第五十五話「敗北者の目」〜健司視点〜
『そうですか……佳奈美さんに出会っちゃいましたか』
『すみません……』
『いえ、健司さんの判断は正しかったと思います。もし下手に隠してたら、それこそ暗殺されかねません。……それに、そもそも無銘さんを隠したのは時間稼ぎで、いずれは見つかる話でしたから』
『え、そうなのか?』
この女神さん……意外と駆け引きしてくるんだな。
『佳奈美さん……いえ、フレイアさんには相手のステータスを確認するスキルがあるんです。ティエアにはある理由でレベルがありません。なので簡単に判別できてしまいます』
『それなら何故、彼女は見つかった時点で襲ってこなかったんだ?』
『フレイアさんが健司さんのステータスを見たからでしょうね。健司さんと戦えば大騒ぎになりかねない。貴方はタクミさんと、ほぼ互角のステータスがありますからね』
『……ほぼ互角……か』
その言葉で自嘲気味に笑う。素直に拓海に近いステータス……つまりタクミより下だって言わないところにペルさんの優しさを感じて悔しさと歯がゆさを抑える。
『……言っておきますけど、私は健司さんが下だとは思ってませんよ? 自身持ってください』
『よしてくれ……』
そんな言葉はいらない。この前の戦いではっきりとわかったんだ。僕は拓海より下だ。
––––––––だけど、いつまでも下でいる気もない。
「やっぱり会いに行くべきだよな」
「ここにくるのも、もう随分久しぶりになるな……」
「ここ……どこ?」
無銘の問いに、僕が彼女の頭に手を置いて答える。
「拓海の家だよ」
「タクミ……の家?」
そう、結城剣道場。と言っても立派な門構えがあるわけではない。
三階建のビルの一階が道場。二階、三階が実際に拓海が暮らしていた家だ。
拓海の父さん……つまり俺の師匠、結城幸村はこの道場で剣道を教えている。
拓海とその母……風音さんが死んでから、道場はしばらく休んでいたが、桜乃ちゃんの支えもあってなんとか再開した。
現在、会員数はかなり減ったものの細々と続けている。
たまに僕の父さんも通っているようだが、今日は流石にいないだろう。
「中にいるのはー……二人か」
二人ともよく知る人物だった、桜乃ちゃんと、黒髪赤眼の背が低めの青年、柏木零。どちらも、この道場の後輩だ。
零は体躯に恵まれず、剣道ではいい成績を残せてないが、センスは抜群で足さばきだけなら俺や拓海もうわ回る。
いわゆるスピーダータイプってわけだな。
僕は道場に入り、二人の手合いを見る。二人とも面をつけて……礼をして、お互いに構える。
「てりぁあ!!」
お! 桜乃ちゃんだいぶ面が良くなったな。
あの子は打ちおろす時に、手を捏ねるクセがあったから、たまに有効打取れなかったからな。まぁ、それでもあの程度の剣速じゃあ、零の敵ではないか。
次は零が打ち込んできた。見事なまでの三連撃……いや、四……五っ!?
おお……めちゃくちゃ早くなってるな……桜乃ちゃんも、なんとか捌ききった。拓海と毎日のように稽古していただけに目はいいな。
「ふぅ……」
桜乃ちゃん、脇構えに切り替えたな。対する零は八相の構え……珍しいな。
八相の構えは剣道のルールではあまり有効打突を狙えないところから、あまり使われない。使うならもっと上……つまり上段の構えだ。
桜乃ちゃんの脇構えもかなり珍しいが、あれは多分拓海の真似だ。アイツはあそこから超スピードの胴を繰り出す。たしかに行動が読まれやすく簡単に防御されそうだが、アイツは反応される前に当ててくる。
しかも仮に防御姿勢をとってたとしても一瞬の判断で小手に切り替わる。人間業とは思えない一瞬二択があるからこその技なんだが……桜乃ちゃん。大丈夫か?
「どおおおぉぉぉーーーー!!!!」
桜乃ちゃん仕掛けた! かなり早いっ!! 防御が間に合うか……あ!
「えっ!?」
八相の構えの剣を瞬時に回転させて、一瞬で胴の防御姿勢に切り替わる。そうか……八相の構えは、この技の対策。これでは一瞬、小手の切り替えが間に合わない。
捌かれてバランスを崩し、無防備になった面を見事に打ちぬいた。
うん。文句なしの一本。
礼をして、四角のラインから出ると、倒れるように桜乃ちゃんが座り込んだ。
「だーー!! 負けたぁ!!」
「結城さんの技もなかなかだったよ。お兄さんには、まだ程遠いけどね」
まぁな……拓海なら、あの八相の構えの対策は無意味だろう。
なぜなら、拓海のあの技は手首を返す暇すら与えない。まさに刹那の一撃。僕も何度か捌いたことはあるけど……ほとんど運のレベルだし……仮に捌いたとしても鬼のような連撃で崩されて……だんだん拓海が悪魔のように見えてきて…………ああ、よく生きてたな……僕。
「どうしたの? 神宮先輩」
トラウマスイッチが入り、うずくまる僕を、いつのまにか零が覗き込みに来ていた。
「いや、なんでもない……それにしても強くなったね。零」
「そんなぁ、まだまだです」
この子は無駄に謙虚なんだよなぁ……昔から。
「あれー? 健司さん無銘ちゃんじゃない」
まるで風呂上がりのように、タオルで汗を拭きながら桜乃ちゃんもやってきた。
「やぁ、ちょっと様子見に来たよ」
無銘は相変わらずの無表情で、零の竹刀を見つめていた。
「この武器……貧弱。攻撃力皆無……これでは相手倒せない?」
「いやいや、倒す為のものではないから。なんというか……剣道をする為の刀だから」
「剣道……先ほどの模擬試合の事と推測。戦闘力向上のための手合い……覚えた」
「もうそれでいいや……」
本当は言いたいことは山ほどあったが、この子の前では仕方ない。
「えっと……神宮先輩。彼女は?」
「ああ、無銘っていうんだ。俺の家の居候ってところかな?」
その言葉で、零は食らいつくようにように近寄る。
「居候っ!? 神宮先輩!! 今度はラノベ主人公に転向ですかっ!!!!」
「ら、ラノベ主人公!?」
「この道場に通い続けてから、剣道漫画の主人公かな? と何度も思ってたけど、ライバルの結城先輩がいなくなったと思ったら今度はラノベ主人公ですか!?!? 電波系美少女の居候イベントとか、どんだけ主人公体質なんですか!!!!」
「ま、まてまて! 僕は別に主人公体質じゃ……」
っとそうか……そういやティエアの主人公なんだったよなぁ。
「結城先輩との手合いもギリギリのところで覚醒したように強くなり……」
本番に強いだけなんだよなぁ……。
「女子との友好関係も幅広い……」
女子剣道部の子達に「結城先輩強すぎて参考にならないから教えてください」って言われてただけだし。ってかあいつはスパルタすぎるんだよ……。
「しかも妹属性の結城さんもがぐぼっ!!!!」
その言葉を顔を真っ赤にした桜乃ちゃんが抑える。
「さ、桜乃ちゃん?」
「なんでもないですーっ!! はい! なんでもないですー!!」
チョークスリーパーで零の気道を潰し、声が出なくなる。ギブアップとばかりに腕を叩く零君の思いも虚しく首はどんどん絞まっていく。
……あれ、ちょっと顔色がやばい……いや、やばすぎる!! 死ぬぞ!!!
「桜乃ちゃん!! タンマタンマ!! やりすぎだ!!!!」
「はぅ!!」
桜乃ちゃんは泡を食ったように慌てて腕を解いたが、こっちは泡を吹いて倒れた。
「ちょっ! これまずい!! 零ーーーーっ!!!」
とまぁ、なんとか一命をとりとめた零と桜乃ちゃんは二人で休憩している。僕は無銘と二人母屋に来ていた。
「……失礼します」
中に入ると、かつて師匠と呼んでいた老人がそこにいた。
「ああ……健司君。よく来たね」
「師匠……また痩せました?」
床に伏せたその姿は、痩せたなんてものじゃない。まるで病死寸前の姿だ。
「ははは……こんな情けない姿、息子には見せられないな」
「っ……」
やっぱり、師匠の精神的なダメージは相当なものだ。そりゃそうだろう。息子も自分の愛した人ですら、もうこの世にはいない。そう簡単に割り切れるものじゃないよな。
だけど、これだけは言わないといけない……。
「師匠……僕は、あなたにもう一度教えを請う為に来ました」
「え…………なにを言ってるんだ? もう俺は君に教えられるものはないぞ」
違う……この人にはまだ一つだけある。
「教えてほしいのは剣道ではありません……真剣の技です」
「……健司君…………」
僕は深く頭を下げた。畳に頭を擦り付けて、惨めなまでの土下座姿を晒した。
「今の師匠に酷なお願いなのは重々承知しております……しかし、僕も簡単に引き下がるわけにはいきません」
「……何卒……拓海にだけは教えたという真剣の技……僕にも教えてもらえないでしょうか?」
「…………」
師匠の顔は見えないが老眼鏡を外す音だけが聞こえた。
「それは……どういう意味かな?」
地べたを舐めるように、デコを埋め込むように醜態を晒し続け、それでも懇願をやめない
「……守らなければならない人ができました……説明はもちろんさせていただきますが、荒唐無稽な上、奇想天外と言っていいほどの事ゆえ、信じてもらえずとも仕方のない事だと思います。ですがっ! 今の僕には守る力がない」
そうだ……拓海に負けた僕にそんな力はない。
……あいつに負けてから、ずっと言い訳ばかりを考えていた。あいつはすごい。別次元の存在だ。才能もあるし努力もしてきた。レベルが違う。最強の男だ。だから勝てなくても無理はない。
––––––––––糞食らえだっ!!!!!
僕が、傷つきたくないだけじゃないかっ!!!! 一生かかっても手が届かないであろうと思えば、僕のプライドは保たれると……そんなことで、無銘を守れるわけがない。
僕は、今から神を相手にしようとしているんだぞ……昨日散々悩んで辛酸を飲み干すように認めた僕の弱さ。そんなものを乗り越えられなくて、拓海を倒せるわけがない。
無銘は何があっても拓海に返す……。そして一発ぶん殴るっ!!!
その為には……師匠に技を教わる他はない。
「顔をあげなさい」
僕はゆっくりと顔をあげ、師匠を見た。
やせ細ったその顔には、以前と変わらぬ眼力が宿っていた。
「単なる好奇心や恨み……そういった類ではない……か」
師匠の心眼なら、そこまで見通せるだろう。嘘ではないことも師匠には伝わっているだろう。
「はぁ……俺も、もうこの体だ。情けないが息子や妻の死に向き合えず、衰えた体で技を教えることは叶わないだろう」
「無理は承知です……ですがっ!」
「……一週間、時間をくれ。俺も、君のように拓海に正直に向き合う時がきたという事だろう」
「っ! …………ありがとう……ございますっ!!!」
だが…………ついに僕は、師匠から技を教わることはできなかったのだった。




