアウラの身体に浮かんだ打撲の鬱血で黒ずんでいる患部をペロペロ舐めている。
「ちょ! チッチ何を……あっ、やん……そんな事……こ、これって介抱なの?」
チッチが毛布の中に潜り込み打撲で欝血の跡が残っている所に舌を這わせた。
「あっ、ん……チッ……チ、やぁだ、くすぐっ……た、あっ……くすぐったいてぇばぁ――や、めて? ね……あっ! だめっ、そこ、ちがぅ……だめぇですってばぁ……」
アウラは左手でチッチの頭を押さえると右手を唇の辺りに持っていき、薄い唇に細い指を宛がい、薄く開いた唇から漏れ出す声を必至で押し殺した。
「昔、俺が怪我や病気で熱にうなされた時、必ず母さんがこうして介抱してくれたんだ。早ければ一日で治った事もあるんだぞぉ」
毛布の中から、くぐもったチッチの声が聞こえる。
「でもそれは……あん、チッチの回復力が、早いだけですってばぁ……チッチは人間ですけど……純鱗の恩恵なのですよ……それにチッチは人間なのですから……あん、やっっ! 他の動物の介抱じゃなくて……も、くすぐたいてばぁ……チッチ? お願い止めて……あっ! でないと私……もう……、らめぇ……ああっ! くすぐったいよぉチッチ……、らめぇ――! きゃぁっ! ……こ、これ以上されたら……私、……私、ヘンになっちゃうよぉ――、チッチぃ――」
アウラは、必死に唇から漏れだす甘い吐息を声を抑えた。
部屋の外で控えているだろう、騎士や侍女たちに聞こえれば、今度こそ大騒ぎになるに違いない。
チッチが毛布から出るとアウラに微笑み掛けた。
「何が? どう少しは楽になった? アウラ」
「はぁはぁはぁ……チ……ッチの……はぁはぁ、ばかぁ」
「うん? アウラ顔、真っ赤だぞ? 熱でもあるのか?」
「ちがぅ……チッチのせいだよ?」
「おかしいなぁ? 母さんによくやって貰ってたけど良く効いたのになぁ? ……じゃぁ、もう一回やり直すかぁ?」
「だ、だめぇ――!」
アウラは必死に声を抑えながらチッチを制止した。
チッチは人間に育てられたのではない。彼の育ての親はドラゴンだ。
プラムも怪我をすると傷口を舐めていたし他の動物も生まれたばかりの子供を舐めている事をアウラは思い出した。
「もう! チッチは人間なんだからね!」
アウラは、赤く上気した頬を膨らませチッチを睨んだ。
「嫌だったか? 俺はこの方法しか介抱の仕方を良く知らないから……」
「そ……その、別に、嫌とかそう言う訳じゃないですけど……」
「じゃあ! 今夜もしてやる。絶対早く治るから、絶対!」
「だからね? チッチ? そうじゃなくてね? 分かるよね?」
「やっぱり、嫌なんだ。俺は傷付いたアウラを見ていられない。アウラの怪我を早く治してやりたくて、母さんが俺にしてくれたように介抱を……」
しょんぼり俯き肩を落としているチッチを見てアウラは思わず抱き締めた。
「ありがとね。チッチ……うれしいですよ」
アウラは暫くチッチを抱き締めていた。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
次回の更新もお楽しみに!