第百十六話「盲目のマリオネット」〜早紀視点〜
「これが……」
銀色の花…………。確かこの中に佳奈美はいた。
その花は思いのほか大きく、茎の部分は高層ビルを思わせるほどの太さで、下手をすれば百階は超えてるんじゃないかと思うほど高い。その先に花の部分はあるのだが、まるで野球場のドームを逆さにしているような大きさで明らかに不安定だ。
「悪趣味な形だな……茎にトゲのようなものがついてるっつーことは、薔薇か?」
「薔薇か…………確かにそんな風に見えたわね」
銀薔薇の中身は以前千里眼で見たけど、近未来の機械の研究施設みたいな感じだった。少なくとも現実世界でも異世界でもない。複数のパネルや機械の基盤のような形の蛍光色の光が幾重にも不規則につながっている。
ゼクスは未来も見ている。って事は、この建物自体が未来の技術って事なんだろうな…………。
「オレは神を取り込んだからナノマシンウイルスに感染しないが、お前はどうなんだ?」
「私は女神化の影響で効かないらしい……ただ、無銘ちゃんとスピカは効く」
「なんだそりゃ……」
私も正直完全に理解しているわけではない。ただ、女神として覚醒したのはあくまで私。結城早紀だ。スピカは継承すれば女神になる資質はあるそうだが、正規の手続きで女神になったわけではない私には、継承の魔法は使えない。
無銘ちゃんにいたっては、そもそも資質がない。彼女は私が以前、魂を滅ぼしながら現実世界に来た時に生まれたようなもので魂がそこまで熟してないのだ。
……そういうと私が老けているように聞こえるかもだけど、現状は今まで色々無茶したりさまざまな因果が私に結びついた結果、偶発的に女神になったようなものだ。そもそも私も自分が女神に覚醒したとかよくわかってない……だけど。
「創造––––––」
呟くようにその魔法を発言すると、私の手の中が光り、次第に光の粒子は弓の形に変貌する。
そして……かなり豪華な装飾の、RPGゲーム終盤の隠し武器みたいな弓が光が弾けるとともに現れた。
……やっぱりスピカの仲介を介さなくても、魔法が使える。
女神に覚醒した事によって、ティエアとのリンクが強くなったのか––––––それとも本能的に魔法の本質を見抜いて、私がどこでも使えるようになっているのか…………。
まぁ、おそらくは前者だろう。魔法に対しての知識は確かにスピカにいろいろ教わってるけど、まだ同じことはできない。だったら、ティエアとのつながりが強くなったことで、現実世界でも世界の力を受けられるようになり、自動処理で魔法を発動しているのだろう。
––––––だとしたら、タイムリミットは存在する。
ティエアが崩壊し……タクミが消えた瞬間…………私の魔法の力は崩壊し、女神の力も忘れ…………すべては無に帰すだろう。
そして…………名前も知らない私の愛した男を追い求めて、無様に死んでいくのだろう。
そんな未来は嫌だ…………それに––––––。
ゼクス……いや、シルヴァンドルが悲しい結末に向かうのをこれ以上みているなんてことは…………私にはできない。
「おい。来たぞ」
「わかってる」
結城桜乃…………。
私は、口に含んだ唾液を覚悟と共に飲み干した。
「この前はちゃんと自己紹介してなかったわね。この世界線でははじめまして。あなたのお兄さんの妻、結城早紀です……あなたとは義理の姉妹…………ということになるね」
「……邪魔者」
私の言葉に呼応して、桜乃ちゃんは剣を抜き無表情の怒りを向けてくる。
「……あなたとは別の世界線で出会ってる。その世界線では……そうね年齢が同じだから、どちらがお義姉ちゃんかとか話したかしら?」
桜乃ちゃんは三月生まれ、桜が満開の頃。そして私は八月生まれだ。だから一応私がお義姉ちゃんということになるのだが、正直同学年のためそんな気がしない。
「だから、できればあなたとは戦いたくない…………そこをどいてくれないかしら?」
それでも……彼女は動かない。
「そう……そうよね。この世界線では、あなたは剣をとるしか道はないんだよね…………」
私は、影沼が手を出さないように下がるように促す。彼は悪態をつきながらもおとなしく下がった。
「オレは桜乃に借りがある…………それを返す機会をくれてやるんだ。さっさと決着をつけろよ」
「わかってる」
…………桜乃ちゃんはありとあらゆる魔法を無効化する。
神ノ巍剣…………木刀を使うんだと思ってたけど、あの木刀の正体がそもそもあの魔法を吸収した刀の力なのかな?
試してみる価値はあるか…………。さっき作った弓を使えないのは少しもったいないけどっ!
「スピカ直伝……ファイアレイ!!」
オレンジ色の光線がまっすぐに彼女に向かっていく。だがそれを鞘を盾にして消し飛ばした。
「……鞘が燃えた…………いや、炎を吸収している?」
そうか魔法を打ち消すのではなく、魔法を吸収しているんだ。
「……ファイアレイ」
桜乃ちゃんが刀をこちらに向けると、その切っ先からファイアレイが威力を増して発射される。私は左に側転して回避する。
「……魔法を吸収して発射…………なるほど、それが神ノ巍剣の本来の力なのかしら?」
そのことを看破しても、桜乃ちゃんの表情は少しも変わらない。むしろわざと気づかせたようにも見える。
私は桜乃ちゃんのファイアレイをよけながら、弓矢で応戦する。桜乃ちゃんもその矢を刀ではじいたり回避している。
彼女の間合いに入ったら終わりだ。とにかく、まずは距離をとりながら体力の消耗を待つ。だけど、洗脳の制御下にある場合、体力の消耗なんて関係なしに筋肉を動かされる可能性もある。
本当は早く終わらせてあげるほうがいいのかもしれないけど…………佳奈美の時と同じことはできないし、そもそもあの時の苦痛を桜乃ちゃんが耐えられるかどうか…………。
「…………っ!!」
手元が狂ったっ!! 腕を狙った私の矢は彼女の右脇腹近くに刺さる。
「…………」
だが痛みを感じてないのか、冷静にその矢を引き抜き緑色に光る魔法を使う。
「けっ……回復魔法まで使えんのかあのやろー」
だけど、私は内心ほっとした。本当は桜乃ちゃんを傷つけたくない。腕を狙ったり、足を射止めるのも本当は嫌なんだ。
「…………ファイアレイ」
そして、再び炎をまとう閃光が私を襲う。回避をして弦を引くが、私はさっきの事が頭をよぎり攻撃を躊躇してしまう。
「くっ…………桜乃ちゃん!!」
私はせめて彼女の意識だけでも取り戻せないかと叫ぶ。
だが、その声は届いていないかのように虚ろな表情のままだ。そしてまるで作業のように攻撃を仕掛けてくる。
「…………お兄様は……私が殺した」
「桜乃ちゃん…………?」
さっきから––––––いや、最初っから彼女はこちらの話をまともに聞こうとしていない…………いや、聞けてない?
どうも変だ……この子はどこかがおかしい。
「ねぇ……聞こえてる? 桜乃ちゃん」
––––––嫌な予感はしていた。
––––––だけど…………次の瞬間、私は確信した。
「お兄様…………」
「っ……耳が…………聞こえないの?」
––––––それだけではなかった。
「どこなの……お兄様…………」
「まさか目も…………見えてないの?」
「会いたい……お兄様…………」
う、うそでしょ…………。
目も……耳も見えない彼女を…………操り人形にして戦わせているというの?
…………ゼクスのやり方なら確かに、五感が正常に働いてなくても人を操ることはできる。脳が正常でなくても、操ってるのは脊髄からなんだから…………。
おそらく、兄を失い心を閉ざした彼女は聴覚と視覚を失った。いや……もしかしたら…………。
「チッ……その様子じゃ五感すべて、まともかどうかわかんねぇな…………」
そんな––––––。
兄の死を…………自分の殺人を見た視覚––––––。
兄の血の匂いを嗅いだ嗅覚––––––。
兄の脈動を刀越しに感じた触覚––––––。
兄の骨を砕き、脳を破壊する音を聞いた聴覚––––––。
絶望の味を知った味覚––––––。
彼女はそのトラウマで、すべての感覚を脳が拒絶した––––––。
それを…………好都合とばかりにあいつは操り人形にした––––––。
「ゼクスッ………………!! うああああああぁぁぁぁ!!!!」
私は弓を背に戻し、彼岸双刀を両の手に開放し彼女の刀に切りかかった。だけど、私の力ではその刀はびくともしない。
「お兄様…………どこにいるの?」
「くっ!!」
早く、彼女を戦闘から解放させてあげないと…………でもどうすれば…………っ!!
「あぐっ!?」
私の体を、桜乃ちゃんの刃がかする。おなかの部分が少し切れて血があふれる。
「邪魔者……いなくなったら…………お兄様にあえる?」
「…………邪魔者?」
そうだ……そういえば最初に戦った時も邪魔者って言った。
…………五感すべてが失われているのなら、その代わりにナノマシンウイルスが別の何かを見せてる?
桜乃ちゃんの炎の光線をよけながらも思考は止めない。
……多分、目の神経だ。あそこにウイルスが侵食して見せたい視覚情報を送ってるんだ。
ナノマシンは脊髄に入るけど、厳密に言えば神経に寄生するウイルス。だから目の神経に入れば視覚も操ることができる。
……でも、なぜ? ナノマシンウイルスは神経を直接操って操り人形にする方法だから、そんな手間をかけなくても操ることはできるはず。だったら彼女をわざわざそんな映像を見せて操る理由はなに?
……もしかして、桜乃ちゃんは完全には操られていないのでは?
だとしたら……それはなぜ?
桜乃ちゃんはバイトでお母さん……つまり風音さんの手伝いをしていた。
だから……風音さんと同じ理由で、呼吸での感染はしなかったのかもしれない。
だったら、佳奈美と同じ方法で操られてる。
––––––佳奈美との違いはなんだ?
……佳奈美は仮にも女神だ。桜乃ちゃんより浄化能力が弱いとは思えない。だったらやっぱり普通の理由じゃない。もっと別の理由があったはず……。
……神ノ巍剣…………。
あれがもし、身体にも影響しているのなら…………。
正直憶測でしかない。でも…………継承で女神になった佳奈美。それ以上の力があの刀にあったとしたら…………。
「くっ!!」
桜乃ちゃんの一撃が私の右腕をかすり、血が噴き出す。それを手で押さえながらも相手の動きを観察する。
ダメだ…………。考える余裕がない。せめてもう少し時間があれば…………。
「おーい。変わるかー?」
影沼が能天気に話しかけてくるので、苛立ちを隠さずに声を荒げる。
「アンタは下がっててっ!! 絶対桜乃ちゃんを助けるんだから」
「…………助ける方法なくもねーぞ?」
「え?」
私は驚いて思わず影沼のほうをチラッと見てしまう。その瞬間縦一閃の斬撃が打ち下ろされる。
「きゃっ!!」
死の直前だった私を影沼が私の影を操り、私を右方向に殴り飛ばし、窮地を脱する。
「まぁ、助ける方法っつってもテメーはどうせ反対するだろうけどな」
「くっ…………まさか、桜乃ちゃんを殺すっていうんじゃないでしょうね?」
「なんだ…………わかってんじゃねーか」
…………影沼の言いたいことはわかる。桜乃ちゃんを殺した後、転生させて体を与えるのだ。
そうすれば、彼女の体はとりあえず無事な状態になる。女神となった私なら確かに可能だ。
「だったら、私の答えもわかってんでしょ? 断固反対よ」
「だろうなぁ…………」
…………転生者が言うのもなんだけど、生き返りってやっぱりいいものとは思えない。実際私やタクミが現実世界にいるのもあまりいい気はしない。
本来、命は常に一つ。体もまた同じなんだ。
それを復活できるから殺すっていうのは…………やっぱり正しいとは思えない。
でも本当にどうしようもない場合…………その手段しかなくなるかもしれない。
「本当にどうしようもない場合はオレが殺してやるが、あんまりちんたらやってたらウイルスがソウルプラズムを直接攻撃しかねない」
…………目の神経機関を支配しているなら、場合によればそういうこともできるかもしれない。
いや、できると考えるべきだろう。ゼクスが予備の手段を持ち合わせていないとはやっぱり思えない。
考えろ。支配された視界…………脊髄を支配する方法での洗脳…………神ノ巍剣……………………。
「…………洗脳しきれなかった?」
なぜ?
––––––なぜ、神ノ巍剣を、タクミが持ってないの?
だって剣道については、タクミのほうが武術に真剣で実力もあったはず。だったら、桜乃ちゃんのやってた巫女のバイトについても、退魔術師という意味ではタクミのほうが適任だったはず。現に異世界でタクミは戦ってるんだから。
もしかしたら…………タクミは神ノ巍剣を持つことができなかった?
まさか……あの刀の正体は…………吸収でも反射でもなく…………。
桜乃ちゃん固有の能力を具現化するための、ただの道具…………。
「影沼っ!!! 全力で魔法攻撃っ!!!」
「はっ!? だがあの刀のせいで、魔法は聞かねーんじゃなかったのかよ」
「あの刀は、桜乃ちゃんの固有の能力を具現化しやすいように形作られた道具よ。あれ単体では何の機能もない」
それを聞いて、影沼も何かを察したのか黒い影を桜乃ちゃんに向けて触手のように伸ばす。そして私もそれを強化する魔法を発動し、薄緑色の光が伸びる影に加わる。
そうだ。桜乃ちゃんの体は常に魔を吸収し、それを使う能力を持ってたんだ。
桜乃ちゃんに寄生したナノマシンウイルスは痛覚や視覚、聴覚などの情報を読み取り、適切な筋肉を動かすだけのプログラムに過ぎない。その副次効果で彼女は敵を邪魔者と判断しているに過ぎない。
だったら、後発のプログラムは発動不可能。下手なことをしない限りウイルスが桜乃ちゃんを殺すことはない。
あとはウイルスの浄化だ。これは物理現象である以上桜乃ちゃんには無理だ。だから影沼と私の魔力を限界まで吸わせる。そうすればいずれ…………。
「っ!?」
状況判断がナノマシンサイズのコンピューターでは追い付かず、魔力過多で制御を失う。普通ならこの時点でかなりの苦痛が生まれるけど…………。
「…………お兄様」
だけど彼女の脳から触覚は失われてる。痛みは発生してない。これなら…………。
「ちっ……そういうことかよ…………ちっとは感謝してほしいもんだね…………まったく」
「…………ありがとう。本当にアンタがいてよかった」
私が素直に感謝すると、逆に恥ずかしくなってきたのか、影沼は顔を赤らめて「借しにしとくぞ!!」と怒鳴る。
体内が影沼の力で満たされた今なら…………彼女の体内で影沼の魔法を使用することが可能だ。まぁ、一種の外科手術というわけだ。
不幸中の幸いか麻酔はいらない。おかげで彼女を助けることに集中できる。
「おら…………捕まえたぞっと!!」
ナノレベルのウイルスをすべて捕獲し…………彼女の体内で砕いたことが、私の魔力を通じてハッキリと伝わってくる。同時に、彼女を支配していた力のすべてが解放され、まさに糸が切れた操り人形となってその場に崩れた。
「…………お兄……様」