第九十九話「結びと決別」〜ウンディーネ視点〜
よくもまぁ、転生してたった二年の女の子のためにここまでの人が集まったものね。
「うっ……」
小さな呻きをあげるアトゥム様に私は片膝を立てて座り顔色を伺う。
「ごめん……大丈夫さ。僕も……決めたから」
「アトゥム様……でも……」
「アトゥム……? だ、誰の事だい?」
「っ……」
息がつまる。まさか、もう自分の名前すらも……。
「僕……いや、私……」
「……あなたは––––––」
「あなたは、星井夏帆。私のお母さんでしょ」
私が答えようとした瞬間、後ろから早紀の声がした。
「早紀……」
「ディー。お願い……私はもう幸せになった。私を幸せにするための神の名より……私の自慢のお母さんの名前で呼んであげて」
私は強くうなづき、彼女の名を呼んだ。
「夏帆……さん。今日はあなたの娘の結婚式でしょ。ほらきれいな花嫁姿じゃない」
早紀の真っ白なウエディングドレスは私も見惚れてしまう、お伽話に出てくる天使のように華やかで儚かった。
「そう……だったね……僕は……私はまだ早紀ちゃんのお母さんでいるんだ……」
「うん……私の大切なお母さん。……背はちっちゃくなったけど、私より年下になっちゃったかもしれないけど、私を世界一幸せな花嫁にしてくれた私の大切な人だよ」
早紀とタクミくんの結婚は私達にも衝撃的だった。確かにいずれは結婚するものだとは思ったけど、こんなに早く結ばれるとは思わなかった。
だけどその理由を知ったとき、私達にも何かできないかと皆がその結婚に協力していった。
サタン様は資金の援助。ミスラは身内が結婚式場の管理をしているので式場の準備。コジロウのおじいさんも、みんながその結婚に協力した。
そして……私は式の間のアトゥム様の介護を申し出たのだ。
なので、昨日からずっとアトゥム様につきっ切りなのだが。状況は最悪と言っていいものだった。
常に脳を動かし続けるわけだから当然睡眠は許されない。人間の脳は睡眠時に記憶の整理をするらしく、もはや自身の脳を信用できないアトゥム様にとって唯一の頼みはバックアップされているアトゥム様のデータのみ。
つまり破損し続けるアトゥム様の記憶を思い出し続けることでバックアップデータとリンクし続けなければならない。
それは、想像以上に過酷なものだった。
超難解な筆記テストを二十四時間休む事なくやり続けるようなもので、正直今、正気を保つことすら厳しいのだ。
そんな姿を見続ける私も正直まともではいられなかった。何度も見てるのがつらくて泣いて、それでもも彼女のこんな些細な願いもかなえられないなんて嫌だったから、ずっと励ましていた。
そのおかげで、なんとかアトゥム……いいえ、夏帆さんに娘の花嫁姿を見せることができた。いまは、この花嫁の控室でゆっくり休んでいるところだ。
……まだ式は始まってもいない。私達の目的は、せめて式の最後まで夏帆さんを早紀さんのお母さんとして式に出席すること。……夏帆さんは無理だって言ってたけど、絶対、あきらめたくない。
「それにしても早紀。いいドレスじゃない。可愛いわよ」
「えへへ……こんな姿初めてだから、なんだか緊張しちゃうね」
そんな会話をしていたら、花嫁の控室の扉が開いた。
「邪魔するぞ」
「なんやーすごい似合っとるやないーー!! かわいーやーーん!!!」
「コジロウさん……それにミスラも」
コジロウさんは花婿のほうにいたはずだし、ミスラは式の運営で忙しかったはずなのに……。
「まったく、あやつはネクタイも結べんとは…………情けないのぉ」
その情景が頭に浮かぶようで、ついクスクスと笑ってしまった。ネクタイの結び方がわからず、コジロウさんに涙目で教えてもらってそうだ。
そうすると、ミスラもコジロウさんも私に近づいてきて、小声で話してきた。
「アトゥム様の様子はどうじゃ?」
「…………もう自分がアトゥムであることすら覚えてません。……今は、彼女のもともとの名前の夏帆さんで呼んであげてください」
コジロウさんはそのあまりのむごさに歯をかみしめて震えていた。
「なんということじゃ……わしらには、どうすることもできないとは…………わしらティエアの住民にとって、あの方がどれほどの恩がある? ……なのにわしらでは、アトゥム様……いや夏帆殿に娘の結婚式すらまともに祝わせることすらできないとは…………」
「君たちのせいじゃないよ……」
夏帆さんはいつの間にか後ろに立っていて、私達の会話を聞いていた。
「私が……いや、違う…………私がやってきた……そう、やってきたこと…………それは…………えっと、私のためなんだ」
「夏帆殿!! 無理はいかん!!」
「大丈夫…………のはず……いや、大丈夫…………記憶の検索信号を止め……いや…………なんだっけ? …………そう、検索だ。それを止めてはならない…………だから、君たちのことを思い出すのも……そう、検索なんだ。だから必要なことなんだ…………」
言いたいことは何となくわかったが、その言葉が痛々しい。基本的な言葉すら難解なパズルを組み合わせているようで……。
「はいりますよー……って、アトゥム様!?」
次に入ってきたペルちゃん、テュール様、それにもう一人、知らない緑髪の人がその様子を見て夏帆さんに駆け寄った。
「……ありがとう……ええっと……そう、ペルちゃん…………ごめんね、名前を思い出すのも精一杯なんだ」
「気にしないでください……私達は夏帆さん。あなたに返しきれないほどの恩があるんだから。なんでも協力しますよ」
……とりあえず、ペルちゃんの回復魔法で疲労をごまかしたが、正直これが限界だろう。
「ミスラ、お願い。式の日程を早められないか聞いてみて」
「わかりました。ほならクルーガさんに聞いてみるっ!!」
ミスラが飛び出すと、緑髪の女性が夏帆さんに水を飲ませていた。
「君も遠くから……あれ? ……遠かったよね? えっと…………あれ?」
「大丈夫です。夏帆さん……私はエストギルドのファレーナ。確かにここは遠いですが、あなたの娘さんや、あなたへの恩と比べれば大したことはありません」
「ファレーナさん……」
……なるほど、彼女が早紀のたまに話してたファレーナさんか。どことなく私に似てると言ってたが正直あまり似ているようには見えない。
「……ウンディーネ様……ですよね? はじめまして、ファレーナです」
「あ、はい。どうも……ウンディーネです。ディーでいいですよ。早紀もそう呼んでるし」
「ふふ……じゃあディーさんで、私の事もどうかファレーナとお呼びください。…………少し、外でお話しませんか?」
「……ごめんなさい。こんな時にお話なんて」
「いえ……それよりどうしたんですか?」
そういうとファレーナは生い茂る緑の庭に設置された噴水に腰掛ける。
「……本当にいいんですか?」
「と、言うと?」
「夏帆さんの事お任せしても……」
その言葉の意味に気付いて私は口を閉ざす。
「多分、この結婚式で早紀さんの次に辛い役回りです。……記憶を失う事……それを見届けなければならない辛さ……多分あなたの心に深く傷が残るでしょう」
「ええ……わかってるわ」
それは昨日、散々思い知らされた。
発狂するほどの苦しみ。記憶を失って簡単な事すらわからなくなる恐怖との戦い……それは、隣にいた私が一番よく知ってる。
そして……夏帆さんが出した計算では今日、彼女は記憶を失う。つまり一番苦しいのも今日となる。
「だけど……私がやりたいの」
「ディーさん……」
「早紀のためだけじゃないの……私が見届けなくちゃいけない……今まで永遠にも近い時間の中で、苦しみながらもこの世界を守ってきた……なのに私は、その情報をゼクスに渡し続けてしまった。だからその罪滅ぼしは私がしなくちゃいけない」
「誰もあなたを責めてないわ。あれは仕方のない事だった。そう聞いてるわ」
それを聞くと、私は首を横に降る。
「そうかもしれないけど、それじゃ私が納得できない。だから、せめてこのくらいはしたいの」
譲る気はないことを見せた私に、苦笑しながら言葉を返す。
「なるほどね。たしかに私達は似た者同士かも」
「ふふ……そう見たいね。色々終わったら一杯やりましょう」
「エストギルド自慢のビールでおもてなしするわ。スピカ……いいえ、結城早紀の作るビールは最高なんだから」
「よく知ってるわ」
そんな話をしてると、ミスラが走ってきた。
「クルーガさんが式の時間早めてくれるからみんな教会内に入ってって! 急いでや!!」
そのクルーガさんの本来の役割は神父だったらしい。犬獣人が神父をやってるとなんとも不思議な感じがする。
「夏帆さん……大丈夫ですか?」
苦しそうに頭を抱える夏帆さん。見れば汗をびっしょりと掻いている。
「大丈夫さ……あの子の回復魔法が聞いてるから…………」
それが、やせ我慢の嘘であることはさすがの私でもすぐにわかった。……事実、もうすでにペルちゃんのことも
「お願いよ……せめてこの時くらいいいじゃない……永遠なんて誰も望んでない。たった一日、この日だけでも、この人をお母さんでいさせてあげてよ……」
神のために神に祈るなんておかしな話だが、この時ばかりはどうしようもなかった。
「ごめんね……海竜族の子……」
私の名前も消えた……でも、そんなことどうだっていい。今この人に必要なのは、”結城早紀”という今日生まれる新しい名前だけだ。
「わ……たし……この世界が嫌いだった……」
「新郎、新婦入場です」
その言葉と同時に背後の扉が開く。ウエディングロードに花嫁姿と花婿姿のタクミくんがいる。
「この世界は……何度も早紀ちゃんを殺し……ほんの些細な願いすら……踏みにじる……そう思っていた」
赤いカーペットを一歩ずつあゆみながら、早紀は苦しんでる夏帆さんを見つめた。だけど、涙を拭いて前を向く。
「でも違ったんだ……わかってたはずだったんだ……誰も人の不幸なんて……望んじゃいない……誰も……人の死を望んじゃいない……」
凛としてその道を歩む早紀。それを見て自分も悲しんじゃいけないと、堂々と前を見るタクミくん。
「だけど……恨まずにはいれなかった……私にとっては、早紀ちゃんが……すべてだったんだ」
最前列にいる私達とすれ違う。その瞬間、早紀の涙が一つ落ちた。
「だけど……い……今わかったんだ……みんなは……こんなにも素晴らしい幸せを……早紀ちゃんに与えてくれたんだって……」
ついに神父さんの前に立つ二人。神父も涙を堪えて誓いの言葉を告げる。
「そして……私はこんなにも……恵まれてた……だ、だから……あ……りが……とう」
「……まだ忘れさせないわよ」
私は、自分のできる限りの回復魔法で彼女を癒していく。
「これからじゃない……アンタはこれからっ! ……タクミくんに情けないってぼやきながら、初孫にベタ惚れしてっ! 孫や娘に馬鹿みたいに尽くしてっ! その分みんなからの親孝行を受けて……シワ数えながら死んでいくのっ! ……アンタの人生はこれからなのよっ……」
誓いの言葉を聞く暇すらなく、私は彼女の手を両手で握る。彼女の苦しみ目をつぐむ姿を何とかできないかと思考を巡らせる。
「記憶なんてなくしてる暇なんてないわよっ……まだ……まだアンタにはいっぱい……いっぱいの幸せが待ってるのっ……お願いよ……」
それでも、彼女の脳はあまりに小さく今自我があるだけでも奇跡とわかる。思い知らされる。
「私の……私の寿命を半分あげるから……お願い……最高の幸せじゃなくていい。普通の幸せを……誰か与えてあげてよ……」
「あ––––––」
小さく漏らした夏帆さんの声で、私は顔を上げる。
目を見開いて、その光景を食い入るように見ている。
私もまた、その視線の先のを追って––––––。
息を止めた––––––。
結婚式なんて、何度も出た。
今更友達が結婚したからって、感動なんてしないって思ってた––––––。
私の視界がすべて支配された––––––。
ステンドグラスから降り注ぐ光の神々しさ。
溢れて流れる一筋の雫が、儚げに煌めく。
重なり合う二人の愛の形が、同時に決別の意味を持つ。その悲しく切ない光になる。
この場にいる誰もが、その光景に釘付けになり、思考が停止する。
この教会の中にあるすべてが、たった二人の世界の背景へと変わった。
私達は二人とは隔離され……絵画を眺めて感嘆の息を漏らすことしかできないようで…………。
「ねぇ……あの、おねえさん……だあれ?」




