第二十七話「消失した死」
街の喧騒がうざったくなるくらいに、この道を通った。竹刀袋を暇つぶしにぶらぶらともてあそび、道端の草になんとなく興味を持つ、いつもの通学路。
六月だというのに、雲ひとつない梅雨の空に初夏の香りを感じなくもない。
……そういえば、健司と試合する約束だったっけ? あいつ、何度も負けてるくせによくやるよな。
などと考えていると、信号機の前に栗色の髪をなびかせた女の子を見つける。
ああ、あんな子が彼女だったらなぁ、なんてかなわぬ夢を見ながら歩くと、その子が待っていた信号機が青になる。
ここでお別れかと、あっという間の出会いを惜しみながらそれぞれの通学路を歩く。
あれ? あのトラックなんだ?
いや、いやいや待て待て!! 赤信号だぞ!!!
あの子危ない!!!
「アブナ––––––」
直後––––––。
––––––キミハコロサセナイ––––––––––––––
「っぶねー!」
間一髪だった。飛び込んだ俺の足が、あともう少しでトラックにはねられてしまいそうなほど、ギリギリのところで俺は助かった。
そうだ、あの子は?
「う!?」
いつの間にか、至近距離で見つめあっていた。
その感覚が、妹様の恐ろしい記憶を呼び覚まし慌てて跳ね起きる。
「ご、ごめん!」
「いえ! ……私のほうこそ、本当にありがとうございます」
改めて、その子のほうを見る。
やっぱりめちゃくちゃかわいい。栗色の髪と、エメラルドの瞳。スレンダーな体つきが若々しくも、つい魅了されるほどの威力があった。
年齢は……うちの妹くらいだろうか?
「えっと、大丈夫? 怪我とかない?」
目が離せられなくなっているのをバレないように、話題を逸らす。
「いたっ」
立ち上がって膝を見てみようとするその子が、痛みでしりもちをつく。
「っ!?」
純白の下着が一瞬見えたため、全力で目をそらす。
「……ああ、膝擦りむいただけみたいです」
俺は竹刀袋に入れていた絆創膏を取り出し、目を背けながらその子に渡す。
「使ってっ!」
「……? なんで目をそらしているんです?」
「見えるから!!」
「? ……ああ気にしないでください。事故ですし」
「それでも! ダメなものはダメっ! 健全第一!!」
俺がそういうと、クスクスと笑う声が聞こえる。
「おかしな人ですね。……そうだ、今度ちゃんとお礼したいですし、お名前と連絡先、交換しませんか?」
……もしかして……俺にも春が来た?
「結城拓海。星陵学園高等科の三年だ」
「私は星井早紀。聖北女学院の一年です。よろしくお願いしますね。拓海さん」
これが、俺の恋人。早紀との初めての出会いだった。
初めての出会い……だった? –––––––––––?
––––––––––––––––––––––?
「っ!?」
目が覚める。
そこに広がっていたのは見慣れた光景。……だが、今となっては異常な光景。
「俺の部屋だ」
あり得ない。俺は死んで異世界に転生して…………。
「そうだ携帯!」
すぐに俺のスマホを取り出す。ここが異世界のままだったら、スマホはペルしか連絡が取れないものに変わっているはずだ。
「……ない。ペルの連絡先がない」
どうなってる?
俺は改めて連絡先を探していると、知らない名前を見つける。
「星井……早紀?」
だが、その子のアイコンに表示された写真の子には見覚えがある。
思わず声を上げそうになった次の瞬間、その星井早紀から連絡が入る。
「––––––っ!」
息をのみ、恐る恐る電話に出てみる。
『タクミっ! タクミなの!?』
「スピカ!!」
『……私の本名を呼ばないってことは、やっぱりタクミも同じ状況みたいね』
「ああ……どうなってるんだ?」
『わからない……とにかく、今から会えない? 状況をまとめてみたいの』
「……わかった。適当なカフェで落ち合おう」
とにかく、俺が死んでからこれまでが、盛大な夢落ち……なんて事ではなさそうだな。
『……ぐすっ』
「え?」
『よかった……タクミがいてくれてよかったよぉ…………』
相当心配だったのか……電話越しでも大粒の涙をこぼしているのが伝わってくる。
「……何泣いてんだよ」
『泣いてないもん!うぅ……』
まったく説得力のない言葉に苦笑しながら、あやすように話をつづけた。
「……とはいえ、やっぱ二人とも同じ状況だよな」
「そりゃそうね。やっぱりここは私達の元の世界」
俺達は、ここに来る前にいろいろと状況を整理してきた。
日付は2029年2月10日土曜日。
俺達は当然まだ学生のままで違いといえば、俺は星陵学園の大学に入ることが決定。スピカこと、星井早紀は聖北女学院のままだが。
「んで……やっぱこれよね」
スピカ……いや早紀がスマホの画像を見せる。
「これだよな……」
そこにはおそらく自撮りで撮ったであろう写真。遊園地で明らかにデートをする俺達の姿があった。
「つまり、俺達は本来死んだ日から約八ヶ月後の世界にいる……って事だろうな」
俺達が死んだのは6月頃だったからそう言う事になる。
「……そして、私達はこの世界でも恋人同士って事ね」
本来なら「やったー生き返ったー!」と喜ぶべきなのかもしれないが……。
「やっぱり、いやな予感するよね」
「ああ、ただ生き返っただけじゃないってことはわかる」
特に、今回は因果関係がわからない。何が原因かという点もそうだが、そもそも今が本当に俺達の元々の世界なのかも証明しきれてない。
「……ねぇタクミ。こんなこと今言うのもなんだけどさ」
「……やっぱ、ペルやアトゥムが気になるよな」
早紀は頷く。
「本当ならタクミや私が生き返って、めでたしめでたしって事になるんだろうけどね」
「ならないだろうな……方法はわからないが、俺達が死んだあの事故が、何らかの形でなかったことになった……って事なのか?」
「生き返れたのは素直にうれしいけどさ……なぜこうなったのか? 向こうの世界は無事なのかとかいろいろ気になるよね」
沈黙が流れる。ただ今話せることは話尽くしたといったところだ。
「とにかく、今の状態はどうあれ生き返れたんだ。とりあえず、それをよしとしよう」
「……そうね。あの異世界の事については、これからじっくり調べて救える方法を探しましょう」
「そうだな。もしかしたら、こっちにいたまま救う方法も見つかるかもしれない」
そんなことを考えながら少し冷めたコーヒーに口をつける。
「ごちゅ~もんはおきまりでしょ~かっ!!」
明らかに店員っぽくない気の抜けた声の主は、こっちを睨みつけていた。
「佳奈美!」
佳奈美と呼ばれた少女はニカッと太陽のような笑顔で早紀の肩をひじ掛け代わりにする。
「いや~昼間っからデートとはお暑いですねぇ~若いの! けしからん! けしからん匂いがするぞ~~~!!」
金髪の短いツインテがプロペラのように回るほど、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。早紀より一回り小さな体を全力で大きくみせるように、両手をブンブンと振り回す。”気が付いたら次の瞬間にはサーカスでもしてそうなくらい”の自由で元気な子だった。
「けしからんことなんてしません! それより佳奈美がどうしてここにいるのよ」
「いやーお二人がカフェに入るところを見て、これは面白……いや、いい冷やかしネタになるな~と思いましてですね」
「それ言いなおした意味ある?!」
早紀のツッコミにもケラケラと笑って返す。
「佳奈美……さん?」
俺はこの記憶のない八ヶ月で、すでに会っていて友人になってるのかわからないので、とりあえず敬語で話す。
「んんー? いつもより他人行儀な感じですぞー?」
その言葉で心底安心した俺は、普段通り話す事にした。
「……佳奈美は何か飲まないのか?」
「いやー。デートの邪魔しちゃ悪いですしー」
「だからデートじゃないってば!」
「んー? 恋人同士がカフェで二人お茶してたらそれは立派なデートなのでは?」
……とりあえず下手につっこまれる前にごまかそう。
「えっと……スピカが数学でわからないところがあるって言ってな。少し教えてたんだ」
言い終わってからハッとした。しまった。今は早紀だった。
「彼氏さん、ネトゲのしすぎですよー!! 早紀ちんの事リアルでもハンドルネームで呼ぶなんてっ!! あははは!!」
……スピカの元ネタはネトゲのハンドルネームだったのか。早紀の顔が真っ赤になっていくのがわかる。
「彼氏さんは、早紀ちんの居酒屋に行ったことはあるんでしたっけ?」
「いいや、まだだったな……ってか俺まだ未成年だし」
「別にお酒飲まなければ、食べる分については大丈夫だよ?」
「へぇ~……居酒屋の名前はなんていうんだ?」
「ななほしよ。居酒屋 七星」
七星か……もしかしたら、ティエアに戻るかもしれないんだし、そのあいだに行って見たいな。
「……じゃあ、早紀の料理が美味いのは」
「うん。そこで鍛えたからだね」
そうやって早紀(あの時はスピカだったが)の作った料理を思い出す。創造も使って作ったものもあるとはいえ、確かに美味かった。
そんな事を思い浮かべてると、佳奈美がニヤニヤとこっちを見てた。
「おやおや? ノロケですかぁ?」
「そんなんじゃねーよ!!」
「いやーそれにしてもおめでたい! まさか早紀ちんに彼氏が出来る日がくるなんてっ」
「むぅ……どういう意味よ!」
「だって、この子ネトゲ大好きなインドア派でしょ? 料理が美味しいってところ以外は残念だし。……何より……グスッ……その真っ平らな虚無の胸じゃ」
早紀の電光石火の如きげんこつをひらりとかわす。 そのままズズィっと俺の耳元に近づいて囁く。
「しかも陥没乳首っ!! もはや平原どころか荒野な……あいたぃ!!!」
「ち、乳首くらいたってるわよ!!!」
「………早紀? それ言っちゃダメな奴」
俺に言われてハッとなり顔を真っ赤にする。大きな声でエロ発言してしまったので、周りも顔を赤くしているようだ。
「〜〜〜〜〜っ!」
結局そのまま殻に閉じこもったように全力でテーブルに顔を埋める早紀を、俺がなだめるのだった。
……マジで陥没してるのかな?
「してないわよ!」




