第三十一話「女神様は浮世離れしてない」〜早紀視点〜
「っはぁ……はぁ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫……だから」
な、なに?! なんなの、この発作?!?! どうして……私、こんなに体力がなくなってるの?
「早紀さん、ずっと無理してたでしょ……どうしたんですか?」
「私もわからないし思い出せない……」
だけど、ずっと引っかかってた。あの事故の時の事。
––––––––––そうだ。やっぱりあの時の私は普通じゃなかった。あの異世界での一年間で私はなにかを忘れてる。とても大切な事を……。
少しずつ発作が落ち着いてくる。
「ごめんなさい……ごめん……なさい」
「ペルちゃん……?」
「私……この世界では魔法も使えない……私っ……本当の役立たずですっ!!」
「……ペルちゃんあまり自分を責めないで」
そうだ。ペルちゃんが泣く必要はない。これは多分……私の問題だ。
「でも……っ」
「私は大丈夫だから……ね」
動悸が次第に治ると私は笑顔をつくり、ペルちゃんの腕を、自分の不安を隠すように––––––––––強く引っ張った。
「おう、早紀おかえり!」
「ただいまお父さん。仕込み中? 手伝おうか」
厨房の角刈りの父さんは、サバの仕込みをしていた。この少し生臭い感覚が、私には懐かしく感じる。
「いやぁ、いいよ。それより俺達の夕飯を頼む」
「はぁい」
お父さんを含めアルバイトさんの賄いは、私が主に作っている。
前は母さんが作ってたけど、ちょっと体調を崩して今入院している。
今日は確か学生さんが多いからカレーにでもしようかなと、計画を立てながら家にある材料を一つずつ思い出していく。
「お父さん。少しサバもらえる? カレーに入れたいの」
「おお、今日はサバカレーか」
私はサバを数匹、ビニール袋に入れてもらいそれを受け取る。
「あと、今日お母さん帰ってくるぞ」
「え! お母さんが!?」
私はこの世界に戻ってきたのに会えてなかった母さんに、ようやく会えると思うと胸が高鳴った。
「……わかってると思うが、覚悟しとけよ」
「か、覚悟? どういう事?」
「言わせんな……」
父さんはそっぽを向いて仕事に集中してしまう。
なんだろう? 何か嫌な予感がする。
「早紀さんのお母さんってどんな人なんですか?」
「優しいけど、大人しくてか弱い人よ。本当にお父さんとどうやって結婚したのか不思議なくらい」
私はサバを捌きながら答える。
「へぇ……」
「男の人が苦手で妙に怯えた様子で……だからいつも『私が女の子で助かったわ』って言ってた」
「……ずいぶんお父さんとは、対象的ですね」
お父さんはまさに「ザ・板前」って感じだし。本当どうやって告白したのやら。
「でも、本当に優しい人だった。アルバイトの人にも人気で、料理も私より上手。意外とゲーム好きでね。アルバイトの人達とゲームの話とかで盛り上がってた」
だけど、確か事故の前に体調を崩して入院。
だけど、どうしてだっけ? ……思い出せない。
私は具材を刻み終えて鍋に入れていく。
「………」
頭を切り落とされたサバの目が、私を見ているようで……妙に不気味だった。
「ふぃ~大体、こんなもんか」
これでアルバイトさんの休憩が全員分終わった。最後にお父さんの休憩時にお母さんを病院から迎えに行く事になっている。
「それにしてもいいんですか? 早紀さんは今すぐにでもお母さんに会いたいんじゃ」
「会いたいよ? だけど、ちょっとね」
やっぱり、さっきからアルバイトさんの様子が気になる。
何と言うかよそよそしいというか、なんというか……。少なくとも、お母さんに会いたいって感じの人は誰もいなかった。
「ペルちゃん……少し私の部屋にいてもらっててもいい?」
「え? ……あ、はい」
お母さんには会いたい。……でも嫌な予感がする。
「ありがとう。ペルちゃん……」
お母さんを待つために、私は食器を片付けていく。
不安を払拭するように、一つ一つお皿を洗って……。
「っ!?」
お皿を持つ瞬間、世界が回った。
皿を割ってしまわないように、何とか流し台に置いてふらふらとした体を支える。
気がついたらびっしょりと汗をかいている。息も切れて吐き気もしてる……胸の鼓動が激しくなり、心臓を抑える。
なぜこうなるのか、未だに思い出せない。異世界にいた時は全然こんな事なかったのに……。
今度病院行ってみる事にしよう。とりあえず今は目眩……治ったし。
大丈夫……きっとなんとかなる。
そう思った時、玄関の扉が開く音がする。
「お母さんだ!」
私はお母さんが帰ってきたと直感して、急いで手の洗剤を洗い流し廊下を走り抜ける。
「お母さ––––––––––」
そこにいたのは、痩せ細っていた変わり果てた姿の老婆だった。
一瞬、それが母である事を認識できなかった。
「お––––––––––お母さん?」
虚ろな目で私を見つめる。『まだ入院してた方がいいのでは?』とすら思えるほど、老衰している様子だった。
まるで、この空間だけが何十年もの時が経過したかのような違和感。
「お母さん? ……だ、大丈夫?」
「ごめ……さ……」
私の姿をしばらく見つめてたと思うと急に涙を流し謝りだす。
「ごめんな……さい…………」
「な、なんで謝るの?」
意味がわからない。どうしてこの人は謝ってるんだろう?
「健康な体……で……産めなくて……ごめん……なさい……」
え––––––––––?
「な、何言ってるの? わ、私はこの通り元気だよ?」
確かにこっちに来てから目眩もするし、ちょっと気分悪くなるけどそんなに酷いわけじゃない。
子供の頃はむしろ活発な方だったはず。佳奈美と仲良しになったのも体育で競い合ってたからだし……。うん、やっぱり不健康ってわけじゃないはず。
「……そうよ……そうだわ、全部夢だったのよ」
お母さんは急に抱きしめてくる。
「お母さん? ––––––––––ちょっとどうしたのよ」
「そうよ、あはは……全部夢だったのよ……ははは……」
その声は縋るようで、同時に責めるようで見ていて––––––––とてもつらかった。
私は……何を忘れたというの?
お母さんは壊れたようにずっと笑っていた。お父さんもそんなお母さんを見てられない様子で、すぐに厨房に戻ってしまった。
ほとんど介護に近いような感じで、お母さんを寝かせた私は、ペルちゃんの待つ私の部屋にむかう。
「ごめんねペルちゃん。明日またお母さん紹介するから」
「あ、いえお気になさらず……」
「なにしてたの?」
「この前早紀さんに教えてもらった”ぱそこん”です! すっごく面白いんですよ」
パソコンを使う異世界女神様……シュールだね。
しかも覚えるのがめちゃくちゃ早い。この分だといずれブラインドタッチとか覚え……てる!?
「”たいぴんぐそふと”っていうソフトをやってたら、”ぱそこん”使ってるのが楽しくなってきました!」
「……そういえば、ペルちゃんって言葉とかは大丈夫なの?」
「ん~……そういえば大丈夫みたいです。なぜでしょう?」
……まさかとは思うけど、転生時のルールブックが、この世界にも適用されてるの?
『ルールブック 1-2:転生前の世界にはなく、転生先にある言語、魔力などの概念は転生先の平均的な能力を転生時に手に入れることができる』
これなら確かに日本語を覚えていてもおかしくはない。だとすると、この世界も本物の現実世界とは違うのかもしれない。どうなんだろ……?
「それにしても、ものすごい習得スピードね。もう私に教えれる事なんてないかもしれないね」
「もう”いんたーねっと“も”げーむ“もC++プログラミングも完璧ですっ!!」
「いやーまいったまいった…………へ?」
いまなんて言った? この子。
「JAVAは、まだ覚えきれないんですよね~……でもC言語はすっごいわかりやすくて大好きです! あ、でもVisual Basicも覚えてエクセルでマクロ組んでみるのも楽しそうだなぁ~」
「へ……へぇ~……そーなんだ」
もはや私には何を言っているのかわからない。そういえば、お母さん元々ゲームデザイナーだったっけ? 確か空き部屋一つを本棚にしてたから、そこにあったお母さんの参考書を読んで覚えちゃったんだろうなぁ。
「……なんでこの子はプログラミングに関してはハイスペックになっちゃったんだろ? 異世界女神からは一番縁遠いスキルじゃない……」
「あ、この基本情報技術者試験の本も覚えちゃったんですよ? 私この世界でも生きていけそうですよ~……なんちゃって。あはは、そんな甘いわけないですよねー」
むしろ、この世界のほうが向いてるんじゃないでしょうか? ……ってか一生食っていけそうだぞ?
「……で、今は何をしているの?」
「これです」
あ……『RPGツクレール』。
「これ、アトゥム様が言ってた、ティエアの元になったソフトなんですよね?」
「そうだね……もしかしたら」
私は、インターネットブラウザをたちあげて、ネットで『RPGツクレール アトゥム』と検索する。
「出てこない……」
さすがに、もうないかなぁ?
「待ってください。えっと……」
気が付いたらペルちゃんが、ものすごいスピードでキーボードを打ち込み、数パターンの検索ワードを入力する。すると『Atum ツクレール百科事典』で検索し数百件がヒット。とあるフリーソフトダウンロードサイトにアクセスする。
「ずいぶん古い感じのサイトですね……えっとなになに……」
うーん。この子、花の女神よりパソコンの女神になったほうがいいんじゃないですかね?
「……早紀さん! これ見てください!!」
「ティエアストーリーズ……」
そのAtumさんの初期の作品の中に、ティエアと言う名前の作品があった。
「あれ…………これ」
この絵は…………お母さんの絵?
どう言う事? ……お母さんはティエアの原型となった作品の制作に関わったの?
Atumさんの他の作品より、評価はだいぶ低いけど……どうもかなりの意欲作だったみたいで、書かれている作品紹介の所に書かれた紹介文には、ずいぶんと気合いのこもった文章が込められている。
「……拓海に連絡しておこう」
私は、ダウンロードボタンを押してからスマホを取り出す。
「……え?」
拓海からメッセージが来ていた。
––––––––––何か隠し事してないか?
……どういうこと?
私は不安を隠しきれないままに、拓海の電話番号をクリックする。




