〜 英雄に誓を 〜 第二部 第四話
☆第四話
◆またね。プラム
天蓋付きの白いシーツが敷かれたふかふかのベッドの上で毛布に包り声を殺して啜り泣いているアウラの耳に部屋のノッカーを叩く音が聞こえた。
アウラは、涙で泣き腫らした眼とくちゃくちゃになっている顔を手の平と甲で擦り程々に体を整え返事を返した。
「ごめんなさい……食事、喉に通らなくて……折角作ってくれたのに……本当にごめんなさい……今は一人でいたいの」
アウラの弱々しい鈴の音の消えいるような声が聞こえなかったのか、再び扉が叩かれた。
「……ごめんなさい。そっとしておいてほしいの……もう少しだけ」
アウラは、そう言って毛布の中に潜り込み、痛む身体を丸めた。
「じゃあ、ここに置いてあるパン粥、食ってもいいかぁ――」
聞き覚えのある間の抜けた声が扉の向こう側からアウラの耳に届いた。
――チッチ?
「う――ん。さっき茶菓子をたらふく食べたから、これはプラムに持っていってやろう」
「プラム! プラムは無事なの? よかった……」
プラムは、死んだと聞いていた。
しかし、アウラは心の何処かで認めていなかったプラムが自分を置いて逝く訳はないと……。
アウラは、全身に走る重たい焼けるような痛みを堪え、べッドから這い出るとベッドの脇に立て掛けられていた何時も持っている節くれた杖で身体を支えながら、痛む身体を引きずるように扉へと歩き出した。
動く度に全身に襲い掛る痛みに耐えながら、ゆっくりと進んだ。
からん♪――からん♪――、軽い音色を響かせた鐘の音とアウラが床に倒れる音と積み上げた物が崩れたような音が部屋の外まで響いた。
アウラが床に倒れた時、バキッとほぼ同時に扉はバキッと破壊音を立てに開いた。
「チッチ……」
アウラは突然の事に紫水晶の瞳を点にした。
「あっ! 今回は鍵をこっそり開錠してないぞ」
碧眼の瞳が弓のよう反らし微笑みを浮かべている。
「……鍵ごと……壊したの?」
チッチが顎に右手をあてがい首を傾け何かを考えている仕草を取っている。
「う――ん。なんて言うかなぁ、鍵、壊れてたみたいだなぁ」
チッチの言葉にアウラは暫し茫然とした。
「そんなはずないじゃないですか!」
「なんだ。思ってたより元気そうじゃないか。アウラ」
アウラの隣部屋に控えていた侍女が、アウラの部屋から聞こえた破壊音を聞き付け駆け着けた。
「扉が……、誰かぁ――お譲様が――」
チッチが茫然と立ち尽くしている。
侍女の声を聞き付けた他の者たちが続々と集まり始めた。
「お譲様! 御無事で。こいつを取り押さえろ!」
男の使用人がそう叫ぶと、箒を持っていた侍女はそれを構え、ある者は敷石を磨くモップを構え、またある者は木製のバケツを構えてチッチを取り囲んだ。
長槍や剣を腕一杯に抱えて別の使用人が他の者たちに持って来た得物を手渡した。
「くそ! 一度ならず二度までもお譲様を狙うとは許せん。それ程、お譲様がレースに出場する事が困るのか!」
集まった内の誰かが、そう言って周りの使用人を煽りけし掛けた。
――声色を変えてはいるが、聞き覚えのある声。
チッチは変わらず笑みを浮かべていたが、僅かに唇の両端を吊り上げた。
「待ってください。皆さん。チッチは……その方は私の学園のお友達ですわ。どうか、そのように……」
「お譲様。本当ですか? このような弊衣破帽の輩、到底お嬢様のお知り合いとは思えません」
「本当です。その方は学園の友人です。ですから、そのように……」
アウラは、傍に駆け寄ってきた侍女に身体を支えられながら、苦しそうに絞り出した声でそう伝えた。
「しかし……扉が」
使用人たちは頑丈な蝶番が捩じ切れ、何かで抉じ開けられたように歪む錠前の部分を眼を丸くしながら、白銀の髪をした少年と見ていた。
少年の手には、壊れた扉の取っ手がしっかりと握られていた。
家畜塔の前に桜色の髪を麻布で乱暴に括っ纏めた女性が立っている。
年の頃は、二十代後半から三十代前半に見える……その実、ゆうに御歳六百歳を超えている。
「やれやれ、あのガキ突然、呼び出しやがったから何事かと思えば……魔法陣を張れだぁ、まったく……こんな小用でわたしを呼び出しすんじゃないさね。角笛を渡したのは失敗だったねぇ」
「まぁ、そお言うな。ソル、小僧なりに人の感情というものが生まれて来ているのだろう。さっさと片付けて去るぞ。屋敷の者に見つかると厄介な事になる」
鋭い犬歯を避けた頬から覗かせ、くぐもった声で風狼が言った。
「ま、まあ、あんたがそう言うなら……やってもいいけどねぇ」
ソルシエールは顔を赤らめ、そう言うとプラムの亡骸が横たえられた編み籠の側面に魔法陣を描き始めた。
「まぁ、簡単な結界いだけど、外側から接触する空気や雑菌を防ぐから、これで少しは腐食の速度も抑えられるだろうさね」
「それでは我らは消えるとしよう。小僧がこっちに向かっている」
風狼がよく利く鼻を、ひくつかせた。
「ああ、そうするとしようかねぇ」
ソルシエールと風狼は旋毛風を残し姿を消した。
チッチが無理やり開いた扉の修復に慌ただしく、小間使いと侍女は動き回っていた。
まだ打撲の痛みで身体を上手く動かせないでいるアウラにチッチが手を差し伸べた。
アウラはその手を掴んで、よろよろと立ち上がりチッチに寄り掛った。
「ねぇ、チッチ……プラムは生きてるの?」
チッチが静かに首を振った。
「でも! さっき粥をプラムに持って行くって」
チッチが静かに口を開いた。
「アウラ。お前何時までプラムを一人ぼっちにしておくつもりなんだ?」
「私だってプラムの傍に行きたいよ……ふぇ……」
紫水晶の瞳が、うるうると湿り出し形の良い小ぶりの唇からすすり泣く声が漏れ出した。
「じゃぁ、行かなくちゃなぁ」
「でも、ひくっ……私、満足に歩く事も出来ないんだもん」
アウラは捨てられた仔猫のような瞳でチッチを見つめた。
「車椅子でも御用意致しましょうか?」
アウラを傍で支えていた侍女が二人に尋ねた。
チッチが無言で手の平を侍女の前に突き出し拒否の意を表した。
「自分の脚で歩いて行け、アウラ。プラムが守ったお前の身体を使って行ってやれ、プラムはお前を待っている。肩は貸してやる自分の脚で英雄の所まで行くんだ」
チッチの碧眼は何時ものように笑っていない。
あの傭兵との一戦の時のように……。
アウラは、こくりと頷くとかわいらしい顔を苦痛で歪め痛みが奔る身体を引きずるように前に進めた。
チッチが肩で支えてはいるが、支える腕に殆ど力を入れているようには感じなかった。
何時もなら扉を開けて部屋を出ると直ぐに階段まで辿り着けるというのに、その距離が途方もなく遠くに感じた。
息を切らしながら、やっとの思いで階段半ばの踊り場まで辿り着いた時、アウラは遂に床に膝を着いた。
何度も立ち上がろうとして尻もちを着いては、起き上がろうとしてまた尻もちを着く。
アウラはチッチを潤んだ瞳で見上げた先程の捨てられた仔猫のような瞳をして。
チッチは腰を落としアウラの肩に自分の肩を掛け直しアウラを立たせたが、アウラの瞳は変わる事無くチッチの碧眼を直視していた。
やはり、階段を降りるのはきつい。
チッチも限界だろうと当りを付け、アウラに背中を向け差し出した。
アウラは、周りを見渡し人影がない事を確認するとチッチの背中を細い指で突いた。
「うんん? どうしたんだ早く乗れ、おぶってやるから」
チッチがアウラの紫水晶の瞳を見た。
アウラは軽く俯き恥ずかしそうにチッチに言った。
「抱っこ」
「まぁ、いいか。そんなに違いはない……はっ!」
チッチが重要な事に気付き声を上げた。
「どうかしたの?」
「やっぱり、おぶっていく事にする」
「抱っこ」
「桃……桃二つ……背中で感じる感触……が……」
チッチが蚊の鳴く程の声で呟いた。
「何か言った? 早く! 抱っこ……いやぁ? なの?」
甘えた声でアウラが尋ねる。
「嫌なの? それとも何かあるの?」
「あるけど……な、なんでもない」
そう言ってチッチはアウラを抱え上げた。
アウラは、細い腕がチッチの首にしっかり回し肩口に小さな頭を乗せた。
チッチの腕がアウラの背中から脇へと回り、膝裏を通してアウラの身体を持ち上げた。
アウラは頬を遠慮がちに赤く染めた。
家畜舎のプラムが眠っている編み籠が置かれた場所に着くと、もう二度と動く事のないプラムの変わり果てた姿を見てアウラはチッチの胸の中で泣きじゃくった。チッチに抱かれたまま、首にしっかり細い腕を回して縋りつくように泣きじゃくった。
「プラムぅ、プラムぅ、プラムぅぅぅ」
何度も何度もプラムの名前を繰り返し繰り返し呼んでアウラは泣きじゃくった。
決してプラムの鳴き声を聞く事は出来ない事を知りながら、それでもアウラはプラムの名前を呼び続けた。
アウラが少し落ち着きを取り戻しつつある事を察して、チッチはアウラの身体を右腕一本に乗せ、プラムの眠っている編み籠を片手に持ち屋敷の裏にある陽の良く当たる小高い見晴らしの良い場所を捜し出し地面に穴を掘り始めた。
アウラは冷たくなったプラムの身体をやさしく撫でていて気付いた。
編み籠に魔法陣が描かれ弱い結界が張られている事を知った。
「魔法陣……いったい誰が?」
「ソルシエールだ。アウラがプラムの姿を見れるように俺が頼んだ。もう初夏だ。お前が回復する頃にはプラムの姿を見る事が出来ないだろ?」
「それで腐敗を防ぐために、わざわざソルシエールさんを呼んで結界魔術を……ありがと……チッチ」
アウラは紫水晶の瞳を静かに伏せた。
閉じられた瞼の間から熱い液体が止めどもなく零れ落ちた。
「本当に泣き虫だなぁ――、アウラは」
適度な穴を掘り終わるとチッチは掘った穴にプラムの寝床ごと掘った穴の中に沈め掘り返した土の山を穴へと戻していった。
アウラは土の中に埋もれていくプラムを名残惜しそうに見詰めていた。
チッチが掘った穴に土を被せ終わると周囲から土を集め、近くから手頃な石を据えると腰のナイフを抜いた。
『Teiwaz・Laguz・Raido・Berkana』
(英雄は眠る。魂の新たな命の旅立ちを)
盛り土にのせた石に深々とアウラから学んだ古語の文字を刻み込んだ。
二人は胸の前に拳を組み、プラムの墓に長い黙祷を捧げた。
祈りを終え屋敷に戻る際、アウラはプラムの墓に振り返った。
「またね。プラム」
アウラはチッチの腕に抱えられそう呟いた。
To Be Continued
最後まで読んで下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
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