〜 英雄に誓を 〜 第二部 第五話
☆第五話
◆コインの裏側
磨きに磨かれた大理石の壁と床に幾何学模様の絨毯が引かれた大きな食堂の中、長テーブルが置かれている敷かれた赤いクロスの卓上には銀の器に盛られた豪華な料理が所狭しと並べられ、等間隔に燭台が置かれ蝋燭の淡い灯りが揺らめいている。
天井からは何本もの蝋燭が立てられた、豪華なシャンデリアが室内を昼間の室外とは違う明るさで辺りを照らし出していた。
「きみの話から察するに今度、アウラが遭った事故は何者かに狙われたと言うのかね?」
フラングは、自慢の長い顎鬚を撫でながらチッチに眼をやった。
「う――ん。出来れば人払いをして貰えるといいんだけど……それとアウラの部屋の前に護衛の衛士を人払いしている間だけでも付けておいてくれないかなぁ」
チッチがそう言うとフラングは、傍に控えていたベルモンドに伝えると彼は主に一礼し何やら合図を送った。
するとベルモンドを先頭に食堂にいた従者やメイドたちが速やかに退室していった。
「お前はいるんだなぁ――、ランディー」
「勿論だ。アウラの護衛は我々名も無き赤の騎士団が責任を持って行なっている。屋敷の周りもだ。蟻一匹たりとも入れさせはしないさ。安心したまえ」
ランディーが珍しく、やわらかな微笑みをチッチに向けた。
「というか……なんでシュベルクいるんだ? ランディー」
「フラング様と共にシュベルクに起こしになられる国王の護衛とそれに先だって街の警備に駆り出されたのでね。フラング様とは、ここに来る途中偶然お会いしたのだがね。フラング様からアウラの事故の話を聞いて駆けつけて来たのだよ」
「で、何故、きみはアウラが狙われたと思うのかね?」
ランディーの笑顔は消え、眉を潜め鋭い眼差しをチッチに向けた。
「まぁ、ちょっと気になる事があったから事故の事について調べてみた。じいちゃん、最近この屋敷に新しい人が入ってるようだけど」
フラングが首を捻った。
「いや、雇っていないが……きみが以前、この屋敷に滞在していたのは三日間程、全ての使用人たちの顔を覚えてはいまい。何かの勘違いじゃないかね?」
「今日、プラムに別れを告げに行った時、俺の知らない顔の青年が家畜舎にいて俺に話し掛けて来た者がいた。前に俺の山羊を預かって貰ってたから家畜舎の人たちの顔は覚えてる。人数もそんなに多くいなかったし忘れてないと思うけどなぁ」
「その人物の特徴は?」
「前歯が一本抜けていたかなぁ――」
チッチが顎に手を当てると少し俯いて答えた。
「ああ、彼は、トマだ。彼の兄が家畜舎で家畜の世話をしてくれている良く働く高青年だ。トマはシュベルクでも一・二を争う、羊毛を主に扱うバルシオ商会に雇われて屋敷の羊たちの様子をよく見に来ている。それに休みになると兄のジーンによく会いに来て屋敷の者たちは、皆彼の事をよく知っているが」
「そいつが、ちょっと引っ掛る事を言ってたんだ。シュベルクの買収の噂とアウラが放牧レースに出場する事が困るような感じに見えた」
「どういう事だね? それは……」
普段は好好爺のフラングが珍しく声を荒げて腰掛けていた椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「そんなに、興奮しなくても……歳なんだから心臓に悪い。ただの思い過ごしなら良いけど、もしかすると内通者かも知れないと思っただけだ。それにアウラに向かって来たという二頭立ての荷馬車も気になる」
「それで人払いを?」
腕組みをしたまま、静かに話を聞いていたランディーが口を開いた。
「まぁ、推測だから間違っていたら、他の使用人たちにどんな誤解を招き騒ぎになるか分からない。こちらの調査にも影響が出るしなぁ、壊れた荷場車見たけど、二頭立てで引くような大きさじゃなかったし荷物も思ってたより散乱した痕跡はなかった」
チッチはガラスコップの水を飲み干すと言葉を続けた。
「シュベルクの買収に噂されている額。イリオン金貨で三千万枚……個人が集められる額だと思うか? ランディー」
「俺は安い年金を貰ってるしがない騎士さ。そんな大金想像もつかないね」
ランディーが、お手上げというように肩を竦める。
フラングが難しい顔をして暫く考えに耽っていた顔を上げた。
「集まるかも知れない……いや、それでも足りない……収穫祭の際、王国中から人が集まる。各地の大貴族に富豪、如いては隣国からもメインの放牧レースを毎年見に訪れる。お陰でシュベルクの経済は小さな街ながら裕福だが、それだけこぞって人が集まるのには訳がある……」
「成る程ね」
ランディーが頷いた。
「他の競技も叱りだが、メインの放牧レースは妨害容認の過酷なレースだ。早馬が戻り状況が伝わるだけで熱狂的に盛り上がる。その裏には――」
チッチがフラングの言葉を遮った。
「賭けレース」
「その通り、危険で熱狂的な放牧レース。そのレートは破格、オッズも賭け金も普通じゃない」
フラングが自慢の顎鬚を撫でた。
「で、今回シュベルクでレースの元締めをしている者は誰なんです?」
ランディーがフラングに尋ねた。
「バルシオ商会だと聞いているが」
「では、シュベルク買収を企んでいるのはバルシオ商会……だと?」
「なんとなく見えて来たなぁ……何時も一番儲けるのは元締めだろ? アウラはシュベルクでも優秀な羊飼いだ。アウラは地元に人気があるしレースに出れば、人気が割れる」
「バルシオが用意した放牧者が一番人気を取りオッズが下がれば払い戻しの数は多くなるが、額は少なくて済む。万が一、道楽で富豪が大金を掛け大穴狙いの高額配当が出れば大損だからな。普通ならそれでも元締めが有利だが、動く賭け金が大き過ぎて、このレースは何が起こるか分からない。バルシオの息が掛った放牧者が何人出るかも分からない……それもピンからキリまで様々な放牧者が出場するなら、妨害容認のこのレース。好きなように展開を操れる」
ランディーがチッチの推測を引き取り言った。
「出来レースだなぁ」
「それでアウラを……この老いぼれが隠居する小さな街を守る為に……酷い目に……」
フラングが唇を強く噛みしめた。
「で、どうするつもりかね? きみは……アウラがあの様子では出場出来るかどうか分からないぞ」
「アウラはレースに出るさ」
「信頼できるパートナーの牧羊犬を失ったんだ。出場しても勝てる見込みは無に等しい」
「出るさ。アウラは……プラムの代わりは俺がする……というかアウラにプラムの代わりをして貰う! 獣の耳が付いたかチューシャと衣装着て貰うんだ! このレース……断然萌えて来たぁ――」
チッチは拳を握り締め、腰の辺りで軽く振り意気込みを表した。
「意味が違ってるぞ。山羊飼い。お前がアウラに付くのは心強いが、状況は何も変わらん」
「変わるさ。縁起が悪いと忌み嫌われる俺は山羊飼いだ」
「……なるほどね。これで俺たちのする事が決まったな」
ランディーが唇の両端を吊り上げた。
屋敷の周りとアウラの部屋の前、テラス下の庭には、屋敷の衛士たちと共に隣国名でその有を轟かせる名も無き赤の騎士団が厳重な警備をしいていた。
夕食前、フラングが使いの者を走らせ正式にチッチとアウラの組み合わせでレースにエントリーする手続きを済ませた。
アウラと屋敷を護衛するのは名も無き赤の騎士団。
レース前の妨害を防ぐには、これ以上ない心強い護衛隊だ。
何事もなく夜は更けて行き、朝日が空を白ませ始めた。
明け方の静けさに包まれた空気を揺らす小鳥たちが囀る歌声がベランダの大きな窓の外からやわらかい日差しと共に部屋の中に入ってくる。
アウラはやさしい日差しと小鳥たちの歌声に眼を覚ました。
昨日より幾分か身体が動く。
アウラはゆっくりと身体を起こすが、痛みは容赦なくアウラの華奢な身体を奔り抜けた。
「痛っ……」
アウラは痛みに己の身体を両腕で抱え込み気付いた。
――はだか? 確かに夜着は着ていたはずなのに……。
アウラは下半身に掛っている毛布を恐る恐るゆっくり捲り上げてみた。
「はぁ――」
夜着は身に着けていないものの、かろうじて下着は履いていた。
アウラの世話をしてくれてくれている。トリシャか、他の侍女が汗を拭いてくれたのかと思うが、夜着を脱がしたままにしておくはずはない。
アウラの中に疑問が湧気あがったが、痛みに耐え兼ね再び横になるとべッドの弾力に違和感を感じた。
人らしき感覚をアウラの腕が感じ取った。
女の人に触れた時とは違う硬くて、ごつごつとした感触をアウラの細くやわらかい腕に感じた。
毛布を引き剥がすと広いベッドの端にチッチが薄い寝息をた立て気持ちよさげに眠り込んでいた。
良く見るとチッチは何も着衣を身に纏っていない。
アウラは慌てて毛布を戻した。
――なに? 今のはきっと何かの見間違えよね?
アウラはもう一度毛布を捲り上げ確認してみる。
「アウラ……おはよう」
毛布の中で眠り眼を擦りながら、くぐもった声で朝の挨拶を述べるチッチが身体を起こした。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
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