第七十五話「絶望」
俺は––––––––思い出した。カインの記憶を……。
この坂は……ティエア……いや、異界につながる道だ。
だが、異界への道は生身では超えられない。魂は引き抜かれ……やがて俺達は死んだ。
この記憶は……俺がカインだった頃の記憶の断片……。
「ペルさんが作った前世占いプログラム。ただの遊びだったらしいが、偶然にも僕……いや、スサノオとカインの記憶をサルベージしていたんだ」
それが今……あるべき場所へと戻った……。
「カインは、アトゥムが生成した悪の存在だ。それは原作のティエアストーリーズでも同じな点も考えてまず間違いない。故に、拓海の願いは全てが呪いとなってしまった」
「確かにあなた自身は、星井早紀に死んで欲しいなんて少しも思ってないのでしょう。ですが、あなたの何気ない思いは呪いを生んだのですわ。結果、星井早紀の運命に誤差が生じた」
「誤差…………?」
まるで夢の中の話を聴いているような感覚だった。ここが現実ではないかのような……悲しい感覚。
「本来星井早紀は、スピカの生まれ変わりとして、神宮健司の恋人となる運命にあった。それが本来のストーリーだった。だけど、あなたの呪いが本来のストーリーを無意識のうちにすり替えてしまったのですわ」
夢の中のような感覚はあったのに……なぜかその言葉には反論できない。
それが真実であるかは骨の髄まで知り尽くしているようで……しかしその記憶は俺にはない。
そうしていると、今まで沈黙していた花の女神は、か細い声で言葉を綴った。
「……この世界の仕組みについては解明されてないところも多いですが、少なくともわかっていることがあります」
ペルは、少し身構えるように自分の左腕をぎゅっと握りしめる。が、意を決したように言葉を続ける。
「それは、運命の生成者の存在……そして、ティエアの全ての住人がその運命に向かって無意識に進んでしまっているということです」
「運命の生成者……運命を作ってる奴がいるって事か?」
ペルはうなづきながら、さらに言葉を続けた。
「本来ならアトゥム様が運命の生成者ということになるのでしょうが、実際にアトゥム様が望んだ形にはなっていない。……その理由の一端は、人の思いであることがわかりました」
思い…………。
「思いは強すぎれば時として呪いとなる。……その呪いは運命を捻じ曲げ、歪んだ形に変貌させてしまうのですわ」
「つまり俺の思いは…………歪んだ悪の心は、どんな平和でたわいもない願いも、呪いに変え、全ての人を不幸に変えてしまう」
ペルは唇をキュッと噛み締めて……静かに首を縦に振った。
……つまり何か? 俺が「あの子可愛いなー。あんな子が俺の物語のヒロインだったらいいのになー」なんてたわいもない願いが、悪の心に通じて呪いに変貌させて……あの日の事故を引き起こしたってのか?
なんだよそれ…………。
これじゃ俺がどんなに平和を望もうが、どんなに幸せを願おうが……それはいずれ歪み、時に人の死を招くって事じゃねぇか。
ああ……そうか……。
アーノルド襲撃によるスピカやエストの人々の危機。
シーファトの暴動事件。
エルフの里の裏切りと、黒鬼の襲撃。
その全てが……「主人公になりたい」と願ったことによる呪いが引き起こしていたんだ……。
「これでわかったでしょう? ……アナタには、主人公になる資格なんてないんですわ……いや、それどころかスピカと恋人になる資格すらない」
……全部テュールの言う通りだ。
なんだよ……それじゃあ俺……この世界で生まれた瞬間から……勇者になる資格なんてねぇじゃねぇか。
考えてみればそうだ。
俺は、いつもそうだった。特撮、アニメ、ドラマ……その全ての主人公達。それらに憧れていた。
いつまでたっても子供みたいに……ただただ憧れていた。
同時に自分が憎らしかった。何をしても彼らに近づけない自分の全てが気に入らなかった。
自分が好きになれるはずないじゃないか…………だって俺の本質は悪なんだから。
そう考えれば、全ての辻褄があうんだ。
自分が才能が高いからって、努力できる事に羨ましがるところなんて、まさにそうだ。
憧れだけじゃない……醜悪で強い嫉妬心から来てたんだ。
努力している方が、主人公っぽいから憧れた。先輩に睨まれた時も……あの時もそうだ。睨んで悔しがってた方が主人公っぽいから、その存在に嫉妬しただけだ。
エルフの里でも……シーファトでも…………俺は、何度もその本性を現していた。
俺の……悪の心を…………。
早紀を助けたあの時も、本当は何を考えてたか……もうわからない。
もしかしたら、あの瞬間……早紀と一緒に死ぬために彼女の手を引いていたんじゃないか?
本当に……俺は早紀を助けようとしたのか?
あ……もうこんな事考えなくていいんだっけ?
あとは、主人公様がなんとかしてくれるんだろ?
もう…………どうでもいい。
––––––––––––随分情けない顔してるね。タクミ。
仕方ないだろ? …………俺はどうせ主人公じゃないんだ。……早紀の事も殺したかもしれない……そういう男なんだ。
––––––––––––たしかに君は、主人公ではないのかもしれない。
誰も俺を求めてない……俺ですら、俺を求めてない。
––––––––––––本気でそう思ってる?
仕方ないだろ? 俺は…………俺が大っ嫌いなんだよ。
––––––––––––タクミ…………。
ははは……そりゃそうだろ? なんでもそつなくこなして、この世界ではチート級。才能溢れる人間…………そんな、なにもかも間違った存在。
––––––––––––…………君は間違った存在なんかじゃないよ。
間違いだろうがよっ!!! 何が勇者になりたいだっ!!! 何が主人公になりたいだっ!!! 自分の中にあるどす黒いものを認めたくないための言い訳だろうが!!! そうやって願った思いが、全ての人を呪い殺していくんだ…………。
––––––––––––それは違うよ。
違わねぇよ!! 俺の……俺の醜さは俺がイヤってほど知ってんだよ…………。
––––––––––––君は……醜くなんてない。
…………早紀、お前はいいよな。
––––––––––––。
この世界の運命が選んだヒロインはお前だ…………。お前は俺じゃなくても……健司でもヒロインになれたんだ。
––––––––––––どうして、そんな事言うの?
いいや…………ちがうか。お前も…………俺じゃない方がよかったんだろ?
––––––––––––拓海。
「ああ……そうか」
ようやく気づいた。
俺の心には、どうしようもなくどす黒い感情がある。
悪と呼べる邪悪な心。
「俺はただ……悪に身を委ねればよかったんだ……ははは……はははは…………」
「拓海!? そ、それはダメだ!!」
親友だった奴が何か言ってるが、どうでもいい。
「こんな世界……終わりにしてやる」
そう思った瞬間。
なんとも言えない至福感。
幸福感。
心が一気に軽くなり––––––。
笑みがこぼれた。
どうしようもなく、おかしくなった。
狂気に満たされていく快感……殺意に焼かれる刺激……懐かしい感覚だった。
いや……ずっとそうだったんだ。
正義の味方を羨み、妬み、憎む。
本来あるべき場所に心が帰っていく。
気持ちいい…………。
「ふ……ふふ」
「た、拓海?」
「あは?」
ゾッとした顔。
オメェそんな顔すんのか……おもしれぇな。
可笑しい……スッゲェ笑える。
笑える笑える……笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑ぁ!!
「ヒャハハハハハハハハッ!!!」
天を仰ぎ。
溢れ出る闇を解放する。
俺を中心に邪悪の渦が蠢く。
? ……おいおい。周りの奴ら飛ばされそうだぞ?
ちょっと力を解放しただけでこの威力か……サイッコウじゃねーか!!
「ヒャハハハハハハハハッ!!! ハハハハハ刃ハハハ波ハハハハッハハ破ハハハハハはハハハハハ覇ハハハハハッハハハハアッハハハハハハハ!!!!」
狂々と円を描く。
満たされていく。
壊れていく……。
解放しきった俺は脱力しきったその首を、獣のように男に向けた。
「くっ……拓海っ……」
そいつは歯を食いしばりながらも剣を抜き放つ。
「おぉ!? なんだなんだなんですかぁ!? 一回も俺に勝った事ねぇくせに性懲りもなく挑むってかぁ!?」
ウケる。
ちょっと力解放しただけで、吹き飛ばされそうになった奴が俺に勝つ?
しかも、今の俺に?
「いいぜ……やろうか」
俺も刀を抜く。
「主人公様を倒せばゲームオーバーだ……せいぜい足掻いてみせろや」
「僕は……お前を止めてみせる」
––––––前回とは逆だな。
再び鋼は交わされる。
真の正義のあり方を示すために––––––––。




